私が捻くれてるからないのかもしれない。

  

が。

 

 

実は8月の終わりの1週間入院をしていた。

 

もう退院して1週間経っているのでもう元気なんですけど、

実母に連絡しようか悩んだ。

けど、まぁ一応連絡した。

 

それなりに

「大丈夫なの?」とかは言われて

根拠のない方法で色々言われて...まぁまぁ。と思った。

 

問題は退院した後。

 

旦那が近所の自分の実家(つまり義実家)に逃げていたので笑

私も退院して一日は義実家にいた。

私は義母、義家族は大好きなので全然平気なのだけれど

 

「お母さんに連絡した?」と義母に言われ

 

「してないです。」

 

「心配してるわよ」

 

って言われたので義母の手前、仕方なく連絡した。

退院した旨を伝えると

 

「手伝えないけど、無理しないでね。」

 

...引っかかる。

 

手伝えねいけど。

...手伝えないけどっている?

 

これって普通は別になんともない言葉なんだと思うんだけど、

手伝えないのにどうやって無理しないで生活するの?っていう

反抗期。笑

 

親の顔色伺って

怒られないように生活してきたから

反抗期なくてっていうか反抗できなくて

(いや、家追い出されて1人で生きていく選択したら良かったのかもだけど)

口には出さないけど、

 

「は?」

 

って思うことを今でもしている永遠の反抗期。

反抗期を消化してこなかった結果の永遠の反抗期。

 

別に、両親歳だし、わざわざ電車乗ってまで手伝いに来て欲しいなんて

思ってない。

し、「何かあったら連絡してね」って言われても

別に連絡しない。し、そもそも

手伝ってもらえるとも手伝って欲しいとも思ってない。

 

まだ、両親が動けるときと子供が小さい時は

週1回来てもらって子供1人みてもらったりはしてたけど、

それももう7年くらい前の話。

したの子が幼稚園入ってからは本格的にうちにきて手伝ってもらったことなんてない。

 

のに

 

「手伝えないけど」の言葉はカチンとしかこない。

 

嘘でもいいから

「無理な時は連絡してね。話しか聞けないけど」って言ってほしい。

甘えさせろ!!!!!!って思うけど、

もう無理だし、モヤッとしながら生活してる。

 

モヤってすることが多いから連絡もしない。

どうですか?って1回メール来たけど、何もかもモヤっとする。

永遠の反抗期。でも、多分自分の中だけで反抗期だから(攻撃的なことを言うわけではない)

もうこれでよしといないと

穏やかには生きていけない。

 

ちょうど退院して1週間経った時に

義母から電話があった。

 

「どう?もう大丈夫?

もうなんでも食べていいんだっけ?

自分が食べれないのにご飯作るの大変だったよね。

ごめんね、手伝いに行けなくて(車で15分の距離ではある)。

今度、美味しいものでも食べに行きましょう!

何もお手伝いできなかったし。

ごめんなさいね。  でね!!!!(違う話になる)」

 

 

これです。

別にご飯に連れて行ってもらうかはどーでもいいんですけど、

(まぁ、義母は連れていってくれるけど)

ここまでの気遣いが...母親から欲しい!!!!!!!という欲求です。

 

大人なのにね。

子供の頃から子供の価値観で愛情渡すって本当に大事。

って身をもって体感しております。

 

自分の子供にはいっぱい子供の価値観で愛情あげよう!!!!

2人いても同じ愛情をあげてても満足の仕方が違うんだよね。

 

 

 

余談ですが

義姉の家の近くに入院していたのですが

面会ができなかったので

 

「病院の前を4回も通るのに

会えないなんて...」と、なんとも可愛い連絡が来たので

 

窓越しに手を振る。ということを2回もしました。

3歳の姪っ子が「ぬこちゃんの家」と言い始めたので

違うよーと退院直後速攻会いました笑

 

可愛い。

 

何者かにならないといけない。

 

と、思っていた10年くらい前。

 

専業主婦になって

楽できると思ったのに

精神的に「何者でも「ない自分」に価値がない気がして

ずっと罪悪感で生きていた気がする。

 

 

子育てはしてた。

だけど、それは「当たり前のこと」で「何者」かになったわけではない。

 

そのころは自分がアダルトチルドレンかもしれないことも気づいてなくて

変えないといけないところを履き違えてた。

「何者かになる」ことが正しい選択だと思っていたけど

今思うと

それがそもそもの間違いだったんだなぁ。という感じ。

 

というか

そもそも「何者」かではすでにあるわけで。

 

今は

たまに何者かになろうとするところを

意識的に止めるようにしています。

 

昔は

親が納得するものを選んで生きてきた。

そうすると「誰か」が納得する人になろうとして

「何者」かにあろうとするけど、

 

私は「自分」がなりたいわけでも

やりたいわけでもない。

 

なので今は

精神的に「自分のため」に色々なことを選び、

やることの選択をするようにしてます。

人のせいにもいなくなるしね。

私が私のために選んだ選択。

それがすごい大事だということに

今更ながら気づく。

 

何かをプラスして生きるより

今は、今あるものに感謝して

今あるもの、こと、人を大事に生きていくターンだと思って。

プラスしたくなっちゃうけどね。

ちゃんと落ち着いて判断しないと。

 

親には

悲しんでいる時に寄り添ってほしかったし

私がやりたいと言ったことに嫌な顔しないでほしかった

私のペースで生きていかせてほしかったけど

 

それはそれで

気づかなかった私が決めた選択だったということで

今更それを言ったことで何も変わらん。

距離を保って生きていくしかない。

 

まだね

親に期待してる自分にも情けないけど

自分の子供には私みたいな思いしてほしくないから

ちゃんと子供と向き合わないとね。

(私の子にしてはとてもできた子供たちですけど)


私は本質は多分
マイペースなんだと思う。

結構のんびりタイプ

だけど
小さい頃から
親のペースに合わせて行かないと
すごく怒られる家庭だった。

勝手に時間を決められ
それを守らなければ怒られる。

早くしろ早くしろって急かされて
忘れ物があれば
なんで昨日のうちに用意しておかないんだと怒られる。

当時は
自分がいけない
周りに合わせられない自分がいけない

って思ってたけど
親と離れて13年。

…別に私のペース悪くない。
と、思ってきた。

先日
とりあえず何も言われないように
1日だけ夏休みで実家に行ってきたけど

例えば
布団を敷いておいてね

と、言われて
寝る前に敷けばいいか。と、思う私と
20時に敷きだす母親じゃ
合わないのは当たり前だ。

それなのに
布団の上で飲まないで!食べないで!
なんちゃらかんちゃら。
じゃぁ敷かなきゃいい。と、思いながら
シカトする。


そして
敷いておいてね。と、お願いしたなら
やらないで欲しい。

やりすぎだし
自分のペースを求めすぎだ。


だから私は
ずっと疲れていた。
周りのペースに合わせるのが当たり前になっていたから
ずっと疲れていた。


もうよく頑張った自分。
自分のペースを取り戻そうと思う。

今からでも
遅くはない。

マイペースでいい。