もし飛んで来てくれた方、愚痴のみです、すみません🙇
思えば…2022年の4月頃にリモートワークと出社を半々くらいしていた時に車でシートベルトすると肋骨が痛いかな?と、週に2回は行っていたフットサルで交錯してぶつけたかな?なんて軽く考えていました。その後、仕事も管理職なので過勤務はつかないけど終わらないのでリモートだと月に200時間オーバーで産業医面談の案内が来たりと、社内ネットに繋がないでログを残さないよう必死に仕事してました。
ただフットサルやサッカーは、その仕事のストレス発散出来たので頑張ってやってましたが、肋骨の痛み➕首の横が腫れてきました。
仲間や後輩にもしかしたらガンかも?なんて冗談を言ってました。
どんどん大きくなってきたので妻に病院へと言われGW前に近くの病院に行ったら”抗生物質で様子見ましょう!”ガンだったらもっと固いから大丈夫ですよなんて言われて、呑気に過ごしてました。
が、抗生物質飲んでも小さくならないし大きいままのため3日後に再度受信したら、総合病院に紹介状書くから行ってくださいと言われ、自分でGW明けに予約を取りました。
そう言えば左鼻も通りが悪く匂いも感じないと思い、耳鼻咽喉科で受診。
受診数分後に、リンパ腫かもしれないですね、いわゆるガンです…と言われ、妻と2人で固まってしまいました。リンパ腫は悪性しかないからガンで間違いないと思いますが首の所の生検しましょうと。
次の予約を取り、あまり覚えてないけど、愛ネコ1匹が年末から、悪性リンパ腫で抗がん剤を投与したけど3月に亡くなってしまって、同じ病気?と思い、僕の病気を少しでも持って行ってくれたのかな?など考えていました。
こんな偶然ってあるんだ…と。
首の生検からガン確定と、悪性リンパ腫であるが、総合病院だけど血液内科がないから、2つの病院どっちがいい?と聞かれ、先生だったらどっち?と聞いたら、私は専門の病院かなって、そこにも居たからねと言われて決めました。
いまは告知って簡単なんだなーって、というか自分がガンなんて、冗談で言ってたことが本当になってしまった
5月にわかったけど、次男がサッカーのクラブに入っていて6/15日に親子サッカーなるイベントがあったので絶対に出たかったし、長男の時も出て楽しかった!
紹介先の先生には治療は6/16からでも大丈夫ですか?と聞いて、まあいいでしょうと言われ、それまでは仕事にフットサルにと楽しみました。
ただ先生にリモートとか入院しながら出来ますか?と聞いたら、暇だから出来るよと。
そこも視野に入れて治療するつもりだった、レジメンは6クールあって1クールは3週間毎で約1週間は抗がん剤をゆっくり投与して2週間入院、で1週間帰って自宅療養の繰り返しで、幸いにも無菌室の個室(大部屋扱い)だったけど、とてもリモートワークできるような状態じゃなかった、吐き気や味覚障害、指の痺れにとてもハードワークは無理と判断して療養に励むことにしました。
まあ、今のトップは病院からのリモートは認めなかっただろうし。
年末には治療が終わるスケジュールで進み、ただCD5陽性というのが難治性らしく、調べれば調べるほど怖くなっていった。
妻も股関節の痛みが増して、早く人工股関節手術を受けないと歩けない状態になってた。
僕の主治医も妻の手術を鑑みてスケジュール組んでくれた。
僕と妻は交代で入院して妻は約2週間でクリスマス前に帰ってきて、これから頑張ろう!って話したなー。
仕事も2月に寛解して復帰したけど、すごく疲れやすかった、でも働かないと稼がないとの一心で頑張った、それがいけなかったのかな…
7月の経過観察時に造影CTから再発してるかもと言われ、8月にPET-CTと決まった。
結果はアウト、5日後の21日には入院して治療を進めますと。
会社にも引継ぎもままならず、5日後には入院して、自家移植前の救援化学療法でR-CHASERに決まった。腎臓の数値が悪いのでこれしか出来ないと。
あーまた髪の毛が少し伸びてきたのにまた抜けちゃうなー、もう抗がん剤やだなー思いながら入院しました。
再度、治療しなかったらどれくらいですか?と聞くとやっぱり数ヶ月と…
そっかやらないとあっちへ行っちゃうんだなと、でもそしたら家のローン払わなくてすむし、少しでも生命保険に退職金で子供達を育ててほしいと妻に話したら、治療して長生きするんだからと。
その後、8/21から大量抗がん剤+自家移植療法で12月中旬頃まで入退院を繰り返して仕事もできず
2ヶ月後の2月にPET-CTで消えると祈って、職場復帰を目指してましたが叶わず、4日後にはいま入院している大学病院へと言われ、あれよあれよと考える間もなくCAR-T療法イエスカルタをとなりました。
再発したときには、治療しないで自分らしくなんて事を思って主治医に聞いたら、あと数ヶ月ですと…
いま自家移植しないとやれる治療が少なくなると言われ治療頑張りました。
自家移植の時は、高熱と下痢に苦しみました。
イエスカルタも副作用の説明は受けましたが、自家移植後から短いのでリスクはかなりと…
会社から連絡があって予想していた人事異動に、課長が1年半も不在で、また再発で戻れるかわからないからしょうがないなと思ってるけど、やっぱり落ち込みました。
トップより直接電話で課付き担当課長にと言われました、恐らくそうなるだろうなと、部下だった係長が後任の課長になり、僕は一応置いておく感じなのはわかってます。
必ず治って戻ってと言われましたが、その前に総務課長へは治らなくても、主治医に診断書書いてもらえば経済的に苦しいから働くことも視野に入れてるって言ったから、トップはキチンと治してこいだって
わかってますよ、もしあなたが在任中に就業時に倒れたらしたら労災だの面倒なことになりますもんね!と言いたかったけど流石に言えなかった。
机を交換して移動するから承知してくれとも。
この治療で寛解しなければ戻ることも出来ないし、妻にまだ手のかかる子供2人にネコ1匹を養わないといけない。
治療費は高いし、恐らく8月には傷病手当も切れてしまう
そもそも傷病手当なんかでは、やって行くことは無理だし、家に車も売らないといけないのかな?とも思ったり、先が見えません
紹介された大学病院では、前の専門病院とは全く違って看護士も医師もメチャクチャ冷たいというか事務的で、約1ヶ月持つのかな?なんて思ってます。
部屋は個室のクリーンルーム、前の病院では無菌室、病院が変われば色々違うな〜
医師もよくわからない医師が来て、どうですか?って抗がん剤やってない時も投与してると勘違いしてたりと…主治医らしき医師は血液検査の説明も早口で何を言ってるのかわからない。
薬の管理も適当だし、抗がん剤のダブルチェックも、前の病院の医師や看護士がいかによかったかわからされました。
愚痴を吐き出して明日の2日目の抗がん剤迎えられるようになるといいなぁ