ぐるっとまわって帰ってきました。
検札にきた車掌さんもちょっとびっくり。
ご覧いただきありがとうございました。
sanpopoでした。
宮の坂(みやのさか)駅のすぐ脇には、一両の電車が保存されております。
こちらは、西暦で申しますと2001年ですから、かろうじて二十一世紀まで現役で世田谷線を走っていた、デハ80形とよばれる車両でございます。
デビューは昭和二十五年(1950)ということですから、形式としては半世紀以上、この路線を走っていたことになりますが、この個体は、脇に『EER』と記されております通り、昭和四十五年(1970)に現在の江ノ島電鉄、通称「江ノ電」に譲渡され、昭和六十年(1985)まで彼の地で活躍していた車両でございます。
現役を退いたのちに里がえりという形で、ふたたびこの地へ舞い戻ってまいりまして、写真はございませんけれども、日中は車内も開放されており、その中へ一歩足を踏み入れれば、私とて感慨深げに当時の思いに浸るほど年輪を重ねてはいないつもりですが、それでも古きよき時代の光景が蘇ってくるような思いになれるわけでございます。
さて、現在の宮の坂駅は同時に、豪徳寺への最寄り駅でもあります。
もったいぶるわけではないのですけれども、世田谷線をめぐっております身といたしましては、もうほんのすこしだけ線路沿いを行ってから、彼の地へ向かいたく存じます。
線路を基準に考えますと、宮の坂駅から本当に、ほんの数十メートルの地点にやってまいりました。
この場所には例のごとく踏切がございまして、写真ですと線路の向こう側に、これまた意味深な空き地がございます。
実際のところ、この空き地がそうであったのかはわかりかねますものの、つまりは例のごとく、このあたりが駅の跡地となっており、かつてはこの地に『豪徳寺前(ごうとくじまえ)』という駅があったのでございます。
こちらも、東急電鉄の路線概要では単に「豪徳寺」となっておりまして、現在の宮の坂駅が移設される前は、その名のごとく、豪徳寺前駅が豪徳寺の最寄り駅でありましたから、つまるところ山下駅が小田急と同じ『豪徳寺』を名乗れなかったのは、かつてここにそんな駅があった、ということでもあったからなのでございます。
駅名としては「宮の坂(当時は「宮ノ坂」)」が残りましたものの、実態といたしましては(旧)宮ノ坂と豪徳寺前の統合と、つまりはそういうことのようでございます。
ということでございまして、かつての最寄り駅からようやくにして、豪徳寺へとむかいたく存じます。
現役車両である300系電車は、平成十一年(1999)にデビューしています。
つづく
坂をくだり終えて右へ折れますと、おおきな鳥居が見えてまいります。
錯綜する電線が扁額にかぶってしまっておりますけれども、こちらは世田谷八幡宮という神社になりまして、前回の記事においても少々ふれましたが、宮の坂『宮』とはこちらの神社のことを指すわけでございます。
当神社の所在地周辺の地名も古くはそのまま『宮ノ坂』という字で、本来の発音はそのまま「みやのさか」でありつつも、聞くところによれば、当時の方々は宮ノ坂の「ノ」を音便化させて『みゃんざか』というふうに発していたとのことでございます。
されども現在の周辺住所は世田谷区宮坂、「みゃんざか」なんて地元読みを嫌ったからなのかは存じませんけれども、「の」を省いて『みやさか』と発音します。
とりあえず当地には、寛治五年というのは西暦になおしますと1091年、かれこれ九百年以上も前から神社がございまして、まずこの地に神社を勧請いたしましたのが、当ブログ内においても幾度か顔を出しております源義家でございます。
彼がたどり着きました折に豪雨に遭い、天候回復を待つため数日間とどまったこの地に、後三年の役の戦勝御礼として神社を勧請した、というのがそのはじまりでございます。
雨がきっかけで神社を建ててしまうとは、私のような雨男がそんなことをしたらたいへんなことになってしまいそうですが、そんなことはさておき、行く先々でケヤキを植えたり神社をつくったりと、義家もこれでいてなかなか派手好きな人物という想像を勝手にしてしまう私でございます。
その後、時は流れて戦国乱世の時代に、吉良頼康(きらよりやす「頼貞(よりさだ)」とも)というのは、忠臣蔵の吉良さんと同じお家柄の方だそうですけれども、その方がもともとこの地にございました神社を再興、世田谷八幡宮としてはこの時をもってして創建としているそうでございます。
まずは拝殿へと向かいご挨拶をさせていただきます。
現在のつくりはたいへん立派なものとなっておりまして、この姿には、江戸時代に建てられた旧拝殿を壊さず、その上に新拝殿をかぶせるようにしてつくった、というカラクリが潜んでいるとのことでございます。
郷社というこの神社の社格がいかほどのものかはよく理解しておりませんが、さきほどおじゃました赤堤六所神社の社格が村社ということで、それよりかは大きな神社になるようでございます。
実際、参拝客もちらほら見受けられ、拝殿オンリーの写真はいただくことができませんでした。
境内を見回して少々興味深いのが、こちらにございます土俵。
毎年こちらでは奉納相撲が開催されていたそうで、その結果いかんで翌年の豊凶を占ったりしていたのですけれども、現在では周囲に耕作地がありませんので、おそらくは文化財的な意味合いで、秋のおまつりの際に、奉納相撲がおこなわれているそうでございます。
なかなか特徴的な神社でございましたけれども、このあたりでそろそろおいとますることにいたしましょう。
まずは宮の坂駅をめざしますが、そのつもりで歩いていかなくとも鳥居の前の道を東にむかえば、いくらもせぬうちに駅へ到着でございます。
結局この駅は、坂の上から坂の下へ引っ越したわけでございます。
つづく
山下駅のネーミングの由来は、要するに「山の下」で、ここで言いますところの「山」とは、『大谿山(だいけいざん)』という豪徳寺の山号のことを指しております。
つまりは山下駅も、若干遠まわしな表現ながら、豪徳寺絡みの駅名だということが言えましょう。
駅周辺は、こちらもいわゆる「世田谷区内の駅」の様相であり、以前より区画もほとんどかわっていないとおもわれます。
全体的なイメージは今でものんびりとしておりますが、それでも、平成十六年(2016)に完成した小田急の複々線化によって、いかばかりか近代的に様がわりしているように思います。
私は、世田谷線を常日頃から利用してはおりませんけれども、幼いころは今とくらべて、もうすこし空がひろく見えていたのではなかったかなと記憶しております。
駅前通りも一方通行路でございます。
豪徳寺といえば「招き猫」ですので、商店街の様相もそれを押したものとなっております。
このまま豪徳寺へ直行してもいいのですが、世田谷線をめぐっている身といたしましては、今しばらくそのルートをトレースしてまいりたいとおもいます。
駅前の商店街が尽きたところに踏切がございます。
次駅である宮の坂駅はまだ先ですけれども、この駅も移設されており、どうやらこのあたりが旧宮の坂(当時の表記は宮ノ坂)駅のあった場所になるようでございます。
今となってはもはや面影もなさそうですので、そのまますすんでまいります。
そのまま線路伝いにすすんでまいります。
いくらも行かぬうちに、その先の地形が落ち込んでおりまして、道路は坂道になっております。
すなわちこの坂こそが『宮の坂』なのでございまして、さらには道の右側の木々が生い茂る場所は神社となっておりますから、駅名および坂名をめぐる情勢はこのようになっているわけでございます。
とりあえず坂道をくだりまして、由来となっておりますその神社へといってみることにいたします。
雲がおおいので光の具合が一刻ごとに変化しています。
つづく
世田谷線内には十の駅がございます。
今回私は、下高井戸駅よりその歩をすすめておりますが、ただ今おります山下(やました)駅が、出発してから二つ目の到達駅でございます。
これはまたずいぶんなスローペースですねと思いきや、下高井戸駅から山下駅までの路線距離は1.6キロメートルですので、これでいて、世田谷線全体で5キロメートルある距離の、すでに三分の一ちかくをあるき終えた格好になっております。
そんなことはさておきまして、現在私がおります山下駅は、小田急電鉄は小田原線の豪徳寺(ごうとくじ)駅との乗換駅となっております。
乗換駅でありながら双方でちがう駅名を名乗るとは、利用者にとりまして少々ややこしくもありますし、もしかしたらこの地における東急と小田急との関係が、うっかり同じ駅名を名乗れないほど「仁義なき戦い」的なことなっているやもしれませんから、ここはちょっと足を止めまして、この両者が現在の状況になっております経緯を紐解いてみることにいたしましょう。
まずは小田急電鉄の主張といたしまして、豪徳寺駅の開業は昭和二年(1927)、こちらは小田原線の開通と同時に設置された駅でございます。
小田急の見地からしますと、こちらが豪徳寺というお寺の最寄り駅になりますので、この駅名が冠されることに何ら不都合はございませんが、若干注意すべきことは、現在の豪徳寺駅の所在地である世田谷区豪徳寺という地名は、駅開業時にはまだ存在しておりませんから、軽々に地名から駅名がとられた、という解釈はできないという点でございます。
その一方で世田谷線の言い分を聞いてみますと、山下駅の開業は大正十四年(1925)、小田急に先んじることわずか二年とはいえ、その間に元号がかわっておりますから、実際以上に時間的な隔たりがあるように感じられます。
そんな歴史は知らずとも、小田急がオーバーパスする交差の形状を鑑みれば、ここでは世田谷線のほうが先輩になるということがわからなくもないそうですが、とにかく、この地にあります世田谷線の駅は、そもそも路線内における豪徳寺というお寺の最寄り駅ではございません。
そういうことであればもちろん、この駅が小田急と同じ豪徳寺を名乗ることはできず、ましてや小田急が開業するよりも以前に、世田谷線はこの地に鉄路を敷いているわけですから、前述の理由により、地名から豪徳寺をつけることも不可能だったわけでございます。
結局のところ、相容れがたき双方の大義名分は喧嘩両成敗という形を持ってして、というわけではなかったようですけれども、つまりはこうして、今あります山下駅と豪徳寺駅との関係が形作られたわけでございます。
豪徳寺駅の写真を撮りわすれておりました。
とほほ
つづく