とにかく不安。
明日の仕事のことを想像すると不安。
怒られることを想像して不安になる。
だけど、怒られることの何が不安なのかを考えてみると案外具体的な懸念事項は思い浮かばない。
ただ、何となく怒られたり注意される場面を想像すると、恐怖、不安、焦り、怒り、悲しみなどの感情や、心臓の重さ、身体の重さ、息苦しさなどの感覚が込み上げてくる。
多分、過去に怒られたり注意された時に、これらの感情や感覚に見舞われたのだと思う。
そして最近、これらの感情や感覚に見舞われることが体感として多い気がするから、余計に臨場感たっぷりに感情や感覚が込み上げて来るんだろう。
だけど、明日、怒られたり注意されるかどうかはわからないし、これらの感情や感覚に見舞われるかどうかはわからない。
実際、別に毎日こんな感情や感覚になってるわけでもない。多少、人よりもこんな感情や感覚に見舞われることは多いかもしれないけど、そうじゃない日も確かにある。
昨日まで、先週までがそうだからと言って明日が同じとは限らない。
自分の浅はかな経験値や予測で、勝手に明日が散々な日になると予想しているだけで、明日がどんな日になるかは明日にならないとわからない。
もし、明日嫌なことがあって散々な日になって、予想してた感情や感覚になったとしたら、美味しいものを爆食いしたりカラオケに行ったり、怒ってきた相手に言い返したり、悪態をついたりしたらいい。
ほとんどの場面で正解を選べないのが当然で、人生において確実に「正解」と言える選択肢なんてどれだけあるんだろう?
だから、間違えるのもミスするのも当たり前で、ミスしたら怒られるのも当たり前。
「当たり前」を当たり前として受け入れることができてないから「しょうがない」と思えず不安になる。
呼吸をすることと同じように当たり前のことなんだと思えたら、怖いとか不安とか過剰に思わないはずだから。
感情や感覚は私にとっては災害と同じ。
いつ来るかわからない、原理も解明できていない、起こってしまったら過ぎ去るのを待つしかない。
だけど、周期や前兆があることは何となくわかってきた。起こってしまった時の避難所の確保、起こってしまった時の対策なども考えられるようになってきた。
理解不能、対処不可能だったものが、必ずしもそうではなくなってきた。
今日みたいに不安な日は、私の人生において数えきれないほど発生してきた。
そして、そんな日でも生きてきたから今の私がいる。
だから、なんだかんだ明日も生きることができるんだろうと思う。
根拠も理由もなく不安になるなら、根拠も理由もなく安心してもおかしくない。
実際、今日まで生きてきて楽しい日もあったのだから、明日がそんなに酷い日にならない可能性も大いにある。
と、いうことで日曜の夜の不安を文章にしてみたらこんな感じになりました。
回りくどいけど、結局未来なんて誰にもわからないし、幸せも不幸も一生続くことはない。
そして、感情の波に飲まれて苦しいことばかりをピックアップしてしまうけど、それと同じくらいかそれ以上に、心地いいこと・楽しいこと・幸せなこと・満足してることもピックアップしていかないと。