母親は、67歳から透析を始めて約20年が経つ。

透析の病院は、私の知り合いの医師を紹介して通うことに。田舎なので病院まで遠い。

しかし、ありがたい事に病院が送迎バスを出してくれていて、それに乗って通っていた。

朝6時半過ぎに自宅を出て、朝はタクシーで(これも病院もち)近くの駅まで、そこで乗り換え病院の送迎バスに乗る。病院に着くのは8時半。透析終わってご飯を食べて14時半に病院出発。乗り換え無しで自宅には15時半に着く。

元気な時はそれでいけたが、1年前から透析後の体調が良くなくてバスに乗れなくなった。

そして、2日空いた透析の日は体調が優れない事が多いので私が送迎する事になった。

今までは通いだったが、夜も一緒に過ごすことに。


それまで、私は13年間、毎週車で1時間のところにある心療内科に一週間に一回通っていた。が、何年か前から薬を減らし、母親と同居する頃にはほぼ飲まなくてよい状態に仕上げてきた。心療内科の医師に薬を減らしたいと言ってもなかなか減らしてくれず、仕方ないので自分で少しずつ減らしていった。

薬を減らす上でエナジーテラピー(現在はハンドテラピー)という低周波によるマッサージを受けていた事は大きい。

受けるだけでなく、自分で資格をとり、現在8年目になる。


しかし、母親が私に殺されるとか、私に負けない、思い知らせてやるみたいな言葉を発するようになってきて、私の心が耐えられなくなってきている。せっかくよくなったのに(⁠。⁠ŏ⁠﹏⁠ŏ⁠)


結局、病院に入院はできず。母親が強く拒否。医師と面談し、暴言などの攻撃的な行動に対し、抑肝散を出しておくので暫く様子をみましょう、となった。仕方ないので

無言の私はブツブツ言う母を乗せて家に帰ったのだった。


帰ってから、まだ私は気分がすぐれず、無言の対応と手を課さずに本人がする様にしてそれを見ていた。冷たい娘。

またブツブツが始まるので暫く退避。2時間後に帰って待機していると、ウンコが出たと呼ばれる。もう普通に使うのか?と思いながら処理をする。暫くしてからご飯食べる?と普通に聞いたら、食べる。ごめんね、私が悪かったと猫撫で声のような声で言う。イライラしたけどとりあえず、ご飯を出して様子み。きっと本心は違うのがわかったから。私はひとり白けていた。

朝、昼、晩に抑肝散。

帰ってからすぐに飲ませて。

夜、ぐっすり寝ていた。朝、まだ眠いと言う。薬が聞いているのか?ならいいけど。

朝ご飯に薬をつけて、躊躇なく飲んでいる。苦くなくてよかった。

とりあえずはだけど、来週あたり、精神科を受診してみようかと思う。


先は長い(⁠╯⁠︵⁠╰⁠,⁠)



朝ご飯に、右が抑肝散を混ぜたやつ。