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ヌメリライブレポート

Numeri好きのわたくしが、ヌメリライブのレポートを書くためだけに開設したブログです。

≪読み飛ばしゾーン②≫

悪事を働いた人達であるにも関わらず、
三日後当然のように全員戻ってきます。



石出帯刀が、言った事を守る人間であるという信頼関係が罪人達とできていた事が伺えます。



そして、石出帯刀は自身の言葉通りに、
自分の命に替えても罪人達の義理に報いようと努力します。

石出帯刀は、老中に死罪も含めた罪一等を減ずる様に上申し、
その気迫こもった上申を老中達(幕府の中枢)も評価。
結果的に減刑が認められる事になりました。
※それはつまり、幕府の老中に相手にされる程の人物であった事が伺えます。

余談ですが、それ以降この緊急時の「切り放ち」は江戸時代に制度化されるに至り、
信じられない事に明治時代以降にも正式に法律として受け継がれ、
さらには何と現代の法律に至るまで引き継がれています。



この話は「義理深い罪人だった」と捉える事もできますが、
これは「この勇断が何故出来たのか」という事の根拠が、
とても大切な部分であると思います。

まず石出帯刀という人物は、

・有言実行の人であった
・罪人達との間に深い信頼関係構築できる程の高い社会的知性があった
・一流の教養人、一流の学者であった
・幕府の老中も認める程の人物であった

という事です。

島津斉彬
「勇断なき人は事を為すこと能わず」

という言葉がありますが、事を成すにはただ勇気があるだけでは結果が伴わないんですね。
そこに必ず深い思慮がなくてはならないということですね。
深い思慮には、その根拠となる教養や知識、見識が必要だと言う事です。



いくら善行と思われる事をしても、
そこに深い思慮がなければ、その種は育たない可能性もあります。



■大塩平八郎の乱

大塩平八郎は、中級武士が任に当たる与力(江戸時代の警察のようなもの)で、
その人物は清廉潔白で、上方の不正を次々と暴き、汚職事件の内部告発を行い、
その辣腕っぷりは民衆の度肝を抜いて、尊敬の念を集めていました。

天保の大飢饉の際、大坂東町奉行の跡部良弼は幕府に対して点数稼ぎのために、
大坂から江戸へ強制的に米を送りました。
さらに豪商が米を買い占めたため、大阪の米価が高騰。

そのため、大阪に住む民衆は米を買えずにいました。

大塩平八郎は、大坂の民衆が飢餓に喘いでいることに心を痛め、
跡部良弼に対して...

・蔵米(年貢として徴収して保管している換金前の米)を民に分ける事。
・豪商に買い占めを止めさせる。
などなど、米の価格を安定させるための提案をしましたが...





全て拒否!!





やむなく、大塩平八郎は私財を投げ打って救済活動を行います。

しかし、全く根本的な解決にはならないために、
ついに武装蜂起を決意。

これが「大塩平八郎の乱」となります。

乱は一日で鎮圧されました...



ところが、この乱は場所が大阪と言う事で京都が近く、
朝廷の知るところとなりました。

さらに、民衆に人気のあった大塩平八郎。
民衆は彼が書いた檄文を全国に流布させました。
幕府の腐敗っぷりを不満に思う全国の民衆は、
その檄文に同調。

今まで幕府は朝廷から大政委任を受けていたため、
朝廷に対して強気一辺倒でしたが、この時期に朝廷からの言う事を聞いた事で、
幕府の権威が下がり、朝廷の権威が上がったと全国諸藩に認識させてしまいました。

同年アメリカのモリソン号が日本沿岸に侵入した事もあり、
この乱の事後から、幕末に突入していきます。



しかし、大塩平八郎は英雄や偉人として歴史上紹介されることは無く、
現代では「大塩平八郎のLAN」として、デザリングのSSIDに登録されていく事になるのです。