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弘法大師空海にまつわる逸話の数々は日本全国、津々浦々に伝えられ、庶民感覚から言えば、「お大師様」と呼んだ方がより身近な存在に感じられることでしょう。書の世界では、空海(774~835)、嵯峨天皇(786~842)、橘逸勢(たちばなの・はやなり/?~842)の3人を三筆と称し、日本を代表する能書家として讃えています。空海の乗り込んだ遣唐船は嵐に巻き込まれ、命からがら福州の海岸に漂着しました。この時、難破しかけた遣唐船に同乗していたのが橘逸勢でした。ところで空海は20年の留学予定を、たった2年で切り上げ勝手に帰国してしまいました。そのため朝廷は空海の入京を認めず謹慎処分となりました。この3年間にわたる謹慎生活を救ったのが、新たに即位した嵯峨天皇でした。空海が唐より持ち帰った経典論書、仏像、曼荼羅などのリスト『請来(しょうらい)目録』には、嵯峨天皇にとっても見逃せない名筆劇蹟も数多く記され、空海が歴史の表舞台に登場する機縁となりました。また空海は唐の都・長安にて唐朝三代の国師と称さる密教の恵果(えか)に師事。恵果は大日如来を意味する「遍照金剛」の法号を空海に授け、後継者を得た安堵感と共に間もなく没しました。そして空海は弟子一千余人を代表し、恵果の偉業を顕彰する碑の撰文揮毫を果たしました。
 三筆の活躍した平安時代初期は、大陸よりもたらされた多様な文物を土台にした国風文化が大きく花開く時代の一大変革期にあたります。奇しき墨縁に結ばれた三筆の書を、王羲之、顔真卿ら晋唐の書と比較検討してみることも、日中書法交流の見識を広げる機縁となることでしょう。

宗像克元(書の編集者)