先日アップしました「黙拳」(2021年5月31日)は、気持ちが先へ先
へと行って内容が舌っ足らずになっていました。
その補足も兼ねまして、もう少し突っ込んでみようと思います。
黙拳をするときは、立っていようが座っていようが、はたまた寝具の
中で横になっていようが、身体は無極站椿功の状態にしておきます。
言葉を換えれば預備勢の状態です。套路ではすぐに起式に入れる。
推手であれば、搭手して相手と繋がった時の状態ですから、意識をし
て身体を動かせば、たちまち気が動き勁が発せられます。しかし黙拳
ではそのような状態で有りながら、意識だけで套路を推移させて、身
体を動かしません。つまり身体各部のクラッチを外して、頭脳の回路だ
けが働いている状態にします。いざという時には身体各部のクラッチを
入れれば、身体は預備勢の状態ですからすぐに套路を打つことや、推
手を打つことができます。
なぜ黙拳をするのか?何が良いのか?を考えます。
まず、身体は無極站椿功の状態、套路を意識で推移させる。
実際にその状態で套路を打つとすると、私自身もそうですが、どうし
ても無極站椿功の状態が保て無くなります。筋肉がこわばったり、肩が
揚がったり、膻中のツボが揚がったり、足首が固まったりでおよそ無極
站椿功の状態ではなくなります。これは身体を動かそうとするからで動
かさなければ、まずその弊害がなくなります。
意識で持って套路を推移させる。意識を使えば気が動いてくれます。
気が動いたらそれに乗っかっている勁が動きます。私はよく意・気・勁
の関係は次のように考えています。気とか勁は人が動かせるものでは
ないと思っています。意でもって気や勁を動かすのです。これは我が師
のT-Tさんからの受け売りですが「意は新幹線の指令所。気は新幹線
の車両。勁は新幹線の乗客。」です。指令が出なければ車両は動きま
せん。 したがって車両に乗っている乗客も動きません。一旦指令が出
れば車両は指令通りに動いて、乗っている乗客もその目的地にいくこ
とができます。黙拳ではこの意識を十二分に使います。と言うことは功
夫の成長に大きく繋がります。
身体は無極站椿功の状態、套路を意識で推移させる。ことが自由に
出来るようになれば、歩くとか掃除をするとか、何かをしながら身体を
使わずに拳の練習をする「黙拳」が出来るようになります。
私も早くそうなりたいものです。錬功、錬功!!