年の2月19日

年の2月19日

日本では「大塩平八郎

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以前、しばらくの間、車を運転して手間賃を貰うような事で、暮らしていた時期がある。
長距離の依頼を引き受けたりすると、例えば往復2000kmをほぼ連続で走る事になる。
途中で仮眠を取ったり取らなかったり色々だが、2000kmだと概ね2430時間位だろうか。
その間、退屈を紛らせてくれた心の友はラジオだった。
午後11時過ぎからはラジオ深夜便落着いた雰囲気の良い番組だ。
朝が来て5時を過ぎた頃、ラジオ朝一番が、世間の一日の始まりを告げると、朝日と友に睡魔が押し寄せてくる。
ラジオビタミンのインタビューゲストは、興味深い人が多く出てきて、しばし眠気を忘れた。
眠ると死ぬかも。
という事実とは裏腹に、単調な高速道路の走行は、思いのほか交感酔oを麻痺させる。
スルメをかじったり、歌を歌ってみたり、なんとか無事故で通す事が出来たが、今思えば、運が良かっただけの場面も多々あったようだ。
睡魔と闘いながら時に思っていたのは運転しながら本を読めたら良いのになあと言う事。
若い頃は、一度作品世界に没入してしまえば、眠るのを忘れて活字を追ったものだが、そういう事でもなくて、ただ運転をしている事が、何かとんでもない無駄な事のように思えたからだろう。
運転中は、電話で話をしているだけでも、降りるべきインターチェンジを飛ばしそうになったり、他の車の挙動が気にならなくなったりして、危険なのは事実で、本を読むなどもってのほか。
が正しい見解だろうが、眠気を紛らす為の妄想なのだから、現実的な理想からはやや逸脱している位が良いようである。
あの頃、知人と雑談などしていると、変な事を良く知ってるねと、呆れられる事がたまに有ったが、ほとんどがラジオからの情報なので、今ひとつ浅い。
やはり、活字を追いながら考えを巡らす行為も必要なんだと思う。
稀に通勤電車なんかに乗る羽目になると、酷い人の密度の中、集中して本に向っている人が案外多いのに気付いて、随分羨ましく思ったものである。
仮に一日一時間、読書や瞑想意外に役に立ちにくい時間を持てるとしたら、それが20年も続くとしたら、どれだけの読書体験が叶うだろうか。
トコロが近頃、ふとした事から、通勤意外に本を読む技を見つけてしまったのだ。
それは、名付けて朝読みだ。
出勤前に少しだけ早く起きて、5分でも10分でも本を開く試みをしてみたのである。
思いの他速いペースでしおりが移動していく様は、なにか生物の生長を見守るような妙な気分を起こさせる。
昔、周りの大人たちが言っていた継続こそが力になるの意味をやっと理解したというわけ。
前置きが長くなったが、近頃出会った作家の1人に、辻仁成がいる。
古本屋でたまたま手に取ったオープンハウスという本の表紙には、少し冴えない感じの犬のイラストがあり、その犬の名はエンリケというらしい。
なんとなくラテン語っぽい名の犬の事が気になって読んでみたと言う訳。
奥底に有るだろう強い風刺や反抗の様なものを覆ってみせる軽快な文体は、恐らく同世代なのだろう、抵抗感無く染み入ってくる。
どこかが狂ってしまった現代の日本の暮らしの中に、細くて暗い僅かな光を見出そうとするかのような、全てに絶望はしないのだという意思を語ろうとするかのような、重くは無くても芯のある小説だと思うLOVERS サクラ
自分でも意外なのは、今の今まで阿佐田哲也を読んだ事が無かったと言う事。
本名の色川武大の方は、これも比較的最近の事だが、夢中になって読み漁った作家だが、重くて暗い雰囲気の話ばかりで、この人が娯楽作品を書くというのがどうも良く解らないで居たのだ。
そして先日、やはり古本屋の100円棚に麻雀放浪記Ⅱ風鴛メが居たので手に取ってみたのだ。
読んでみれば、納得の出来栄えで、これはコンプリートを目指さないわけには行かないなという感じた。
そして、既に阿佐田ファンだという人には、色川作品をお奨めする。
坊や哲の、博打や他人に対するあの独特の距離感は、少年時代の父親との確執に触れて考えると、より理解が進むのではないかと思うからだ。
朝、バタバタと慌しく出勤なさっておいでのアナタ、時間が無いなんて言ってないで、10分早く起きてみては