【日記】石原 塁のキャンパス日記 #21
“明日の胃もたれよりも今日の課題!?”
珍しくこんな時間にご飯食べてます。
普段9時までに食べ終わる事のが多いのに、今日は『調理学実習』の課題レポートのために料理作ってました。
こんな暑い時期には暑気払いにスパ飯(スパニッシュご飯)でしょ?
って訳で、スペイン料理コーーーース!(fig.1)
ガスパチョ
トルティージャ
ピスト・マンチェゴ(ラタトゥイユ)
パエリア
サングリア
……全て5人前(汗)
(写真ではトルティージャが2.5人前とガスパチョとサングリアは1人前です)
明日の朝も昼も同じメニューになりそうだな……。
手料理食べてくれる彼女募集中!(笑)
……この教科書のガスパチョとラタトゥイユのレシピ、美味しくない……
珍しくこんな時間にご飯食べてます。
普段9時までに食べ終わる事のが多いのに、今日は『調理学実習』の課題レポートのために料理作ってました。
こんな暑い時期には暑気払いにスパ飯(スパニッシュご飯)でしょ?
って訳で、スペイン料理コーーーース!(fig.1)
ガスパチョ
トルティージャ
ピスト・マンチェゴ(ラタトゥイユ)
パエリア
サングリア
……全て5人前(汗)
(写真ではトルティージャが2.5人前とガスパチョとサングリアは1人前です)
明日の朝も昼も同じメニューになりそうだな……。
手料理食べてくれる彼女募集中!(笑)
……この教科書のガスパチョとラタトゥイユのレシピ、美味しくない……
【経済】結末?
合衆国がついにサブプライムから波及した問題を重く見て、経済政策としてテコ入れしましたね。
ただ、株価も下げ止まらないし、市場の$離れからの$安と、投機目的からも原油価格も抑えきれず、そこから来る市場経済の閉塞感……
そろそろ合衆国も行き詰まって来たか?
ただ、株価も下げ止まらないし、市場の$離れからの$安と、投機目的からも原油価格も抑えきれず、そこから来る市場経済の閉塞感……
そろそろ合衆国も行き詰まって来たか?
【教育】教育が危ない
“最後まで裏切らない”
久々の教育コラムです。
何ヶ月ぶりでしょうか?
通っている大学の『情報リテラシー』の課題レポートで、これからの時代における教育理念とその構想を書き綴ってみましたが、イマイチ不完全燃焼していたさなか、大学図書館で面白い本を見つけました。(fig.1)
(たぶん来週返却するので、皆さん見てください。)
論究視点が社会人からの視点しか書かれていないので、学生の視点や、父兄の視点、もしくは企業の採用担当の視点からの考察が知りたい人は、一緒に飲みに行きましょう。
熱く語ります(笑)。
■□■□■□
さて、そのレポートにも書きましたが、某国の国土交通省のお役人のお言葉で『道路建設は国家100年の計』(『……だから、他の目先の利益が上がる部署よりも、道路建設を優先してくれ』の意)と言う発言が有りましたが、貧迫した地方財政や1次、2次産業関係者から酷いバッシングをお受けになって居ましたね。
そこで、敢えて僕もバッシング覚悟で述べるならば、
『道路が国家100年の計ならば、教育は国家200年の計である。』
と申し上げたいですね。
論拠としては、霞ヶ関の暴走による中央集中政権“大きな国政”の崩壊、医療、年金、保険制度の崩壊、食の安全神話の崩壊……などなど、各種の制度崩壊は、国家体制の崩壊であり、同時にその起因になるのは
“教育の崩壊”
だと断言したいです。
ただ、この“教育の崩壊”と一言で言っても、各種の様々な要因が挙げられますが、その一端としては、教育制度の崩壊、教育現場の崩壊、教育環境(家庭環境)の崩壊等が考えられます。
□■□■□■
さて、相変わらず話は飛びますが(いつもの癖ですね)、以前コラムしたように、僕の中の名言として残っている言葉に次の様な物があります。
(国防策として、あえて自衛隊の軍事力放棄に対しての議論で。)
『政治家が理想を語らなくて、誰が理想を語るんだよ?
そんなんだから国民が希望を持てないんでしょ?』
某お笑いコンビのボケ担当の芸能人の名言です。
教育現場もしかりですね。
最近はどこの業界も規制が厳しくなり、ハミダシ者の非品行方正な人は減りましたが、同時に、高い理念を掲げて理想を語れる人も少なくなりましたね。
まあ、時代背景が昔と異なり、世の中がより高効率を求める世界では、管理者に対して求める素養の質も変わって来たのでしょうが、残念ながら、若い志士に対しても、効率を求めるあまり、システムに組み込む事で(形式に当てはめる事で)根本(原動力)となるべき精神性までもが削ぎ落とされてしまっているようです。
これは学校の先生だけでなく、政治家のセンセイにも言えますね。
ただ、僕が恐れているのは、教育と言う将来を担う若い力を育てるべき場所が、予算や効率等を優先するあまり、本来の人材立国である日本の国力の底辺自体が崩れて行くのを憂慮しています。
現代の日本は、鉱物資源も少なく、食料自給率も低く、かつての高度経済成長期の様な勢いも無いため、21世紀だけでなく、22世紀に繋がる国力は国民力しかないと言えます。
残念ながら、国政を担っている先生方だけでなく、国民ひとり一人に至るまで5年後、10年後はなんとか予測出来ても、30年後の自分達すら想像出来なくなっています。
その中で、あえて教育現場(教育制度ではなく)を聖域化する事で、国力の再興を図るしか22世紀、23世紀の日本を救う道は無いでしょう。
■□■□■□
それでは、なぜ教育の聖域化が必要かと言えば、現在の教育基本概念として、『応用力』を求められているのが悪因だと言えます。
確かに『応用力』と言えば耳あたりの良い響きですが、僕には耳障りなプロパガンダ的なキャッチコピーに過ぎないと受け取れます。
もちろんこれは国語、算数などの初等教育科目を考えて貰えば分かりやすいように、『基礎力』が有って始めて『応用力』が活きてきます。
アインシュタインにしても、ニュートンにしても、どんな偉大な発見、発明をした天才にでも言えるのは、シッカリとした『基礎学力』をつんでからの偉大な功績として『応用力』を開花してきました。
ゆとり教育や大学の専門学校化等、社会的批判が大きいのは、やはり『応用力』を急ぐあまり、基礎固めがまったく出来ていない事による歪みの発生だと言えます。
まさに“砂上の楼郭”とはこの事ですね。
□■□■□■
「学問の場は市場経済に左右されてはいけない。」
名言!(自画自賛♪)
僕の掲げる理念です。
以前のコラムでも『深刻な理科離れ』と題して述べましたが、現在の大学制度でも、語学、法学、理学等の基礎学問の領域が大きく欠落してきています。
就職やそれに纏わる技術の修得を急ぐあまり、まさに基礎固めが出来ていない教育現場が目につきます。
学生のうちは、大いに迷い、つまづき、挫折し、もがくのが最終的に大いなる真の『応用力』を開花させる、遠回りの様な最短の近道では無いでしょうか?
その為のいわゆる『詰め込み学習』を私は否定しません。
いざ応用力が試される社会の一線に出てからは、学生時代に培った基礎力“頑張り抜く力”が、例え直接ではなくても、間接的にでも最終的に自分自身の心の支えになります。
■□■□■□
……と言うわけで、学生のみなさん、期末試験の時期ですが、頑張って乗り切って下さい。
今やっている勉強は、絶対にあなた自身を『最後まで裏切らない』真の友達ですから。
社会に出てから挫けそうになっても、今、頑張っている自分自身の姿が、最期にあなたを救ってくれる心の支えになります。
□■□■□■
ついでに言うと、若い可能性を潰そうとする規制システムやセンセイがたに対しては、徹底的に戦います。
朝まで生討論で。(笑)
久々の教育コラムです。
何ヶ月ぶりでしょうか?
通っている大学の『情報リテラシー』の課題レポートで、これからの時代における教育理念とその構想を書き綴ってみましたが、イマイチ不完全燃焼していたさなか、大学図書館で面白い本を見つけました。(fig.1)
(たぶん来週返却するので、皆さん見てください。)
論究視点が社会人からの視点しか書かれていないので、学生の視点や、父兄の視点、もしくは企業の採用担当の視点からの考察が知りたい人は、一緒に飲みに行きましょう。
熱く語ります(笑)。
■□■□■□
さて、そのレポートにも書きましたが、某国の国土交通省のお役人のお言葉で『道路建設は国家100年の計』(『……だから、他の目先の利益が上がる部署よりも、道路建設を優先してくれ』の意)と言う発言が有りましたが、貧迫した地方財政や1次、2次産業関係者から酷いバッシングをお受けになって居ましたね。
そこで、敢えて僕もバッシング覚悟で述べるならば、
『道路が国家100年の計ならば、教育は国家200年の計である。』
と申し上げたいですね。
論拠としては、霞ヶ関の暴走による中央集中政権“大きな国政”の崩壊、医療、年金、保険制度の崩壊、食の安全神話の崩壊……などなど、各種の制度崩壊は、国家体制の崩壊であり、同時にその起因になるのは
“教育の崩壊”
だと断言したいです。
ただ、この“教育の崩壊”と一言で言っても、各種の様々な要因が挙げられますが、その一端としては、教育制度の崩壊、教育現場の崩壊、教育環境(家庭環境)の崩壊等が考えられます。
□■□■□■
さて、相変わらず話は飛びますが(いつもの癖ですね)、以前コラムしたように、僕の中の名言として残っている言葉に次の様な物があります。
(国防策として、あえて自衛隊の軍事力放棄に対しての議論で。)
『政治家が理想を語らなくて、誰が理想を語るんだよ?
そんなんだから国民が希望を持てないんでしょ?』
某お笑いコンビのボケ担当の芸能人の名言です。
教育現場もしかりですね。
最近はどこの業界も規制が厳しくなり、ハミダシ者の非品行方正な人は減りましたが、同時に、高い理念を掲げて理想を語れる人も少なくなりましたね。
まあ、時代背景が昔と異なり、世の中がより高効率を求める世界では、管理者に対して求める素養の質も変わって来たのでしょうが、残念ながら、若い志士に対しても、効率を求めるあまり、システムに組み込む事で(形式に当てはめる事で)根本(原動力)となるべき精神性までもが削ぎ落とされてしまっているようです。
これは学校の先生だけでなく、政治家のセンセイにも言えますね。
ただ、僕が恐れているのは、教育と言う将来を担う若い力を育てるべき場所が、予算や効率等を優先するあまり、本来の人材立国である日本の国力の底辺自体が崩れて行くのを憂慮しています。
現代の日本は、鉱物資源も少なく、食料自給率も低く、かつての高度経済成長期の様な勢いも無いため、21世紀だけでなく、22世紀に繋がる国力は国民力しかないと言えます。
残念ながら、国政を担っている先生方だけでなく、国民ひとり一人に至るまで5年後、10年後はなんとか予測出来ても、30年後の自分達すら想像出来なくなっています。
その中で、あえて教育現場(教育制度ではなく)を聖域化する事で、国力の再興を図るしか22世紀、23世紀の日本を救う道は無いでしょう。
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それでは、なぜ教育の聖域化が必要かと言えば、現在の教育基本概念として、『応用力』を求められているのが悪因だと言えます。
確かに『応用力』と言えば耳あたりの良い響きですが、僕には耳障りなプロパガンダ的なキャッチコピーに過ぎないと受け取れます。
もちろんこれは国語、算数などの初等教育科目を考えて貰えば分かりやすいように、『基礎力』が有って始めて『応用力』が活きてきます。
アインシュタインにしても、ニュートンにしても、どんな偉大な発見、発明をした天才にでも言えるのは、シッカリとした『基礎学力』をつんでからの偉大な功績として『応用力』を開花してきました。
ゆとり教育や大学の専門学校化等、社会的批判が大きいのは、やはり『応用力』を急ぐあまり、基礎固めがまったく出来ていない事による歪みの発生だと言えます。
まさに“砂上の楼郭”とはこの事ですね。
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「学問の場は市場経済に左右されてはいけない。」
名言!(自画自賛♪)
僕の掲げる理念です。
以前のコラムでも『深刻な理科離れ』と題して述べましたが、現在の大学制度でも、語学、法学、理学等の基礎学問の領域が大きく欠落してきています。
就職やそれに纏わる技術の修得を急ぐあまり、まさに基礎固めが出来ていない教育現場が目につきます。
学生のうちは、大いに迷い、つまづき、挫折し、もがくのが最終的に大いなる真の『応用力』を開花させる、遠回りの様な最短の近道では無いでしょうか?
その為のいわゆる『詰め込み学習』を私は否定しません。
いざ応用力が試される社会の一線に出てからは、学生時代に培った基礎力“頑張り抜く力”が、例え直接ではなくても、間接的にでも最終的に自分自身の心の支えになります。
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……と言うわけで、学生のみなさん、期末試験の時期ですが、頑張って乗り切って下さい。
今やっている勉強は、絶対にあなた自身を『最後まで裏切らない』真の友達ですから。
社会に出てから挫けそうになっても、今、頑張っている自分自身の姿が、最期にあなたを救ってくれる心の支えになります。
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ついでに言うと、若い可能性を潰そうとする規制システムやセンセイがたに対しては、徹底的に戦います。
朝まで生討論で。(笑)

