文大統領「5・18卑下・歪曲は民主主義の寛容範囲を超える…「断固たる対応すべき」


文在寅大統領は17日5・18民主化運動に対する極右の歪曲・貶毁とに関連して「5・18を中傷して歪曲する部分については、断固たる対応がなければならないだろう」と明らかにした。

文大統領は同日午前、光州MBC-TVが録画放送した〈5・18 40周年特別企画-文在寅大統領のオイルパル〉に出演して「民主主義の寛容が民主主義を破壊する、さまざまな非難に対してまで認められることはないと思う」、このように述べた。

▶︎許しも真実の上でのみ可能。5・18「残された真実をすべて究明せよ」
文大統領は「法的に整理された事案を今までも歪曲して蔑む発言があり、一部の政界までもそんな主張を受け入れ、拡大再生産することが進められているというのは本当に残念だ」とし「こうした形の輪を断ち切ってこそ、社会がより統合的な社会に進むことができ、政治もより統合的な政治に発展していくことができると信じている」と述べた。

文大統領は「(5・18の)真相をきちんと究明することも、そうした卑下や歪曲をこれ以上なくさせる一つの方法だ」とし「ちょうど今日から5・18真相調査委員会の本格的な調査活動が始まったが、今度こそまだ残っている真実がすべて明らかになることを期待する」と述べた。

例えば「依然として発砲のいわば命令者が誰だったのか、発砲に対する法的な最終責任がどこにあるのか、こうした部分は明らかになっていない」とした。 また「まだ行方が分からず遺体も見つからず、どこかには恐らく密葬されていると推定される集団虐殺者たちを見つけ出すこと、またヘリ射撃までするようになった経緯、さらにそれ以降に大々的に真実を隠ぺいし歪曲した、工作の実状まですべて究明されなければならない」と述べた。

文大統領は「過去の傷が癒されてこそ和解があり、国民統合が実現する」とし「その出発は真実をしっかり究明すること(であり)、その真実の土台の上でのみ和解があり、統合があり得る。 容赦も真実の上でのみ可能だ」と述べた。

5・18民主化運動精神の憲法前文を収録する必要性も重ねて明らかにした。 「私が(2018年3月)発議した改憲案の前文に、5・18民主化運動の理念の継承、これが含まれている」とし「たとえ改憲が挫折したが、今後いつかまた改憲が議論になるなら、憲法前文でその趣旨が必ず蘇らなければならない」と述べた。

▶︎光州の外で光州の真実を一番先に接した人
文大統領は1980年5月、ソウル清凉里警察署留置場で5・18民主化運動のニュースを初めて聞いたという。 文大統領は「私は5・18前日の5月17日に非常戒厳令が拡大し、その日すぐに戒厳布告令違反で拘束された」とし「清凉里警察署留置場に収監されたとき、私を取り調べていた警察官からその知らせを聞いた」と回顧した。

続いて「当時、その警察官たちは戒厳軍が光州に投入されたことについて、非常に批判的な考えを持っていた」とし「戒厳軍の発砲で多くの光州市民が死傷した事実、警察は発砲命令を拒否して鎮圧から排除された事実、市民たちが予備軍や警察武器庫を開いて武器を持って対立している事実、私に警察情報網を通じて上がってくるこのような情報を毎日伝えてくれた」と述べた。

また「私はそのような話を聞いたため、そのような事実が当然すべてマスコミに報道されていると知っていた」とし「後で釈放された後、そのような事実はほとんど報道されず、むしろ反対に暴徒の暴動であるかのように歪曲されている事実を知った」と述べた。 それとともに「私は光州の外ではある意味真っ先に光州の真実、そういうことに接した人の一人と言える」と述べた。

▶︎ソウル駅廻軍に反対する
文大統領は1980年5月、慶熙大学の復学生代表だった自分が、学生運動指導部のいわゆる「ソウル駅回軍」の決定に反対したと振り返った。 光州の惨状が起る3日前の1980年5月15日、ソウルだけで数十万の学生が「全斗煥は辞めろ」「非常戒厳解除しろ」などのスローガンを叫びながらソウル駅広場でデモを行った。 軍隊がデモを強制的に解散させるとの噂が広がると、当日の夜、学生運動指導部は一旦デモを中断し、学校に戻ることを決定するが、これを「ソウル駅回軍」という。 当時、ソウル大総学生会長だったシム・ジェチョル未来統合党議員らが「回軍」を主導したとされる。

文大統領は「私が光州5・18の知らせを聞いた時、「民主化の非常に重要なその道に再び軍が出てきて、軍事独裁を延長しようとしている」その事実に非常に悲痛な心情で、一方で光州市民が経験する途方もない苦痛を聞き、非常に大きな罪悪感を感じた」と述べた。

そして理由を説明した。 文大統領は「80年5月初めから毎日のように、ソウル駅にソウル地域の大学生が集まり民主化を要求する集会・デモを行ったが、それが日増しに数が増えて5月15日には20万人がソウル駅に雲集した」とし「しかしその状況で軍が投入されるだろうというそんな噂が広まったが、すると当時その集会を率いていたソウル地域の各大学の総学生会の会長団が、言うなれば解散を決めた」と回顧した。

続いて「それがいわゆる〈ソウル駅大回軍〉と呼ぶもの」とし「軍が投入できる口実を与えてはならないという名分もあったし、また一方では軍が投入されれば非常に犠牲が大きいはずなので、後で状況が良くなってから再び集まらなければならない、という意見もあったと記憶している」と述べた。

文大統領は「私はその時、その決定に対して反対する立場だった」とし「私はあの時、慶熙大学復学生の代表だったが、私だけでなく、大体復学生グループは言うなれば民主化に進むための最後の関門が軍との対峙であるため、軍が投入されても死即生の覚悟で立ち向かわなければならない、その峠を越えてこそ民主化を成し遂げることができる、そして国際社会が注視している状況なので、ソウル地域で大学生に対して非常に苛酷な鎮圧をするのは容易ではないだろう、そんな考えを持っていた」と説明した。

それとともに「今その時、総学生会長団の決定を非難するつもりは全くないが、とにかく結果的にはソウル地域の大学生たちが毎日ソウル駅に集まって民主化を要求する大々的な集会を行うことで、結局は軍が投入されるそのような口実を作ってやり、結局決定的な時期には退却するという決定を下したことのため、光州市民たちが本当に寂しく戒厳軍と対立することになった」と批判した。

文大統領は「その事実に非常に罪悪感を感じ、私だけでなく光州地域外にいた当時の民主化運動勢力すべてが光州に対する負債意識、それを持ち続けており、その負債意識がその後民主化運動をさらに拡散させ促進させる契機になった」と述べた。

▶︎李明博・朴槿恵政府の5・18記念式卑下
文大統領は就任初年度の2017年、第37周年5・18民主化運動記念式に出席した裏話も語った。 文大統領が当時、記念式の途中、5・18遺族のキム・ソヒョンさんを暖かく慰める場面が、暗い感動を与えてしばらく話題になった。

文大統領は「5・18民主化運動が韓国民主化の歴史で決定的な役割を果たし、今日の大韓民国を作ったと言っても過言ではないのに、李明博政権と朴槿惠政府の時その記念式に大統領らが出席せずに、また、〈あなたのための行進曲〉提唱もできないようにして遺族らが別に記念行事を持つ、そんなふうに5.18記念式が過小評価されるかとことに、実に憤りを感じた。 非常に恥ずかしく、恥ずかしい気持ちだった」と語った。

続いて「私が大統領になれば、5.18民主化運動を光州地域の記念レベルに限らず、大韓民国全体の民主化運動を記念する行事に昇華させ、大統領としても毎年出席できなくても、少なくとも2年に1回は出席し、〈イムのための行進曲〉の斉唱も許可し、それで少しきちんと記念式典を行うというような覚悟を持っていたが、そんな私の覚悟と約束を実践できるようになり、とても満足に思った」と述べた。

▶︎光州を〈拡張〉した盧武鉉弁護士
文大統領は〈5・18したら思い出す人物〉を問う質問に「盧武鉉前大統領、だからその当時の盧武鉉弁護士が一番先に思い出される」とした。

文大統領は「80年代以降、釜山地域の民主化運動は光州を知らせるものだった」とし「光州を知れば知るほど、市民はその当時光州が寂しく孤立して犠牲になったが、それに参加できずにそのまま放置していたその事実に対して大きな負債意識を持つようになり、それが民主化運動の一つの原動力になった」と述べた。

さらに、「6月抗争が起きた87年5月当時、盧武鉉弁護士と私が主導して釜山カトリックセンターで5・18光州ビデオの、いわば観覧会を持った」「映画を上映するように、1日中モニターで、光州ビデオを見せるもの」と回顧した。

文大統領は「そんなことが、釜山地域6月抗争の大きな動力になったと考えて、釜山のカトリックセンターが6月抗争の時、ソウルの明洞聖堂のように自ずと釜山地域の6月抗争を率いる中心地の役割を果たした」「そんなことを一緒にした、その盧武鉉弁護士、光州抗争の主役ではないが、しかし、光州を拡張したそうした人として記憶をしたい」と話した。



チョン・ジェヒョク記者 jhjung@kyunghyang.com
京郷新聞/2020.05.17

 

記事原文はこちらをクリック