ご無沙汰しております。

前回ブログを書いてから

もう1年以上過ぎてしまいました。


平凡な1人の人間の人生の中で

この1年が本当に苦しく

もがいていたように感じます。


このブログは、私の心のモヤモヤを

吐き出しているだけのものです。

長くなります。

読んでいて不快になられたらごめんなさい。


10月に母を亡くし

仕事が手に付かない

全く身の入らない日々が続いていましたが

先日、百カ日の法要を終え

少しずつですが

自分を取り戻せてきているように思います。


母は、気遣いの人で

他人を否定することがなく

いつもニコニコしていて

誰にでも親切だったので

友人がとても多かったんです。

葬儀の時には、家族葬でしたが

多くの友人が最後の挨拶に来て

涙を流してくれました。


母は、結婚してから

とても苦労をしてきました。

私が高校生の時に

祖母や小姑からのいじめや

それを見て見ぬ振りする父のことを

初めて打ち明けられました。

それでも、私たちのためにと、我慢して

苦労を人に見せない暮らしをしてくれていました。


8月に突然母から

咳が止まらなくなったと連絡がありました。

大きい病院を紹介されているから

連れて行って欲しいと。


検査の結果は

肺がんステージ4でした。


こんなになるまで

苦しいことも我慢して

いつもそばにいた父が気がつかなかったことに

強い怒りを覚えました。


リンパにも転移していて

手術ができなかったので

入院して抗がん剤の治療が始まり

その副作用は本当に苦しいもので

みるみる痩せて

たった2週間で歩くことも

ままならなくなりました。

それでも病院は退院を決め

母は、我が家ではなく

父の待つ自宅へ帰ることを望みました。


自宅でも抗がん剤の飲み薬が必要だったため

その副作用で食事が喉を通りづらく

ふらついて、ゆっくりでないと

歩けない状態でした

けれど、父は母の辛さやしんどさを理解せず

家事をさせ

体が辛いからと横になっていれば

寝てばかりいないで動けと

心無い言葉をかけていて

昼間に母から、父がわかってくれず辛いと

電話があるほどでした。

私の仕事中に、電話をかけてくることなど

これまではありませんでした。


私は毎日、食事を届けるたびに

母に、我が家に行こうと話をしていましたが

父に気を遣ってか

首を縦に貼りませんでした。

今思えば

退院後に無理やりにでも

我が家に連れてきていればよかったと

後悔しています。


9月に、自宅で母が転倒し肩を脱臼しました。

後から母に聞いたのですが

父に、病院に連れて行って欲しいと

訴えたそうですが

父は、友人が来ているから奥の部屋で寝てろと

母を2時間も奥の部屋に追いやって

自分は友人と歓談していたそうです。


夕方、父から、仕事の帰りに

早めに寄って欲しいと連絡があり

母の様子を見て

放置されていた話を聞き

あまりの酷さに、父を怒鳴りつけました。

そして母を連れ、すぐに救急病院に向かい

脱臼の処置をしてもらったあと

我が家に連れてきました。


それから亡くなるまでの1ヶ月間は

母と一緒に

回復の希望を持って、笑顔を取り戻して

暮らすことができたように思います。

母が好きな食事や和菓子を作り

元気になったら、あちこち旅行しようと

前向きな話ばかりしていました。


母は

やはり長年連れ添った夫である父のことを

ひどい人であっても、気にかけていて

時々は、私と一緒に

食事を届けに行くこともありました。


そして、その時は突然きました。

直前まで笑って話していた母が

突然倒れ

そのまま帰らぬ人となりました。

なんの前触れもありませんでした。

とてもとてもショックでした。

救急車の音と、医師の最後の言葉と…

その時の光景は、いつまでも私の頭から離れません。

けれど

私が仕事に出ている時でなくてよかった

私がそばにいた時で良かったと

ひとりぼっちで亡くらなずによかったと

思っています。


母を失った父が

今更ながら、母の存在の大切さに気がついて

辛い日々を送っています。

あんなに強気で、傲慢だった父も

急に小さなおじいさんになり

物忘れもひどくなってきています。

今は、父に食事を届けながら

母のいる仏壇に話しかけに行くという

毎日を送っています。


私は、母に厳しく自分のわがままばかりを

押し通してきた父が

憎くて憎くて仕方がなかった。

今も、近所の人たちや

母の友人に支えられながら暮らしていますが

感謝をすることを知らず

文句を聞かされることが多いので

父を怒ることも増えています。

物忘れのひどいおじいさんに

なってしまったけれど

それでもまだ憎い気持ちが出てきてしまいます。


母のように

感謝を忘れない、心の広い人間になりたいと

反省の日々です。