伊予と土佐の国境地帯の戦国時代の社会を巡るシンポが週末にあります | しもちゃんのブログ

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タイトルは「鬼北地域に見る国境(はざま)お千石社会-清良記シンポジウム」が3月23日、午後1時より鬼北町近永公民館であります。申し込み不要、入場無料です。


現、宇和島市三間町にある大森城城主土井清良(16世紀後半)の軍記である「清良記」をもとに、この地域の社会がどんなものか探ろうというもの。


戦国軍記と言えばやれ上杉、武田、織田と言った、大手の英雄話が多く、どこかのTVなど喜んで英雄の苦労話や名誉話をとりあげ、さっぱりその土地やそこに生きる郷人の実態などはとりあげない。その結果、戦国時代は英雄の時代と一面的に誤解してしまう。


さて、この予土国境は中小領主が乱立し、それを統括する頭目(宇和西園寺氏)は脆弱で、土佐幡多の一条に押しまくられ、西からは豊後の大友が押してくるという厄介なところ。


しかし、押し込んでも定着することもなく一体、彼らは何しに来たのだろう。それに応じて四苦八苦する在地人も大変だ。などなどの話。


写真は土井清良系の武将が土佐四万十の下家地に押し出したことが清良記にあるので、ちょっと覗いてみた。


山間の閑静な小さな山里で、まるで桃源郷みたい。ウグイスが「ホーホケッキョ」さえずり、他に音も無し。綺麗な小川がさらさらと流れていた。


伊予勢はこのときはなにもとらずにもどり、善行をほどこしたように書いているが、人さえいれば日頃はこんな僅かな美しい土地の生産物をも収奪したのかな。それが中世なのか・・と現地で目の当たりに想像すると時代の残酷さと現実の落差が妙にリアリティをもって迫ってくる。
高知県四万十市下家地の里

山の端の家々、住まいの場所はこういう狭いところでは中世も今も変わらないだろう。で、なかなか生活遺物がでてこない。

きれいな川です。海老などいそう。家地川の上流だな。