
ディーゼル機関車開発の黎明期に登場した電気式ディーゼル機関車DF50。電気式ディーゼル機関車はディーゼルエンジンで発電した電力で主電動機を駆動して走行します。ディーゼルエンジンはズルツァー社製の0番代とMAN社製の500番代が存在しました。一時は日本海縦貫線や中央本線、紀勢本線、そして日豊本線などで活躍していましたが、電化やDD51に置換えられて、晩年の活躍場所は四国となっていたわけです。
そして四国のエースといえばキハ181系。平坦線区での120km/h運転と、山岳路線での所要時間短縮を狙って500ps出力のDML30HS系エンジンを搭載した強力ディーゼルカーですね。

僕個人的にもキハ181系は思い入れが強かったです。
このあと親と合流して親戚宅へ行きましたが、時間を見て撮り鉄に出かけました。もちろん狙いはDF50です。すると量産先行試作車1号機がやって来ました。

屋根にRがついているのが量産車との違いですね。1号機は伊予西条駅隣接の四国鉄道文化館に保存されています。
こちらは貨物列車ですが、まるで鉄道模型みたいな短さでした。

こちらのDF50牽引の普通列車ですが、最後尾にスハフ43を連結していました。


写真のスハフ43はスハ44を緩急車に改造したものですが、スハ44系はロマンスシートを装備した元特急形客車で、最後の活躍の場所が四国だったのです。
さて、四国から新潟へ戻る日がやって来ました。乗車したのは伊予土居駅に停車する急行「いよ」

四国の急行はヘッドマークが特徴的でしたねぇ。
伊予土居駅になぜ急行が止まるのかというと、実はすれ違い退避のためだったりするのです。というわけで下り「しおかぜ」が華麗に通過。

高松から宇高連絡船と宇野線快速に乗って岡山に到着。ここでEF66 6牽引の貨物列車が通過して行きました。

これが初めて見たEF66なのですが、フレートライナーではなくワム列車でした。
新幹線で新大阪へ移動して、ここから新潟「雷鳥」に乗るのですが、少々時間があったのでホームで撮り鉄しました。すると583系「雷鳥」が入線。

この後、関西から583系は虐殺されてしまいます(涙
貨物線に目を向けるとEF65 500番代Fの貨物列車が通過して行きました。

この518号機は上越線に乗り入れていた名残のひさしを増設していました。個人的に大好きな機関車でしたね。
そんな間に117系新快速が新大阪駅を通過して行きました。


シティライナーこと117系。ブルーライナー153系を置換えた時はイメージ的反発があったみたいですが、すっかり定着していましたね。
さて、雷鳥に乗車して長岡を目指す車窓です。吹田第2機関区にはEH10がたむろしていました。

そして初めてのデッドセクション体験をして敦賀第2機関区ではEF70を見る事ができました。

思えばこの夏は色々な事を体験する事ができました。
そんな感じで初めて尽くしの旅を堪能して中学1年生の夏は終了です。