金曜日の作り置き。









豚こま、じゃがいも、玉ねぎ、人参、ししとうのピリ辛肉じゃが。










大根、水菜、海藻、ツナ缶のナムル。

今日の作り置き。










キャベツ、レタス、玉ねぎ、人参、コーン、ツナ缶のサラダ。










たら、大根、絹さやの照り煮。


たらが一切れしかなかったので、ほぼほぼ大根(笑)












ほうれん草、水菜、人参、椎茸の白和え。


ほうれん草が少なかったので、冷凍していた水菜も投入。


有り物片す為に、元レシピから大きく変わっているけれど問題ない(笑)









先週木曜日、義父のお骨のあるお寺さんへ年に一度の年供養を納めに行ってきた。


義父とは生前に会うことはなかった。


旦那さんも義父が他界した時、何十年ぶりかで会ったとの事だった。


旦那さんから聴く義父の話しは、正直あまりいい話しはない。


旦那さんの言葉をまるきり信じるとしたなら、完全にネグレクト状態。


義父と旦那さんの実母とは旦那さんが幼い時に離婚していた。


その後の旦那さんの記憶から聴く話しは、結構悲惨なものだけれど、事実はどうなのかわからない。


幼い記憶なので、大人の、親の事情もその時なりにあったのかもしれない。


でもどんな事情があったとしても、旦那さんが自分は愛されることなく育ったと感じているのだから、どのみち親の愛情の注ぐ方向性は間違っていたのかもしれないと想う。


旦那さんがわたしと結婚するとなった時、義父は若い時の脳溢血の後遺症で半身麻痺となり、既に十何年も入院していた。


旦那さん自身会うこともなかったので、わたしも特にご挨拶へ伺う事もせず、わたしたちが結婚後程なくして他界された。


義父は何度も結婚し、旦那さんのいわゆる異母兄弟が何人も居たけれど、旦那さんが長男と言うことで、葬儀の時は旦那さんが喪主をつとめた。


異母兄弟たちは葬儀に現れる事はなかった。


人と接するのが苦手な旦那さんが喪主をつとめるというので、近隣に住んでいた義母が何かと相談に乗ってくれ、葬儀費用も出してくれた。


さらにお骨をお寺さんへ預ける段取りも全て行ってくれた。


義母は離婚してから何十年も経つのに、おそらく元夫ではなく、実の子の義姉と旦那さんに負担をかけまいと、そういう役目を買ってでたのだろうと、今は想う。


義母が今際の際の時、旦那さんや義姉ではなく、わたしに義父のお骨の管理を頼んできた。


義姉も旦那さんも、人と接する事が苦手だった事もだし、多分ふたりに負担をかけたくなかったのだろう。


わたしに全てを託された。


親の愛…なのかな。


わからないけれど。


義母が他界してからは、わたしが義父のお骨のあるお寺さんとのやりとりをしている。


やりとりと言っても、年に一度、年供養を納めに行く段取りをするだけで、行く時は旦那さんももちろん一緒に行く。


それが毎年8月の月、お盆付近。


お盆の只中にはお寺さんの方が忙しいからと、毎年断られるので、いつもお盆時期を少し過ぎてから伺う事にしている。


今年も無事に年供養をお願いする事が出来て良かった。


年々想うのは、何年か先、わたしがこの世から居なくなったらどうするのだろうということ。


居なくなるのに余命宣告という形で猶予があれば、そしてその時、旦那さんを遺していかなければな状況なら、様々なツテを探し頼って、旦那さんが後々困らないよう段取りするつもりではいるけれど、そうでない場合だってもちろんあるわけで。


でも今、その事をあれこれ考えても仕方がないかと、いつも途中で諦める。


なるようにしかならない。


とにかく、こうして生きている間は、わたしの出来ること、成すべきことをしなくちゃだ。


子や孫が居ないというのは、人としての生命の鎖が断たれている状況。


後に託すとか、頼むとか、何も望めない。


だからいつも想うのは、わたしは墓も持たないし、葬儀も望まない。


葬儀や墓参りというのは、遺された者のものだと想っている。


葬儀で逝った者を惜しみ、墓参りで逝った者を懐かしみ、そして先祖を敬う、そういう生きている者の儀式。


わたしと旦那さん、どちらが先に逝ったとしても、遺った方は一人きり。


人様にご迷惑おかけする事のないようにだけ出来る範囲で配慮して、ホント後はなるようにしかならない。


そう想っている。








大きな台風が列島縦断の予報。


随分と歩みの遅い台風のようなので、今の予報から動きがまだまだ変わっていくかもしれない。


台風もウンザリだけれど、地震のように突如起きるわけではない所が、まだかろうじてマシなのか。


天気予報を確認しながら、粛々と日々のご飯を作るしかあるまい(笑)