いよいよ君たちにとって最後の中体連が始まる。私自身も三十年以上前の中体連の第一試合では、緊張で膝の震えがなかなか止まらなかった。あこがれていた女子の先輩が応援に来てくれて、別の緊張感も高まってしまった。時間経過とともに緊張感は少しずつなくなっていったが、個人戦ベスト8決めで、今までの試合では負けたことのなかった相手に負けたことが忘れられない。試合後、相手選手と話をしたとき、「勝てないと思っていたけれど、ラッキーだった。」と言われたことをはっきりと覚えている。私は相手との勝負ではなく、自分自身の弱気に負けていたのだ。その後悔の気持ちがあったからこそ、中学校の教師としてソフトテニスの指導をずっと続けている。勝負に勝つには自分自身に勝つことが必要だ。「勝てるかどうか」ではなく、「勝ちたいかどうか」なのだろう。
部活動では中体連やコンクール、クラスでは運動会や合唱…集団が一つの大きな目標に向かったとき、とても大きな力を出すことができる。
しかし、ときとして集団は「個人の力」と言うか、「個人の意識」を麻痺させてしまう恐ろしい一面ももっている。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」…私が小学生の頃に流行っていたビートたけし(当時はツービートとして漫才ブームの中心だった)のブラックユーモアである。これは、集団のもつ恐ろしさ、集団の危うい部分をよく表した言葉である。
学校という場面で考えるならば、「面倒だからやらない…」「みんながやっているから…」「自分一人だけじゃないし…」「これぐらい平気だろう…」「自分がやらなくても、誰かがやるさ…」というような雰囲気を生み出してしまうことがあると言える。もちろん、集団の中の一人一人がしっかりとした「心」をもっていれば、そのようなことは起こらないし、起きたとしても自分たちでブレーキをかけることができる。しかし、集団が「個人の意識」や「常識」を麻痺させるほど大きな影響力をもってくると、次にはさらに恐ろしいことが起こる。「それは間違いだ」という人間を排除し、自分たちに従うことを強制する。そして、「それは間違いだ」という言葉を発することを許さない雰囲気を生み出す。そのような集団には強い者と弱い者が存在し、いわゆる「いじめ」のような現象も出てくる。この段階までくると、個人の良心は完全に麻痺し、もし集団が悪い方向に進んでも、それを悪いこととは感じなくなる。「やりたいこと」「楽なこと」が行動の基準となり、集団は「烏合の衆」となり、「正義」は存在しなくなる。まさに、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という状態だ。
しかし、そのような最悪の状態の手前で、間違いに気づいたら、どうすればよいのだろう。
強制されるのではなく、自分たちからすすんで健全な集団に戻る努力をすることだ。崩してしまった信頼を取り戻すために行動することだ。その集団が、集団の一人一人が、本気で努力しようとするならば、必ず力を貸してくれる人がいる。しかし、これは簡単なことではない。信用を崩すのは一瞬だが、再び信用を取り戻すには多大な努力が必要だからだ。
私はいつも自分のクラスを誇りに思っていた。学校で最高の集団にしたいと思っていた。クラスの一人一人は大切な集団の仲間だ。仲間が間違っていたら、「それは間違いだ」と発言しよう。言われた人は、それをしっかり受け止めよう。そしてもし、信用を崩してしまったら、みんなで手を差し伸べて、クラス全体で望ましい集団を作り直そう。
しかし、ときとして集団は「個人の力」と言うか、「個人の意識」を麻痺させてしまう恐ろしい一面ももっている。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」…私が小学生の頃に流行っていたビートたけし(当時はツービートとして漫才ブームの中心だった)のブラックユーモアである。これは、集団のもつ恐ろしさ、集団の危うい部分をよく表した言葉である。
学校という場面で考えるならば、「面倒だからやらない…」「みんながやっているから…」「自分一人だけじゃないし…」「これぐらい平気だろう…」「自分がやらなくても、誰かがやるさ…」というような雰囲気を生み出してしまうことがあると言える。もちろん、集団の中の一人一人がしっかりとした「心」をもっていれば、そのようなことは起こらないし、起きたとしても自分たちでブレーキをかけることができる。しかし、集団が「個人の意識」や「常識」を麻痺させるほど大きな影響力をもってくると、次にはさらに恐ろしいことが起こる。「それは間違いだ」という人間を排除し、自分たちに従うことを強制する。そして、「それは間違いだ」という言葉を発することを許さない雰囲気を生み出す。そのような集団には強い者と弱い者が存在し、いわゆる「いじめ」のような現象も出てくる。この段階までくると、個人の良心は完全に麻痺し、もし集団が悪い方向に進んでも、それを悪いこととは感じなくなる。「やりたいこと」「楽なこと」が行動の基準となり、集団は「烏合の衆」となり、「正義」は存在しなくなる。まさに、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」という状態だ。
しかし、そのような最悪の状態の手前で、間違いに気づいたら、どうすればよいのだろう。
強制されるのではなく、自分たちからすすんで健全な集団に戻る努力をすることだ。崩してしまった信頼を取り戻すために行動することだ。その集団が、集団の一人一人が、本気で努力しようとするならば、必ず力を貸してくれる人がいる。しかし、これは簡単なことではない。信用を崩すのは一瞬だが、再び信用を取り戻すには多大な努力が必要だからだ。
私はいつも自分のクラスを誇りに思っていた。学校で最高の集団にしたいと思っていた。クラスの一人一人は大切な集団の仲間だ。仲間が間違っていたら、「それは間違いだ」と発言しよう。言われた人は、それをしっかり受け止めよう。そしてもし、信用を崩してしまったら、みんなで手を差し伸べて、クラス全体で望ましい集団を作り直そう。
追伸 加齢臭対策のために、ボディソープをかえてみました…。
