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凡夫の戯言 tomoのブログ

凡夫ことtomoです

心理カウンセラー等とおこがましく名乗っておりましたが、この度肩書きを凡夫と改めさせて頂きました

わたしは「凡庸なる士夫」で、道理を知らぬもの

道理知らぬなりに道を求めて、そこで観聴きした事、感じたことを書けたらなぁと思っています


 前回は私たちは自分を変えたい、そのために行動を変えたい、と思ってもなかなか変えることができず、苦しむ、悩むという事がありますね

それは私たちを支配している支配者である無意識にどうも原因があるようです
っていう感じで書きました

今回はその無意識って大雑把にいうとこんな感ってことについて書きたいと思います 

 結論を言えば、無意識は私の感情、思考、行動の支配者です

身体活動はもちろん、精神活動、つまり感情や思考ですらこの無意識にあらがう事はできません

 言ってみれば私が見たり聞いたり、観察したりできない、知る事ができない、無意識の中身が表面化したのが私の感情、思考、行動なわけです

 無意識とはまた言い方を変えれば、出来事に対応して起こった感情、思考、行動が「クセ化」し、その「クセ」を貯蔵した場所とも言えます 

 この「クセ」は身体の動き、つまり身体運動、活動もそうだし、感情や考え、つまり思考など心の動きも「クセ」といえます

 私が起こす身体活動などの外的体験も、考え、感情などの内的体験もそのほぼほぼが無意識によって支配され、形作られているのです 

 なので、行動(内的も外的も両方)を変えるには、無意識に蓄えられた中身「クセ」を変えないと、変わらない訳です 

 これから、そんな話を以下の構成で進めて行きます

 ①無意識とは大雑把にいうと こんな感じ
↓↓↓ 
②無意識は大きく2種類に分けられる↓↓↓ 
③無意識はこんな形で私たちに影響を与える
↓↓↓ 
④無意識の出来上がり方 
↓↓↓ 
⑤無意識の変え方 
↓↓↓ 
⑥無意識が変わるとこうなる 

 みたいな感じで話を進めたいと思います 

 ちなみにお断りしておきますが、これからの話は私の体験に基づいて、私の考えを述べる一人称のものです

 複数人に実験をしてコレコレこうでした、、、というものではありませんから(そういうエビデンスをご紹介はしますが)、私のこれから書くことの正誤を問われても、私は返答をお返し出来ません 

私にとっての正が、貴方様にとって正か誤かは私には計り知れない事で、貴方様にとって正か誤かは貴方様自身しか解らないので、そういった旨をご了承ください 

 では、さっそく

 ①無意識とは大雑把にいうと、、、から 

 無意識と言うと皆さんはどんなイメージでしょうか? 

 「無意識に言ってしまった、やってしまった」 

「感情が抑えられない、なんでこんなこと考えちゃうんだろう?」 

 これは頻繁なことですか?それともそういう事は、あまり起こらないこととでしょうか? 

 私たちの言っていること、やっていること、感じていること、考えていること、これらのほとんど全て、95%以上は無意識の支配によるといわれています 

 有名な氷山の例えがありますね 

 氷山というのは海上に出ているのは全体のほんの数パーセントで、そのほとんどは水面下にある 

 その海面上に見えているのがいわば意識で、沈んでいるのが無意識というもの

 意識とは自分がこう感じている、こう考えているなど確認した自分からアクセスできるし、コントロール可能なもの

 無意識とは自分から見えないし、アクセスしようとしてもできない領域といえる訳です

 しかしながら無意識の機能は絶大で、その役割がないとしたら人間は大変です 

 例えば歩くこと
身体活動のあやゆることは無意識によって自動化されてスムーズに行きます

もし、無意識の働きがなかったら毎日が赤ちゃんの様にヨチヨチ歩きになってしまいます 

 食事にしたって、文字を書くのだって、無意識によって自動的にスムーズに行う事ができます 
 
 試しにご自分の名前を利き腕と反対で書いてみて下さい 

はい、 利き腕も比較してどうでしたか? 

一言で言うと書きづらかったのではないでしょうか 

 利き腕で書くのは、繰り返し書いてきたという動作学習が無意識に書き込まれた為に、ほぼ自動的にスムーズに行く訳です

 利き腕と反対の手で書くのはほぼ意識的にそれをしないといけないわけです 

 線を一本引く方向、文字の形、バランスなど様々な事を意識しながら調整しながら書かれたと思います

 利き腕で書く時はこれら全て無意識に蓄積された「クセ」という情報が自動的に処理をして、いちいち意識しなくても良かったわけです 

 こういう事を私の日常の日々中でほとんど無意識がやってくれてます 

 起きて、顔洗って、歯を磨いて、食事して、トイレ行って、仕事して、、、、

これらをいちいち意識でしていたら日々がヘトヘト、生きていく事はメッチャ大変です 

 無意識を語る上で
「人間に自由意志はあるか?」論争というのがあるそうで、取り上げてみます

 簡単にいえば人は行動の全てを自分の意思によってコントロール出来るか?
というものです 

 それに関して、ベンジャミン・リベットという神経生理学者が行った実験があります

 脳の電気信号を測定する装置を、実験の参加者に取りつけるそして参加者に手首を動かしてもらい、その時の脳の電気信号を測定

 人間は、体を動かすときには、実際に動く少し前に、筋肉を動かす指令としての電気信号が、脳から出ることは以前から知られていました 

 なので、常識的に考えると、次のような順番で現象が起こると予想されていたのです

①手首を動かそうと意識する
②脳が手首を動かすための電気信号を出す③手首が実際に動く 

 ですよね手首を動かそうと意識してから、脳が電気信号を出し、手首が動く

 私も当然このような結果になると思います 

 しかし実験の結果、予想外のことが起きたのです 

①脳が手首を動かすための電気信号を出す②手首を動かそうと意識する 
③手首が実際に動く 

 えっ❗❓

どういうこと❓
①と②が逆じゃね❓

手首を動かそうと「意識」するより前に、脳から手首を動かすための電気信号が出ていた 

 これはいったいどういうことでしょうか?

 つまり手首を動かそうと人が「意識」する前に、すでに手首が動くことは決まっていた、ということになります 

 手首を動かそうと「意識」したから手首が動いたのではない、ということ

 この結果は世界に衝撃を与えました 

 この実験結果から分かったことは、自分の意思で手首を動かそうと思ったから手首が動いた、という普段人間が感じている感覚は、錯覚だったということ 

 その意思「意識」より前に、「無意識的」な何かによって手首が動くことは決まっていて、決められていてもうその指令が脳から出ている 

 そして、その手首が動く過程の途中で、意識が「動かそう」と後追いしている 

「意識」が筋肉を動かし、身体を動かすことを決めているわけではなく、自動的で「無意識的」な何かで、すでに身体が動くことは決まっていた 

 これは実験からそれは紛れもない事実になりました 

 要は我々の行動は、無意識がまず決定し、動きが起こり、その動きを後追いで意識が認識、キャッチしている 

 もうひとつ面白い事実があります 

 私たちの意識は現実から0.5秒程度遅れているというもの 

 簡単にいうと、衛星放送とかで、こちらからの呼びかけに相手の反応が少し遅れて帰ってするでしょ 

実際に起こっている事からカメラが受信して、電波とかに乗って離れた所に映像が映るまでに相応の時間がかかる

 あんな感じです現実に出来事が起きて、私たちはそれをまず五感(眼耳鼻舌身)で受信、その刺激が脳に伝わって、そして意識となる 

 猫が「ニャー」って現実で泣いて0.5秒してから 

あっ、「タマ、ニャーって泣いたな」(´❛-❛`)って意識が捉えるわけ 

言い方を変えると、私たちの意識している0.5秒前に現実は終わってる訳

 えっ❗❓

やっぱおかしくない❓

例えば、野球でピッチャーが160km/時の球を投げると、球が手から離れてから約0.4秒でキャッチャーミットに入るそうな 

 つまり、バッターはピッチャーの手からボールが離れるのを見てから打撃動作を起こすと❓

 ピッチャーが投げた❗❗って意識で確認した時には現実に投げた時から0.5秒たってるから既にボールはキャッチャーミットにある訳 

 だから論理的には絶対打てない 

 なのに実際には打てるわけね 

 なぜ❓ 

 これが無意識の働き 
 
 無意識は今までに繰り返された学習によって、様々な予測を立てて、絶妙に筋肉をコントロールする司令を出して、160km/hの球を真芯に当ててホームランにしちゃう 

 ものすごく優秀なんです❗❗

 で、優秀であるが故に、「無意識」ってヤツはこんな事も、あんな事も、いろいろと起こってくる的なお話を次回以降していけたらって思います

素晴らしくも、やっかいな「無意識」な話はまだ続くよ(´・o・`)

今回もお読み頂いてありがとうございます🙏🏻
皆さんどうぞご自愛くださいますように
感謝🙏