こんにちは。
今日はバベルの「絵本ほんやく体験レッスン」のご案内をします。

今度の火曜日に、バベルでいたばし国際絵本翻訳大賞の審査員による体験レッスンがあります!

絵本の翻訳家にあこがれる人はたくさんいらっしゃるようです。

でも、絵本翻訳の講座自体があまりないので、「どうやって絵本の翻訳家になればいいの?」と疑問に思っている人も多いのです。

絵本翻訳家への狭き門の一つが、絵本翻訳コンテスト。

そのなかでも、有名な『いたばし国際絵本翻訳大賞』の審査員、冨田先生が5月から始まる絵本ほんやく講座のための体験レッスンを開きます。

日時:4月16日(火)10:30~12:00
場所:バベル翻訳学校吉祥寺キャンパス(吉祥寺駅徒歩3分)

じつは、昨年の冨田先生のクラスから、3人が『いたばし国際絵本翻訳大賞』に入賞しました!

私もおととしに富田先生の講座を受講しました。半年の受講期間でさまざまな絵本に触れ、それを最初から最後まで訳すことができ、とてもいい経験になりました♪

絵本翻訳家をめざすなら、案外もっとも近道かもしれませんよ。

詳細はこちらからどうぞ。
こんばんは。一週間に1回はブログを書こうと思いつつ、課題や仕事に追われてなかなか書けないでいます。

バベルで受講中の英訳講座、「出版翻訳日英文法」の第3講提出課題が昨日返却されました。かなりきちんと見直して提出したはずが、ケアレスミスがちらほら。次回もっとしっかり見直してから提出せねば。

まぁ、それは置いといて。今回気になったのは、「訳抜け」の指摘。原文の日本語には書いてあることを全部英訳していないということですが、実はこれ、わざとなんです。この課題では原文とそれに対する「試訳」が提示されるのですが、今回、次のような原文と試訳がありました(抜粋)。

<原文>思わずため息が出た。
<試訳> I gave a sigh.

試訳の“I gave a sigh”では「ため息をついた」という感じになってしまい、原文の「思わずため息が出た」というニュアンスが出ていませんよね? そこで私は、この部分を “I let out a sigh.”と訳しました。 “let” は「(結果として)~させる」という意味なので、この原文にぴったりだと思ったのです。

ところが、返却された課題には「『思わず』が訳抜けです」とのご指摘があり、訳文のあとに “in spite of myself”が挿入されていました。う~ん、それはそうなんだけど、私としては“let out”に「思わず」を含意したつもりだったんです。文字通り訳すとくどくなる気がして。でも今考えたら、私の改訳だと「ため息をついた」を「出た」にしただけのようなものだから、確かに「思わず」の部分が不足していますね。

間違っても、添削に文句をつけたり、自分の訳が絶対に正しいと言い張ったりするつもりはありません。ただ、どうも私には「日本語は婉曲的、英語は直接的」というイメージがあり、日英翻訳の際に原文の表現を簡略化、あるいは無理に翻して訳してしまうクセがあります。

で、それはなぜなんだろうと今日一日中考えていました。すると、2つほど思い当たることが。

1.原文に忠実に訳すと、説明的になり過ぎて英訳が「日本語臭く」なることを恐れている。
2.英日翻訳では補足的に訳すことが多いので、「日英翻訳=その逆=簡略化」と思っている。

まず、1について。私はいわゆる「翻訳調」が大嫌いで、「翻訳調になるくらいなら、誤訳があっても読みやすい訳文がいい」という危険思想に傾倒することがよくあります(笑)。英訳でもそれは同じで、「これをそのまま訳すと日本語臭い英語になるんじゃないか」と心配でついつい端折ってしまうのです。悪いクセだとは分かっているのですが、「自分の訳が『翻訳調』になっているかも」と考えるだけで悪寒が・・・・・・。

そして、2。日英翻訳の場合、原文のニュアンスを訳出するために、言葉を補足して訳すことがあります。そうすることで自然な日本語になるようにしているのですが、私は「日英翻訳はその逆だから、簡略化して訳すべきだ」と思っているらしい。「らしい」と書いたのは、無意識のうちにそう思い込んでいたので、今日一日中「訳抜け」の原因を考えてやっと気付きました。しかし、日本小説の英訳を見ても原文より英訳の方がシンプルに思えるのは、なぜ? 問題は根深いのかも・・・・・・。

結局全ての問題の根源は、第二言語である英語を自分で書いたときに、「それがどれくらい自然なのか」が判断できないことにあると思います。日本語だと「この文章は日本語がヘン」と分かりますが、自分で書いた英文が「どれだけ英語として通用するのか」はよく分からないのです。この問題を解決するには、ネイティヴが書いた英語を読みまくるしかないのでしょうか。どんなに読んでも、不安はつきまとう気が・・・・・・。

でも! このブログを書くために色々考えたことで、自分の弱点や思い込みに気付くことができました。次回の課題では「翻訳調強迫観念」を捨て、もっと丁寧に訳すことを心掛けるつもりです。
初めまして。田島夏樹と申します。このブログでは、バベル翻訳大学院で翻訳を勉強する筆者が、勉強のこと、翻訳のことを、思い付いたままに書いていきます。


今回は自己紹介をかねて、翻訳との出会いについて書いてみようと思います。

私は音楽関連の翻訳家志望で、将来的には特にロックの訳詞やミュージシャンの伝記・インタビュー記事などの翻訳を専門にしたいと思っています。音楽翻訳を志したきっかけは洋楽。両親が洋楽好きのため、The Beatles やJohn Lennon、QUEENなどの60~70年代のロックバンドを聞いて育ちました。次第にロックの歌詞に興味を持つようになり、ザ・ビートルズ、クイーンの訳詞集を文字通りボロボロになるまで読んだのを覚えています。

音楽を聴くより訳詞集を読む方が好きなのではないかというくらい訳詞集を読みまくっていた私ですが(笑)、当初は自分で歌詞を訳そうなどという発想はまったくありませんでした。そんな私の転機は高校時代のある日。大好きなFreddie Mercury(QUEEN のヴォーカリスト)のソロアルバムを見つけ、大興奮で即購入。ところが、うちに帰って早速開けてみると、歌詞カードは英語ばかりで楽しみにしていた訳詞がどこにもありません。そう、おっちょこちょいな私はなんと間違って輸入盤を買っていたのです!! しかし、そこでめげる私ではありません。「もういい! こうなったら英語を勉強してこの歌詞カードを理解できるようになって、自分で翻訳してやる!!」と心に決めてしまったのでした。

それからというもの、私は愛読している訳詞集を参考に、洋楽の歌詞を自分で訳し始めました。訳詞集の訳はどれも原詞の世界を豊かに表現していますが、私はいつも不満に思っていることがありました。それは、原詞に比して訳が硬過ぎること! 例えば、ラヴ・ソングに出てくる命令形が「~するがいい」と訳してあったり、平叙文の語尾が「~のだ」になっていたりします。また、非常に俗語的な表現であるはずの“ain’t”や二重否定が「~ではない」となっていることも多いんです。もちろん、そういう硬い日本語がぴったりの歌詞もあるのですが、ポピュラー音楽、なかでもロックの歌詞というのはとても口語的・俗語的な表現を用いてミュージシャンの気持ちを直接的に表すものが多いので、あまりに硬い訳はどんなに原詞の語学的な解釈が正確であっても誤訳に当たるのではないかと私は常々考えています。だから、自分で訳詞をするときは、正確さに加えて、アーティストのキャラクターや曲調に合った日本語を使うように心掛け、口語的な表現や俗語も取り入れるようにました。

自分で訳詞もしたことで翻訳の面白さに目覚めた私は、翻訳家を志すようになりました。大学では英語学を専攻し、勉学の傍ら安西徹雄氏の『翻訳英文法』を読み翻訳の勉強を独学で始めます。卒業後にバベル翻訳大学院に入学し、文芸・映像翻訳を専攻。バベル翻訳大学院とはインターネット受講の大学院で、卒業時に翻訳修士号(MST)を取得できます。現在は語学出版社に勤めながら文芸翻訳を勉強しています。

これから週に一回ほど、バベルでの勉強の様子を中心に翻訳のことを書いていきたいと思います。どうぞよろしくお願いします!!