素敵だね

素敵だね

素敵だね

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人の「良し悪し」が「都合の良し悪し」で
決定されるのであれば
他者に迎合し 自分を摩耗してまで
誰かにとっての「良い人」になれなくてもいい

ただ素敵な人になりたい
「素敵だね」と思える人になりたい





「本当に良い人だね!ありがとう!」

「そんなに良い人だったなんて、知らなかったよ!」



たまにそのような言葉を耳にします


言葉の一つ一つの意味というものは
普遍的なものとして定義はされているのですが
千差万別、発した言葉の全てが
普遍的な定義に沿っているとは限らないんですよね
多少なりとも各々が生きてきた中で
培われた言葉の意味に差異が生じ
互いに行き違いが起こることも多分にあります
だからこそ言葉一つでも
発する相手によって意味は相違してきますし
表面上の言葉だけを受け取り、鵜呑みするのではなく
それとなく相手の気持ちを忖度し
言葉の本当の意味を理解しなければならないんですよね
それには相手の生活を知る必要もあり
今まで生きてきた人生を知る必要もあるということ
なかなか言葉一つでそこまで考え込むことも少ないとは思いますが笑
逆の発想をすると

相手の言葉の意味を知るということは
相手自身を知ることに繋がる

のではないかと思ったりします



本題からだいぶ逸れてしまいましたが、
「言葉」も発する相手によって意味も変わり
ある言葉が全てこういう意味だ!
と、決め付けることは難しいということです


そして、
よく僕自身も耳にする
「良い人」という言葉には
発する人や状況にもよるのですが
どうしても「都合の良い人」と聞こえてしまうことがあります
これは僕の被害妄想や拡大解釈が齎す偏見であるのかもしれないですが
それでも都合の良い時だけ
手のひらを返すように「良い人だね」と
気持ち悪いほどに褒めてくる人も見受けられるんですよ

自分を必要以上に抑えこみ
自分を無くしてしまうほどに
誰かにとっての「都合の良い人」に成ろうとしてしまうこともあるのですが
自分の人生の中 自分であるために
自分を捨てる必要なんて無いんですよね

ですから僕は
誰かにとっての都合の良い人には成れなくてもいい
ただそれでも、
倫理的というのでしょうか、非常に名状し難いのですが
人の気持ちがわかるような
素敵な人になりたい

「素敵だね」と誰かに言える人に成りたいです