たのもー!!
札幌のコーチング&カウンセラー まさかなんてんです。
今日は、買い物ついでに足湯に行ってきました。
うちの隣の駅には、ファッションビルの中に足湯があるんですよ(*^o^*)。
まったりしてる私の隣には、30代くらいのオンナ友達のお二人連れが、さかんにおしゃべりしてました。
(聞きたくなくても、丸聞こえ。ごめんなさいね。)
一人の女性が職場での不満をさかんにこぼしてて、一人が「えー、それって変な人だよね」って聞いてる。
よくある光景です。
友達同士、お互いに愚痴の言い合いっこして、スッキリしますよね。
愚痴をいうほうも、ある程度わきまえてる。
愚痴を聞く方も、ある程度聞き流してる。
が、
母親と、娘だと、そうじゃなくなっちゃうんだなー。
愚痴を言う方は、遠慮や配慮はない。
愚痴を聞く方は、一生懸命にどうしたらいいのか考えて、いろんなものを背負ってしまう。
私は、母親の愚痴のゴミ箱役をしなくなって、5年くらいたちます。
愚痴の聞き役を止める過程で、母親や周りの人間から、いろんなことを言われました。
その中で、母親がこんなふうに怒ったことがあります。
『あんたが私から離れて行くなら、私はこれから、私の周りにいる人だけを大事にするから!!それでいいんでしょ?!』
小学生の時に怒られたパターン、
「いうこときかないなら、家に入れません!」と同じ。
もう小学生ではないので、家に入れてもらえなくても困らない。
なので、
「じゃあ、まわりの人を大事にしてください」と答えました。
この会話。ずっとひっかかってました。
数学の定理じゃないですけど、「逆もまた、真なり」だとしたら?
娘(わたし)がいないと、周りの人を大事にする。
ということは、
わたし(娘)がいると、周りの人を大事にしない。
ということ。
わたし(娘)は、
愚痴をきいてくれて、母親である自分の味方をしてくれて、ストレスをスッキリさせてくれる存在。
(しかも、外に漏れることもない。反論も簡単にねじ伏せることもできる。)
だから、依存する。
小中学生のころは、そんな役割がうれしかった。
お母さんの役に立ちたかったから。
お母さんに認めてもらえるから。
大人になるしたがって、その役割は苦痛になっていった。
その役割をやめたくて、
「もう、聞きたくない」
「そんなことで怒ったりするのは、おかしくないの?」
と訴えみても、
『娘だから、家族だから、あなたしかいないから』
という言葉で、振り切ることができなかった。
母を助けるという役割を、止めることができなかった。
辛かったのに。嫌でたまらなかったのに。
愚痴のゴミ箱役をすることで、「大切な娘」「いい娘」になれた私。
そのことでしか、「大切な娘」「いい娘」になれないから、しがみついてしまった。
娘に依存する母と、依存されることに依存する娘。
共依存です。
苦しいのに、断ち切れないから「依存」。
そして、気付きました。
依存の本当の怖さは、苦しいだけでなく、どんどん不幸になってしまうことだと。(つづく)
続きも、気合を入れて
せいやっ!!