先日知り合いの人の手作り作品展示会があり、興味のあるお友達と一緒に見に行きました。
そのお友達とは長男が幼稚園の頃プールを習っていた時からのお友達なので知り合って40年位経ちました。
知り合って10年位経った頃、お互い同じ歳だと知りました。
それから10年位経った頃、又々同じ職場だった事が判明。
そして1977年3月に友達が、8月に私が退職し、その年にお互い結婚したのも同じでした😯
「当時昼食は社食以外では何処で食べた?」との話になり、近くのビルの「食堂街」も一致で私のイチオシの蟹の身が沢山入って熱々の「蟹炒飯のお店」の話や共通のお気に入りだったケースに入れてもらい持ち帰る熱々の「焼きそば店」の話になりました。現在は2店とももう無いのが残念です。
そして現在の話になり、子供の頃有名だったラーメンの「富公」の話に。


店主は早くして亡くなった様ですが当時の2人のお客様が暖簾分けしてもらい現在お店を各々に開いている話しをテレビで放送していた話になりました。
そしてその中の1店が若い頃に行っていた会社のそばの「食堂街」の中に営業しているとの事でした。
私は中学生位の頃、元祖「富公」さんへは、従姉妹か誰かに連れて行ってもらった事は覚えているのですが子供の頃の事なのでぼんやり。従姉妹たちは年上なので何度も行っていたようです。(平成4年閉店との事)
と言う事で今回の手作り展示会場はその職場のそばだったので帰り道、❶会社の社食を見学(食べれたら食べて)してからその後❷現在の食道街の「富公」へ行く計画を立てました。
社食見学を会社の案内嬢さんに聞いていたらガードマンさんが来て「社員同伴でないと社内には入れない」との事。食べる以前に食堂に辿り着けませんでした😥
あ〜〜〜ぁ😥と思いながらも記念写真だけ玄関先でパチリと撮りましたが何故か円満の笑みでした。
そのまま隣の食堂街へそして現在の富公さんへ



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「紫雲亭」
店内から撮った写真ですが現在のこちらの店名です。富公さんの暖簾は店内に飾られていました。
ラーメンの味の好みって千差万別で大雑把にはさっぱり派やこってり派になりますが私はダントツさっぱり派です。
富公さんのお醤油味はさっぱりで美味しかったですがキクラゲのコシがありそれが最高でした!
暖簾分けしたお店がもう一軒あるそうですがどちらもお客さまが富公さんのお店がなくなるのは辛くてその前に教えてもらい暖簾分けまでに至った様です。
※ ※ ※
札幌ではもう一軒「味の三平」さんも有名ですが私が行く文房具店「大丸藤井セントラル」(三越の向いね)の4階にお店が入っていていつも並んでいます。でも1度だけ一人で入った事があります。こちらもさっぱりで美味しく、もしかしたら普通よりほんの少しだけ麺は短かったかも?と記憶しています。なぜなら食べやすかったのです。
この時もう一つ記憶があるのですが並んでいる段階で注文を聞きに来ます。なので席に座ったら1分位で品物が出て来ます。
その聞き取りの時、皆さん「味噌味」「味噌味」「味噌味」、、、私は元々は「お醤油味」なんですがその流れに沿ってしまい「味噌味」を注文してしまいました😅
この記事を書きながら今度行って席が空いていたらもう一度入り「醤油味」に挑戦したくなりました✌
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↓「富公」さんの詳しい記事を見つけましたので一部抜粋しますね。(一部ね)
札幌市中央区南1条西2丁目仲通り(カナリア洋服店裏)昭和35年12月。店主は、菅原富雄さん。この場所は、元々お父さんと息子と2人で靴店を営んでいた所だがこの頃から既に手作りの注文靴の仕事もあまり入らず小松靴店(現パルコ)からの修理の下請けだけでは、靴店は、立ち行かない。ある日、父親が「靴店をやめる」と云った時、即「ここでラーメン店をやる!」(息子)と決め父親に承諾を得る。元々ラーメン大好き(今のラーメンフリーク)でラーメンを食べ歩いていて「味の三平」の常連でもあったので早速「味の三平」に恐る恐る「ラーメン屋をやりたいので教えて貰えないでしょうか」と頼み込む。その時、故大宮守人氏は「手を取って教えることは、できないが私の動き(仕事)をよく見る事だな」と。それから菅原さんは、約50日間、夢中で大宮さんのすべてを学ぶこととなる。修行後直ちに「富公」の開店となる。
(一部抜粋)以上
近況(芸能人でもないのですが🥵)
野球では地域がらパ・リーグ「日本ハムファイターズ」を応援!
パ・リーグの優勝チーム「ソフトバンク」×「日ハムファイターズ」が決まるまで落ち着かずこちらへの投稿も遅くなりましたがようやく落ち着きの日々です。
今後とも宜しくお願いいたします🙇