愛知環状鉄道と2000系 | はやこま すていしょん!

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更新頻度は遅めですが、日々の出来事や趣味的なことを書いていこうかなと思っています。若干鉄分は濃い目の予定(笑

愛知環状鉄道は東海道本線岡崎駅から中央本線高蔵寺駅までの45.3kmを結ぶ第3セクター路線です。

(2110・三河豊田・2015年1月25日)
前身は国鉄岡多線と瀬戸線です。
岡多線は岡崎~瀬戸(現・瀬戸市)~多治見間を結ぶ路線として、一方瀬戸線は瀬戸~高蔵寺~勝川~小田井~稲沢間と小田井~枇杷島間を結ぶ路線として計画されました。
1970(昭和45)年10月1日に岡多線岡崎~北野桝塚間が貨物線として開業しました。これはトヨタの工場で生産された自動車輸送を主目的としていたためです。
1976(昭和51)年4月26日に豊田市まで延伸され、同時に旅客営業も始まりました。岡多線は開業時より全線電化されており、旅客列車は70系で運行。後に113系に置き換えられました。

しかし国鉄時代の輸送密度は2,757人/日で国鉄再建法に基づく廃止対象となる輸送密度4,000人/日以下を大きく下回っていました。しかも1984(昭和59)年で自動車輸送も廃止されてしまい、国鉄は特定地方交通線第3次廃止対象線区として廃止を申請しています。
また岡多線豊田市~瀬戸間、瀬戸線瀬戸~高蔵寺間と勝川~枇杷島間の建設は凍結されました。岡多線瀬戸~多治見間、瀬戸線高蔵寺~勝川間、小田井~稲沢間は着工していなかった事もあり、そのまま計画が放棄されました。
1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化で、岡多線と瀬戸線勝川~枇杷島間はJR東海が承継。このうち瀬戸線勝川~日和島間はJR東海の子会社である東海交通事業港北線として開業しました。
一方岡多線豊田市~瀬戸、瀬戸線瀬戸~高蔵寺間の建設も再開され、1988(昭和63)年1月31日に岡崎~豊田市間と合わせて愛知環状鉄道線として開業しました。

路線的には環状運転しない愛知環状鉄道ですが、その前身となる岡多線、瀬戸線と東海道本線を直通すれば環状運転も夢ではなかった感じですね。もっとも、会社的に3つに別れ、東海交通事業港北線は非電化ですので、現実的には難しいわけですが。

開業時に投入されたのは100系。車体長19mの片開き3扉セミクロスシート車で、電装品類は国鉄101系から流用されていました。100系は開業時に20両製造され、のちに23両体制となっています。2005(平成17)年に前者引退しましたが、14両がえちぜん鉄道に譲渡されました。

(Mc6104・田原町~西福井・2011年2月8日)
100系はワンマン運転を考慮した車体構造となっていましたが、これが役だったのはえちぜん鉄道に移籍してからです。また両運転台車の300形5両を除いた9両は片運転台車の100形に制御車200形の運転台を移設しています。

現在活躍しているのは2000系。2002(平成14)~2005(平成17)年までに32両が製造されました。

(2231・豊田市・2015年1月25日)
ベースとなったのはJR東海313系で、部品を共通化することで新製費用を抑制しました。
車体はセミクロスシートの313系3000番代がベースで、窓の形状も同様になっています。

(クモハ313-3019・豊橋・2014年5月13日)
ただしセミクロスシートの寸法は2000系の方が大きいようです。また前面のデザインなどはちょっと違いがありますね。
なお313系3000番代は回生ブレーキが使えない閑散線区向けに発電ブレーキを搭載していますが、2000系は発電ブレーキを搭載しておらず、電気機器的には回生ブレーキを常用する313系300番代をベースとしています。

(クハ312-307・岡崎・2015年1月25日)
このようなわけで313系の豊富なバリエーションをうまく活用しているのが2000系なのです。
ところで、愛知環状鉄道の輸送密度は約9,800人/日となっており、岡多線時代が嘘のようです。この輸送密度は第3セクター線でダントツトップで、長期間経常収支が黒字という優良路線となっています。かといって岡多線を切り離した国鉄の判断が間違っていたとは断言できませんが、こういう第3セクター線もあることを再認識しました。