「みんな幸せであって欲しいなぁ。」
と、つぶやいて驚いた。
みんなの幸せを願うときって、
自分も幸せで仕方のない満ち足りた時だと
そういうものだと思っていたから。
どちらかというと、
その対極に居て、
なかなかのダメージを受けた状態にいたので
今の自分から
そんな思いが込み上げるとは
我ながら不思議で。
正確にはドーンと沈んでみて、
ほんの少し復活への兆しがみえた。
そのタイミングだったのだけど、
ふと雑念なく願うことが、
皆んなが幸せなであってほしい
本心からそう思えた自分に
驚く。
楽しいだけが人生ではないけれども。
苦しみも痛みも辛さも、
光と影のどちらも必要なのだけれども。
それでも、やっぱり
痛いものは痛い。
そんな痛みや苦しさの渦中にいるときの
辛さを経験したからこそ、
そんな苦しみを味わう瞬間が
誰にとっても
少しでも短くありますように。と、願う。
息を吸えないような、
布団から出られないほどの大ダメージを
人生では急に突きつけられることが
たまに、ある。
困難が全くない人生は無いだろうし、
それがずっと続くわけでも無い。だろう。
だけど、いつまでこんなに苦しいの?と、
助けを、答えを求めてしまう。
分かってる。そんな、大した事じゃない。
そんな事は分かっているのに、
日常生活がギリギリ送れる。程度にまで
弱ってしまうことって、ある。
大人になっても、
ボロボロ涙が出て
顔を歪め、声を押し殺して泣く事って
あるんだなぁ。と
大人になって、分かる。
もしかすると、
大人だからそう、なのかもしれない。
昨日までとは一変して、
思いがけず
思い切り弱ってしまうこと。
くらってしまった。という言葉が
割としっくり来るような、ね。
そして
思うことは、、、
その原因や理由が
“大したこと”であっても、
そうでなくても
辛いときは、辛い。
何かで測れる社会的なダメージとか
人の同情をひけるとか、
そんなのは、関係ない。
時には、そんなことくらいで?と、
笑われてしまうような
些細な変化であっても
くらっちゃう時は、ある。
そんなとき。
自分がどう思うのか、どう感じるのか。
そことしっかり向き合って
感情をしっかり味わう。それしかない。
苦しいけれど、それしかない。
そうやって
頭で心で、身体で、押し問答をして
揺れに揺れたのなら、
どこかのタイミングで
この弱りきった自分を
あぁ、私って本当に
なんてバカで愛おしいんだ。と
マルっと抱きしめてあげられる時があるから。
辛いとき、
打ちひしがれるようなとき、
どこにも吐き出せない
誰かにどうにか助けて欲しいとき。
その痛みは、何度経験しても
大ダメージで、
毎回、これは乗り越えられるのだろうかと、
挫けそうになりながら、
文字通りフラフラでも
なんとか這い上がって来た。
そんな経験や想いを通して
なんだろう、
思うことは、
皆んな、幸せであって欲しい。
言葉にすると、ありふれているのだけれども
今は、幸せが、
すっっごく当たり前の日常。
いつも通り。の流れの中に居ること。
と、
そう再認識出来たからこそ。
おだやかで、今ある時間を
大切に、
苦しみの中に居る人が
少しでも心を軽く
少しでもはやく抜け出せますように。と
ただ、そう思って。
胸に手を当て、
ゆっくり、自分を味わって
私が、私を信じていること。
頭から、身体へと
意識を内側へ滑り込ませてみる。
あれやこれや、
やりたいように。お好きなように。
ゆるゆる、ほぐして
許可して、
ありのまま、そのまま、
ケセラセラと。
うん、
なんか、
そんなこんなをして、生きています。
おわり