たのもー!!
札幌のコーチング 森村うさぎです
ノーライフノーブック♡♡ 図書館のネット会員になってから読書ライフがさらに充実しております。喜ばしい!!
好きなものがある、好きなことをする、とても単純だけど、これ幸せってやつかな。
子供の頃によく読んでいたのは、やっぱり童話。
日本の昔話や童話って、教訓的なものが多かったような気がする。
「教訓 嘘ついちゃダメよ~ん」が、《イソップ童話 羊飼いとオオカミ》 オオカミ少年のお話。
内容は、羊飼いの少年が「オオカミがきた」と叫ぶと、みんなが慌ててやってくる。その様子がおかしくて、少年は何度も「オオカミがきた」と嘘をつく。でも、本当にオオカミが来たときに叫んでも誰も助けに来てくれなかった…って話。(オオカミに殺られる。)
「視点をかえてみる」というコーチング的にこのお話をもう一回考えてみた。
少年は、どうして「オオカミがきた」とウソをつたいのか?なのです。
どんな気持がウソをつかせたんだろう??
みんなが慌てふためく様子がおかしかったから。
たしかにね、人がビックリする顔って面白い。
でも、それだけ??それだけで何度もしつこくやる?
あくまでも、わたくしの推測です。
もしかして、
みんなが急いでやってきてくれたことが、ツボだった?
みんなに注目されたことも、ツボだった?
……、オオカミ少年くん、本当はひとりぼっちで山にいることが寂しかった?
遊ぶ友達も、助け合う仲間もいない、そんな環境が寂しかった?
誰も自分のことなんか気にかけてくれないよな…って、寂しかった?
でも、オオカミが来たよーーって叫んでみたら、ちゃんと人は来てくれた。
忘れられてない、無視されてないって、安心できたのかもな。
そしたら、何度も、何度も、確認したくなったかもしれないね。そのくらい、孤独が辛かったのかもしれないね。
(T_T)
そんなキモチに、少年はちっとも気付けていない。
少年がわかってるのは「だってー、面白いんだモーン」だけ。
“寂しい…“ってキモチは、「面白がりたい」っていう表面のキモチに押しつぶされちゃって…、迷子。
あるいは、面白がってやれ!っていうのは、「どうしてみんな、俺の寂しいキモチをわかってくれないんだーー!? 気づいてくれ-!わかってくれー!」
っていう、怒りにも近いキモチだったのかもしれない…。
こんなに寂しいのに、それをわかって欲しいのに、
村のみんなに「羊飼いの少年は、寂しくて辛かった」っていうのはまーったく伝わらない。
それどころか、逆にみんなを怒らせてしまった。信頼をかき消してしまった。
そして、羊飼いの少年はオオカミに……。
本当のキモチ、あなたの感情を動かしている隠れている本当のキモチ。
そこに気づけないとき、
自分と、自分にとって大事な人の心がちぎれてしまうという、悲しい結果になってしまうこともあるのですな。
こんなふうにこの物語を想像してみたのは、私自身が羊飼いの少年みたいなことばっかりやってたから。
自分の心に何があるかなんて、ぜんぜん気づけなかった。
自分の心と向き合う代わりに、相手を責めてました。
“責めたくなる、責める“、寸止めで気づけたら…(後悔…)
今でも、自分の心がわからなくなることがあります。感情が大揺れに揺れて、考えられないときもあります。そんなときには、頼りになる人達に助けてもらっています。
感謝。
感じてる、わかっている、自覚してるキモチに隠れている[本当の感情]に気づけたら、きっと前に一歩進める。
せいやっ!!