年明けて2月頃退院して自宅に戻ってきたお母さんは入院前と比べて元気になってた。

だからてっきり余命宣告なんて先生の間違いだったんだって思った。

毎日朝早起きしてお味噌汁作って食べて、毎日お見送りしてくれた。

うれしかった。本当にうれしかった。

 

でも、日に日にまた弱っていった。

私の仕事中に体調が悪いと連絡がきて早退することもあった。

 

そして5月。姉が結婚した。

バージンロードを歩きながら泣くお母さんをみて私も涙が止まらなかったえーん

姉の結婚式のときのアルバムを毎日見ては泣いてて、

「なつ(私)のときはママちゃんとできるかいな~(涙)」って毎日言ってた。

それを聞いて涙を堪えるのに必死だった。

 

そして翌月亡くなった。54歳だった。

 

いまだに実感がなくて、でも頭ではわかっているような・・・変な感じ。

 

もっと話したいこと沢山あったのにな。

もっと一緒に行きたいところあったのにな。

もっと一緒に食べたいものがあったのにな。

居なくなってしまったことを実感したくないのに実感せざるを得ないことが多くて(T_T)

 

亡くなる前日の夜に病院に搬送して亡くなる昼間は姉と普通に話して、

夕方わたしが面会に行ったタイミングで急変した。

待ってたのかな・・・って思ってる。

 

ねえ、ママ。

ちゃんと兄ちゃんのこと守っていくけんね。

心配せんでね。

ママみたいに強くて優しい人になれるようにがんばるね。

ママの子どもに産まれてしあわせだよ。

26年間ありがとう。

ずっとだいすきだよ。

 

 

 

 

 

兄の入院中から絶対家で看ると言っていた母が今年の六月に亡くなった。

母は兄ちゃんの入院中は毎日久留米まで行ってた。

毎日面会時間前に行って、昼ご飯食べて面会時間になった瞬間に入って排便コントロールのためにバランスボールして、

散歩に連れて行って、着替えをさせて、オムツ交換して、おしっこを尿器で採って、リハビリに付き添って、

夕方の経管栄養の接続をしてから帰ってきて、わたしたちのごはんの準備・・・毎日本当に頑張ってた。

元々、持病はあったから注射はしていたけど兄の在宅開始から一人にできないからといって自分の病院に行かなくなった。

 

そして、年末に体調が悪くなり救急搬送後、容態が落ちついた後に余命宣告された。

「もって2、3か月だろう。半年は約束できない」

 

お母さんと一緒に聞いた。号泣してるわたしの横でお母さんは泣かなかった。

わかってたんやろな、自分の身体の異変。

 

女手ひとつで3人の子供を育てて、その上息子が事故にあって重度障害。

それでも「また子育てできる」って笑って言ってたお母さん。

いつもおしゃれして笑っててかわいくて、大好きなお母さん。

「ママは大丈夫やけん」って笑ってた。

 

 

 

そこからの記憶はあいまいですが、硬膜下に血腫が溜まり3度ほど手術をしたり、シャントの感染で髄膜炎になりかけたり。

今考えるといろんなことがありました。

 

そして退院・転院の話題が先生よりありました。

 

こんな状態なのに転院してなにかあったら・・・

全然落ち着いてないのに・・・

どこの病院がいいかわからない・・・

 

そんな中、ソーシャルワーカーさんより久留米市にある聖マリア病院への転院を勧められました。

そこでは

・国土交通省委託の交通事故被害者の重度後遺障害者が入れる専門の病床が20床あること

・最大3年居れること

・リハビリがST、OT、PTが受けられること

・季節に応じてベッドの場所移動があり、刺激を入れられること

・プライマリーナース制度で、一人の看護師さんがケア計画など熱心にやっていただけること

 

その点を踏まえたら家から少し遠かったですが、即決でした。

そして今も聖マリアのNASVA病棟に行けたことは本当にラッキーだと思っています。

 

NASVAにいた3年間の中、高圧酸素療法やリハビリ、外出や外泊、そして入院中からの指導のもと在宅介護に向けたオムツのあて方や陰洗の仕方、更衣の方法、車いす移乗、手足浴。けいれん発作の際のチェックすべきポイント。

在宅介護をして約3年になりますが、入院中教えていただいたことがすごく役に立っています。