今日はコーチングと”レフェリング”についての関係性を書きます。

 

僕は4年間高校生の指導をしていましたが、高校生の団体競技ではコーチが他校同士の試合の審判をすることが非常に多いです。

なかなか審判をボランティア(職業外)でやってくれる方や、それを職業とする方は人数が確保できないので、たくさんの学校を同一会場に集めて、監督・コーチつまり各校の教員の方達がローテーションして笛をくわえています。

 

もちろん、高校レベルであっても公式戦の審判をするには、資格が必要です。つまり、教員になってそのスポーツの指導を行うには、資格を取って審判として協力することが暗黙の了解となっているのです。

 

でも、この2つはお互いにとって、とても好影響を与えたと感じています。

 

①レフェリング→コーチング

判定の基準を正しく知ることは、自分が指導をするときには明確な基準になります。また、試合の流れを構成する上で判定は非常に需要な要素になるので、試合中の指示にも深みが出ました。

 

②コーチング→レフェリング

こちらはもしかしたら意外かもしれません。指導経験は、監督・コーチの試合中の感情が想像しやすくなったり、プレーする選手とコミュニケーションをとる距離感・タイミングに変化をもたらしました。審判をしている時は判定の可否よりもいかに自分の判断が”納得できる”ように関係性を作ることを第一に考え試合後には両監督から的確なアドバイスをいただいて、それをまた自分の指導に落とし込む、という好循環を生むこともできました。

また、ベテラン監督はこうおっしゃっていました。

「指導経験のない人の判定は、ただのルールブックだ。」

ルールの範疇を破ってはいけないけれど、高校生が一生懸命練習してきたんだろうな、というプレーに冷徹に細かな反則を取っているようでは、教育にならない。そういう教師としての指導者や、学生としての選手を試合中も感じることが大事だと教えてくださりました。この一言に全てが詰まっていると思います。

 

指導をこの世界で始めた当初は「審判までやらなきゃいけないのか…」と正直思ったこともありますが、タメになったことは間違いありません。やはり、やる意味のない仕事なんてないですね!社会人としても何でもチャレンジして頑張ります!!!

長らく寄稿をやめてしまいました、反省します...!

 

今日は自分がなぜ指導をしていたか、すごく根本的なお話をしようと思います。

 

これを振り返るきっかけになる言葉がありました。

「大きなことを成し遂げた人」が後輩に指導をしたくなるのではなく、「自分の可能性が、過去ほど無くなった」と思った人が後輩に指導をしたくなる。

すごくネガティブに聞こえると思いますが、結論から申しますとこれは大正解だと思います。

 

自分に当てはめて考えてみると、高校時代の怪我を理由に指導を始めたと思いきや、実際怪我がなくても僕はとても不器用だったので、同様の動機を持っていたはずです。だから怪我のせいにしませんし、したくありません。

だから僕は「なぜ指導をしているの?」と聞かれたら「選手全員俺の身代わりなんだ」と答えていました。僕の指導した選手は本当に器用で僕にはできないような華麗かつ泥臭いプレーをしてくれていました。僕の不器用な1つの体で数得点取るよりも、何十人の選手たちに身代わりとして託して、彼らが何十、何百も得点をあげていると、本当に嬉しい気持ちになります。こんな不器用な僕にも、得点する喜びや体を張ってディフェンスする勇ましさを教えてくれた、選手たちには大感謝です。

 

一方、後輩の指導をしたくない、気が向かない、という選手や選手経験者がいますが、これはこれで仕方のないことです。「●●はあれだけ名選手だったんだから、監督になればいいのに。」「●●くんはとても上手なのに、後輩に指導しているところを見たことがないな。責任感がないのかな。」こんなのはお節介なんです。

もちろん名選手が指導者になった方が新しい価値を作り出せると思いますし、説得力は高いですが、指導はそもそも「教えてあげる」行為ではなく「共に戦う」行為なのでモチベーションは100%フルマックスでないと、持ちません

後輩に指導をすることよりも、自分の目標達成が他に必ずあるので、それを応援してあげるべきだと思います。

チームプレーをする上で、選手が指導者やチームメイトに対して”主張”をすることはどこまで必要でしょうか?

 

結論から言うと、真剣に勝利を目指す集団であれば絶対に必要です。「おかしい」と思ったことは口に出して納得してからプレーをするべきですし、そこで新たな問題点を見つけ出し、さらなるチームの改善も見込めます。

ここが、楽しくスポーツをするサークルチームと、勝利を第一に考える過程でプレーする体育会・プロのチームの違いと断言できます。

 

ただ、”主張”にはチーム全体の協力が必要になります。

 

①指導者が”主張”をしやすい雰囲気を作る

そもそもチームの指針を決定する指導者が、選手から常に「声」を聞く態勢を作るべきです。言ってもいいんだ、という雰囲気を作ります。特に指示の出し方は注意が必要です。命令形の指示を続けると、選手は萎縮し声を上げにくくなります。

 

②”主張”に対して黙らない

チームメイト全体はその”主張”を必要なことだと認識をし、受け入れたらそれに対して黙っていてはいけません。同意であっても反対であってもその意見に対して、何かしら言葉を返すべきです。

 

③”主張”したぶん”主張”を受け入れる

これが最後にして、最も大事で、最も難しいです。何かを”主張”し、それに対して返ってきたものに対しては必ず聞き入れます。これができれば、感情的にならず建設的な議論がすごく活発になります。

 

そもそも、私たち日本人は非言語のコミュニケーションの量が少なく、「間」で理解しようとする人種です。しかし、これはスポーツでは短所になってしまい、組織としてまとまりや対応力がないのが、ボールゲームで日本が世界に差をつけられている原因なのです。

 

フェルナンド・トーレスやイニエスタといった選手たちがJリーグに来て口を揃えて言ったのは「自分に何をしてほしいかわからない」だそうです。逆に要求は聞き入れるぞ、自分はトップレベルだったけど下に見たり無視したりしないぞ、という姿勢が見えます。

欧米の選手たちは、はたから見ていると叫んで文句ばかり言っているように見えますが、実は日本人よりも”聞き入れる”態度が優れているんですね。。

 

また、欧米ではプレー中にベンチの監督に向かって「お前は何を考えてるんだ?」「プランはないのか?」と言って喧嘩になることも普通だそうで…自分の”命令”のコーチングがいかに楽をしていたか痛感させられました。

 

在宅が続いていて双方向のコミュニケーションが減っていますが、いざ人がたくさんいるところに戻った時に「空気」の読みすぎも注意!!と、そんなことを家で考えてまた明日に向けて準備しようかな〜と思ってます(^^)

指導者というのは常に選手に向けてアウトプットを続けていくわけなので、インプットがなければ話になりません。

「学ばざる者、教えるべからず」

僕の座右の銘でもある、この言葉、あるサッカー指導者の言葉です。指導者は自分を指導してくれる人がいないにも関わらず、新しい知識や価値観を獲得すべく、自ら動かなくてはいけないのです。

 

とはいえ、基本的に「やるべきこと」がなければ何も生産性がない時間を過ごしてしまいがちな性格、それが僕です。

例えば、意味もなくインスタを眺めたり、時間が確保できるときに限って写真の整理を始めてしまったり…

これくらいならいいのですが、指導現場でも声を掛けるべきタイミングで腰が上がらなかったり、そもそも競技の研究や練習の準備を妥協してしまったり。こう影響が出ると最悪です。

 

こういうときに自分に言い聞かせるように使っていたのが「明日死ぬ作戦」です。

すごく言葉の響きは悪いですが、一瞬にして思考を逆転できる魔法の言葉でもあります。この作戦の方法はいたって簡単。「明日この世から去ってしまう」と想像するのです。

 

最後の1日となれば、今日という1日を中途半端に過ごせませんし、明日に向けて後悔のないように全力で生きようとなるはずです。

 

というのも、僕は高校時代、2度の手術を経験する大怪我に見舞われたことがあります。このとき結果を出せなかった後悔や練習が水の泡になった後悔よりも、「なぜあそこでもう1歩のところでやめてしまったんだ…」と妥協してしまった物事ばかり思い出して後悔していました。

怪我をしてしまったこと自体は仕方ないと割り切れても、やりきれなかった後悔はずっと残ります。。。

 

そんな、選手として2度も死んでしまった過去があるからこそ、自分には「死んだふり作戦」が効果的なのかもしれませんが、どんな存在であっても「死んで」から気づくのでは遅いです。気づけるときに100%にギアチェンジして、コロナによる厳しい環境下でもポジティブに過ごしていきましょう!

 

今日は僕がこのブログをやっている意味にも通じるところをお話していきます。

 

「スポーツ」「学問」

この2つを並べるとどういったイメージが出てくるでしょうか?

 

なんだか対照的な構図を描いた人が多いのではないでしょうか?

小さい頃からクラスの中で運動神経がいい「スポーツ」派と勉強ができる「学問」の二極化してしまうのは、僕が通ってきた学校だけではないでしょう。

 

僕は、小学生の時は勉強を少し頑張って、でも机にだけ向かっている自分が好きではなかったので「中学からは運動頑張ってやるぞ〜!」と意気揚々とスポーツに興じ始めました。つまり、いわゆる「スポーツ派」も「学問派」も両方経験した(つもり)です。

 

スポーツは個人単位、チーム単位、国単位、世界単位…で切磋琢磨することで発展しています。この競争の中で日に日に進化していることは間違いないでしょう。
個人競技で新記録が年々更新されたり、団体競技で新たなチームが次々と世界で驚かせる存在となっていることが代表的な例です。
 

そんな今、僕はこのスポーツの発展は「学問」のおかげだと確信しています。

何も、科学とか医学とか専門的なことを言っているのではありません。それよりももっと広く「学問」は”現状の改善・向上のために変化や学習した努力を残したカタチ”全てのことと定義できるのではないでしょうか。スポーツに関わる人は誰でも、昨日より上手くなろう、強くなろうと”努力”をしています。だから後の人たちに試行錯誤した結果の成功や失敗、ノウハウ、システム、、、の過程を言葉にして残すことで、初めて”努力”がカタチになって、それを土台に次の世代の人たちがまたまたさらなる発展をしてくれるわけです。逆に誰も言葉に残さなければ、スポーツはより良いものになっていかないわけです。

 

だからスポーツに関わる全ての人に僕は”言葉”に残すススメをしたいです!

素晴らしい努力を”言葉”として残し、出し合うことで大きな発展を呼びませんか!ここにカテゴリーや戦績の世界は関係ありません。

 

僕がこのブログでこんなことをわざわざ字に起こしているのは、今後の自分の積み重ねの土台を整理するのが1番の目的です。でもこんなちっぽけな存在でも、何か残して「学問」として残せるんじゃないか、と考えているところもすこーしあります!

 

もっと、たくさんの人にとって「学問」になるような内容が書ける人になりたいですね…!

私は自分のアイデアが必要なとき、付箋を使用して行なっています。

今まで利用したシーンを紹介していきたいと思います!

まず1つ目は「自分の指導者としての方向性を決めるとき」!


僕は月に一度”ひとり反省会”を行います。特に、春の大事な試合のあとは自分のモチベーションも下向きになりがちなので、時間をかけてやっていました。
「自分はどうしたいのか?」「なんのためにやって来たのか?」「じゃあ今回はなぜ結果が出なかったのか」「どうやればチームは向上するのか」…挙げたらキリがありませんが、こういったことは列挙し、最終的に今日から自分は何をするべきなのか、を具現化することが大事です。

いろんな方法をトライしましたが、ある年に行なった付箋を利用したワークが記録に残っていて、今後の自分にとっても指針になりそうなので画像として載せておきます。(今見ると改善点はたくさんありますが、あえてこのまま!笑)

 

どんな風にやったかと言うと…

①まず「自分のなりたい像」をとにかく言葉にする!

それぞれバラバラに自分の理想の姿を付箋で列挙しました。

②カテゴライズする
似たもの同士まとめます。そしてそのカテゴリーに名前をつけます。

③具体性を統一する

具体➖抽象でレベル分けします。下に行けば行くほど具体的になるように図を作っていきます。


これを見ると、下に行けばいくほど(具体的になればなるほど)、自分が実際にアクションに変えるべきものが明らかになっていきますし、上に行けば行くほど(抽象的になればなるほど)自分が路頭に迷ったとき、方向性を示してくれるものになります。


僕は論理的に順序立てて物を考えるのが苦手ですが、付箋をつなぎ合わせることでそれぞれの思考が繋がり整理できるようになったと思います!

僕もこの#STAYHOMEの時間を使って、もう一度この表を作り直してみようかな…と考えています!是非みなさんも付箋ワーク、やってみましょう!
 

一昨日、「実は苦手なこと」として挙げたうちのもう1つ、”起こらなかった事象”を知ることについてです。

 

私たちは何か新しく起きるようになったことはすぐに感じ取れますが、起こらなくなったことについて看過しがちになるんです。

 

例えば、試合が終わった時に得点や失点、大きなミス等はよく印象には残っていますが、誰が積極的に攻撃していないとか、使わなかった攻撃のバリエーション、何かを改善したことによって消えてしまった長所など…なかなか印象に残りにくいですよね。

 

現代サッカーでは、最近パスサッカーが重視されすぎてドリブルが無くなっていることをみんな気づいてないんじゃないか?となって、もう一度ドリブルを重視する風潮が来そうです。

パスサッカーが進化していく中で無くなってしまったものに気づくのに、トップレベルですらなんと10年以上かかっているんですね。

 

メディアにおいても、常に何か”起こったこと”で人々は騒ぎますよね。「今日は殺人事件がありませんでした」なんてニュースは見ません。

 

この人間の欠点を補助してくれる具体的な手段としては【データ】が効果的です。データは客観的な知見を私たちに与えてくれます。数字は自分の理論を裏付けてくれる上に新たな気づきを与えてくれる側面がありますからね。
ただし!データは自分で何か指標を設定しないと可視化することができないので、どういう測定値を設定し、またその数値から関係性をどのように見つけるか、運用する人の判断に依存してしまうので、「こんなの意味あるかな?」というデータを測ってみたりと、データを使うときも先入観を持たずにより広い視点で競技を見ることが大事ですね!

 

最後に余談ですが…人間はこうやって過去に起きなかったことを省みるのは苦手ですが、未来の「起こらないこと」は人間は考えるのが得意(ついつい考えてしまうの)です。ついつい不安な気持ちは広がってしまいがちですが、不安に思っていることの80%は起こらないことだそうです。矛盾していますが、これは納得です。

 

今回扱った”起こらなかったこと”もまた、自分たちの苦手なこととして理解して、少しでも意識していきましょう!

昨日の記事を書きながら思い出したのは、僕が指導者として参考にしていた【ラミレスノート】です。

これは、現DeNAベイスターズ監督のアレックス・ラミレスがつけているノートです。
内容としては見つけた選手の長所”だけ”ひたすら書いていくものです。

なぜこんなものを書いているのか?プロなのにちょっと楽観的すぎないか?

その理由は2つあるようです。

①人は長所でしか輝けないから
 チームスポーツで勝負するとき、いかに自分たちのいいところを前面に出せるか、それを相手の弱点に突け込めるか、が結果的に弱点を見せずに勝負を決定づけることに繋がります。つまり長所を伸ばすことこそ、短所の補強そして全体の戦力向上に繋がるということです。
 そして、どうにもならない時やピンチの時こそこのノートが効力を発揮します。どうやって現状を打開するべきか悩んでいる時には、選手の長所でこそ打開できるんだというのがラミレス監督の理論なんですね。実際に彼は経験よりも得意・不得意をデータで可視化して、一見奇をてらった、でも根拠がしっかりしている起用をして周りをあっと驚かせます。

他にも僕がインターハイ優勝校の監督にお話をうかがった際、同様のことをおっしゃっていました。
「今僕らが知ってる大企業は多方面にそこそこやっているところより、自分たちの強いところだけに絞って頑張ってる。苦手を克服して大企業になったとこなんてほとんどなくないか?」
こう言われてハッとしたことを今でも覚えています。

②集中して労力をかけないと人の長所は見つからない。
 昨日書いたことと完全に通じることですね。いいところを見つけるのはそもそも全人類の苦手分野なので、パワーが必要だということをラミレス監督も自覚しているんです。
 なんとなくで把握していそうなことでも言葉に起こす時に具体的なワードが出てこなければ、その選手の起用法は明確になりませんし、そもそも選手の本質を理解していないことになります。

やはりここでも言語化の重要性を思い知らされました。頭の中の考えを言葉にし、整理し、それを次のアクションへつなげていく。まさにこのブログを通して自分が取り組んでいることなので、まだまだ頑張っていこうと思います!

指導をする時に頭の片隅に置いておくといいな、と思った2つ”人が苦手なこと”から話を広げていこうと思います。

いいところを見つける
人間は他人のいいところを見つけるのが難しいそうです。というのも、狩猟民族の時に外の危険を早く察知するために、敵を見つけるために人の悪いところを先に見る本能だそうです。

起きなかった事象を見つける
人は何かが起きたり、新しい出来事を目の当たりにすると違和感を覚え、すぐに気づくことはできても、何かが消えたり起きなくなった出来事に対して気づくことが非常に苦手だそうです。

この2つはスポーツにおいて非常に密接な関係だと言えると思います。
指導者としてある選手もしくはチームに関わるとき、「上達した」「ミスがなくなった」と捉えるよりも新たなエラーや修正しきれていない問題点にばかり目がいってしまうことはよくあります。

特に「いいところ」に関して言及します。

でも選手からしたら一生懸命練習をして、できなかったことができるようになっているかどうか、評価をしてもらいたいものなので、それをいかに見つけ出せるか、これをできるかどうかは確実に指導者として重要な基準ですね。

これはどうやらスポーツ関係なく恋愛・人生観にも繋がるようで…
独自の恋愛観を綴るTwitterが人気の謎の主婦、DJあおいさんという方のコラムにも
評論家体質・人を変えようとする人は人の悪いところに目がいき、対してプレイヤー体質・自分自身が変わろうとする人は人のいいところに目がいく
ということが書かれています。(https://townwork.net/magazine/serial/c_djaoi/18687/)

こう見ると、人の悪いところを見てしまうのは実は全体を見て人の指導をする指導者としてある程度必要な素質でありながら、指導者自らも変わろうとすることを頭に入れておくべきだということが学べますね。

でもやっぱり!自分で意識をすることには限界があるので、仲間の指導者との意見交換は必須ですよね。
僕は1人でやることに意地になっていました…指導者として自分に意見をくれる人がいればそれだけで同じ選手の見方のバリエーションが倍になった、と考えるともう1人欲しかったな、という思いがあります。正直、違う意見を突きつけられるのが怖かったんだと思いますが、違う意見こそ聞く価値があったのに勿体無いなあ…

自分も人間として苦手なことを自覚した上で、物事を見るというのは大きく視野を広げることになりそうですよね!ほかにも皆さんの苦手なところがプレーや指導に及ぼす影響があれば、教えてください!

昨日のテーマである、”ギャップ”の続きについてお話します。

 

昨日は「トレーニング前のイメージと進度のギャップ」について、今日は「練習と試合のギャップ」についてです。

 

練習でこの選手はこれくらいできる

→それを全て掛け合わせてチーム全体でこれくらいできる

→だから試合では相手に対してこれぐらいできる

こうやって指導者は試合に向けて計算をすると思います。

 

しかしながら、練習における理想形は試合には通じない、というのは断言できます。

僕は指導者を始めた頃、練習と試合のパフォーマンスの違いを目の当たりにして、「正直練習してきたことがここまでできないか…」と試合中に僕自身が途方に暮れてしまうこともありました。

 

この時に一緒に指揮をとっていた、監督言われた言葉が忘れられません。

「試合なんて30%出ればいい方だ」

この言葉に救われるとともに、どんな相手であろうと試合は楽観視せずトレーニングを積まなきゃいけないな、と身が引き締まる思いになりました。

 

今思うと、試合で理想を追い求めすぎることは、自分がコンスタントに実戦に出ていたわけではないが故の障壁だと思います。つまり軸としていた「下手くその味方」という方針に振り切りすぎていたことで、出場する選手に寄り添えていない部分があったのだと思います。

 

プロスポーツの世界には、無名だった選手が名称として競技の発展に大きく貢献するパターンはよくあります。

また、アマチュアの世界であっても、学校の事情で教員は自分が経験していない競技を受け持つこともあります。それでもトップレベルの指導者になっている人を何人も見ています。

こういった方々が、「出場する選手のメンタルを理解するためにやっていること」はすごく気になります。

このブログを見た人は、試合中に指導者として気をつけていること、または選手として指導者に不満に思ったこと、ありがたかったことなど教えてください!


2日間に渡って、同じキーワードでお話をしましたが、向上心を持ちながら、余裕が無くなった時には何時も「求めすぎない」という結論にしておきましょう!

 

では!