久しぶりの日記です。
明日、流されてしまった通帳等の再発行のため、被災地からいったん私の家に泊まりにきます。
正直どんなふうに出迎えていいのか難しいところです。
母と三男は体育館で朝から晩までボランティア生活。
父は母や三男と離れ被災地の最前線で復興作業をしています。
私は1,2日停電した程度、ガソリンがなくてちょっと困った程度。
同じ被災者でも温度差ありすぎ笑えない。
実家がない!
この事実は私にとって大きなものです。
小学、中学の思い出。
みんなで野球をしたおばあちゃん家の庭。
寂しくなったら行った職場のガソリンスタンド。
弟と遊んだ裏山。
みんなで花火をした海岸。
学校から帰ったら毎日立ち寄ったばあちゃんの家。
一生忘れない思い出ではあっても、もうその場所がないというのは、とても辛いことです。
高校は盛岡の高校に進学し、大学はエスカレーター式でその大学に進学。
年に2,3度しか帰ることができませんでした。
帰るたびに小さい頃の思い出を思い返しながら歩きまわるあの場所が、
私にとって一番落ち着くところでした。
その場所がもう何一つ残らない状態。
津波のバーロー
父や母はその程度の悲しさ、悔しさではないはずです。
一生を過ごした土地であるということ。
私の生きた21年間、その二倍は生きている父と母は、その一生を今は平地でしかない場所で過ごしてきたのです。
私は父と母を尊敬しています。
辛い状況に立たされるほど人間の本当の性格があらわれる。
そのことを実感しました。
母は私の前ではいつも明るく接しています。
愚痴をもらすことはあるけれど、私に頼ることをしません。
あくまで自分がすべきことは自分でします。
言葉では表せないぐらい強い人です。
父は上に記した通り被災地の最前線で動いています。
ボランティアのような地元の消防団に所属していたため、その人たちと一緒に行動しています。
津波の被害にあってしまった人の収容。
私が聞いたのは一つだけでしたが、父は母にすら自分が何をしてきたのか話さないそうです。
田舎というものは狭いもので、近所どころかその地域の人のほとんどのことを知っているもので、
最近まで話していた人たちが仏になってしまい。
それを収容するということは、私には考えられないほど大変なことだと思います。
私は両親を尊敬しています。
これから私が両親や家族のために何ができるのか考えて行動していきたいと思います。
東北地方大震災
311
一生忘れることがないようにここに記します。
正直思い返せば涙が出るくらい悔しいですが、みんなでいると笑えるし、何より笑っていられることが幸せです。
大学の友達、先輩、後輩、サッカー部のみんな、サークルのみんな、一緒に住んでいる二男、
私は今も充実した生活をおくれています。
こんな生活ができることに感謝して、これからも前だけみて行こうと思います!
これからも相変わらずの私であると思いますが、どうぞよろしくお願いします。
自己満日記おわり!


