AAA FIRST CONSERT 2006 in Taipei~久等了!嵐來了!~ 2 | 北東西南

北東西南

shimaのアイドル・芸能ブログです。

ことごとく前編がないw
この記事、自分で書いたものと思えないほど好き♪





つづきです。

「a Day in Our Life」

嵐のコンサートの真骨頂、C&Rで盛り上がる曲です。そして「大野×松本」の対比を楽しめる曲ですね~。この曲では2人が引っ付いて歌うところがあるんですけど、ルックス・声質・パフォーマンスが間逆の2人のコントラストがここでもまぶしいです。そしていつも松潤が大野くんに絡みすぎ笑。大野くんはいつもと同じでちょっとそっけなく見えちゃうんですが、これが松潤の片思い的な妄想を呼んで面白いです。

「COOL&SOUL」から「a Day in Our Life」までの衣装はなんと全身豹柄です。相葉ちゃんと翔さんの似合うこと。相葉ちゃんはチーターみたいでした。大野くんは。。。イエベなら似合うはずなんだけど。。似合っているとも似合っていないとも微妙な感じでやっぱりまた判定できず。ニノと松潤は・・・しょうがないですね・・・

次。「とまどいながら」

いきなり衣装が変わってます。これは「いざNow」の「EYES WITH DELIGHT」のときの衣装です。白いパンツにノースリーブのシャツ。シャツのは脇見ごろと肩の部分に色が入っています。こういうシンプルな衣装を着ると相葉ちゃんのスタイルのよさが際立ちますねえ。相葉ちゃんは今より細い感じがします。で、頭もくりっとした短髪ですっきりしてるから、8頭身どころか9等身くらいに見えます。そんなに背の高くない(嵐では一番の長身ですけど)相葉ちゃんが9頭身に見えるって凄いバランスですよね。どんだけ顔ちっちゃいねん。


ニノ「秘密」

ニノは可愛いんですけど、やっぱり「AAA+inDOME」のほうがいいですね。(あれは神でしたから。。。)台北のほうは、ぶりっ子度が足りません。衣装も茶色のチェックのシャツにワークパンツで、ちょっとぶかっとしてニノの体にあっていません。「AAA+inDOME」では、Tシャツに細身のパンツ、シャツをスカート巻きにするという「かわいさ全開」の衣装に変更されていました。やっぱりニノにとってその華奢な体つきは大きな武器なんだなあ、と再確認。そのユニセックスなルックスからどうやったらあんな男の色気がでるのか、不思議なんですよねえ。

そして相葉雅紀「いつかのSummer」

相葉ちゃんの魅力全開です!!「AAA+inDOME」では「涙の流れ星」やってたから、これははじめてみたんですけど、私、相葉ちゃんのソロの中ではこれが一番好き!曲はさわやかなカントリー調で、相葉ちゃんのイメージにぴったりだし、衣装はノースリーブの赤のチェックのシャツ(丈長め)を裸の上に羽織って、膝丈に切ったジーンズにスニーカーと、海の家の男の子みたいな風貌なんですよ。で、相葉ちゃんも髪が短くてさわやか仕様だし、衣装も相葉ちゃんの細い体と長い手足によく似合ってて、もう、もう、もう、めっちゃキュート!!!!!それから、相葉ちゃんの持つ太陽のような明るさと、夏の終わりに吹く風のような、切なさをもったさわやかさがよく表現されている!TVでも相葉ちゃん大活躍だけど、やっぱり相葉雅紀の魅力はコンサートで体験しなきゃ駄目だよな。。。相葉ちゃんの動きは、大きいんですよ。その長い手足をぶんぶんふりまわして、「ちょう~たのしい!!」(ひらがなにしてみました笑)って感じです。ダンスも表情も「型」を気にしない、破綻してても(してませんけど)楽しさ優先!全力投球!的な相葉雅紀。相葉ちゃんに引っ張られてテンションがどんどん上がるあの感覚はコンサートならです。コンサートの後は、毎回相葉担になりそうになる私でした笑


そして、

大野智「TOP SECRET」

私が大野にはまるきっかけになった曲です。「いざNow」版はもう何回も何回も見て。。。ある時、ようつべで台北版があることを知り、それからずーっと見たい見たいと思っていました。私は、台北版のほうが好きです。それは最初にようつべで見たときからそう感じたのですが、フリなどはほとんど同じ。何が違うのか。。。今回の機会を得て、比較検証してみました。

「いざNow」の「TOP SECRET」は2004年夏の作品。対して台北版「TOP SECRET」は2006年秋。そこには2年の歳月があります。この間、大野智になにがあったのか。。。残念ながら当時私は嵐に対して興味がなかったので、まったくのノーマークです。こうして今、残っている映像から推測するのみです。。。。他のメンバーは、なんとなく誰何することができそうに思えるのですが、大野智だけは、まったくの謎です。

この2つの「TOP SECRET」から感じることは「熱」の消失(言い換えるならば昇華)です。2004年の「TOP SECRET」からは大野智の「気合」を感じます。それはあの鋭い眼光や、厳しい表情から彼なりの「全力」を感じることができます。また、2004年の「TOP SECRET」を踊る大野智は完全に「男子」です。色気も完全に「男子」の色気です。「TOP SECRET」の振り付けは、さすがの大野智をもってしても難しいものなのでしょう。当時の大野くんは踊りと戦っているような、そんなオーラが出ており、それが男子を感じさせるのでしょう。

一方2006年の「TOP SECRET」の大野智はもう戦ってはいません。ダンスを完全に掌握し、飼いならしています。この余裕を感じさせる「舞」が大野智から「男子」のオーラを取り去り、より中性的な印象にしています。そして「中性的」な大野智からは、「人間でないもの」が持つ色気、オーラが出ています。「人間でないもの」が持つ色気とは、たとえば、文楽の人形とか、能楽で使われる能面、またはSF映画などで出てくるアンドロイドなどから感じられる悲哀を帯びた色気です。

2004年の「TOP SECRET」では、大野智はまだ「人間」でした。そして「人間なのに、なんでそんな動きができるの??という驚きがありました。ですが、その2年後には彼は異星人になってしまうのです。

そして「TOP SECRET」自体、曲調も振り付けも、「マリオネット」をイメージしているように感じます。その「操り人形」のイメージと大野智の血の通わない(ほめ言葉です、この場合)ダンスとその人間を超えた特殊な存在感がこの素晴らしい「TOP SECRET」の世界を形成しているのだと思います。

ああ。。。そうか。。。考えてみたら、大野くんの仕事で、素晴らしいものはみなそうです。世界と自身(大野くん)が、切り離されています。この世界のズレが、彼をミステリアスで手の届かない者に見せてしまうのです。

彼の歌についてもそうです。いつだか大野くんの声は音色だという話をしましたが、そのとき、けいさんが、「大野くんの歌について歌詞が耳に入ってこない」というコメントをくださったことがありました。それは悪い意味ではなくて、「彼の歌を聴いていると歌詞がどうでも良くなってくるんです。つまり、歌詞がなくても、ものすごく満足してしまうから、歌詞を理解する必要が全くなくなってくるんです・・・(引用)」というようなことなのですが、彼の歌は確かに「音」が主であり、「詩」は添え物的です。大野智の歌の魅力は心情を表情豊かに表すということよりも、その音の質にあります。このことも彼と私たちの世界のズレを表しているのではないでしょうか。

大野智が心血を注いで作り上げたものは、完全にパッケージングされて観客に提供されます。そこには人間性とか、努力とか、過程を感じさせるものは一切入っていません。その「商品」だけで完全体なのです。たとえば他のメンバーのソロは、観客と一緒に作り上げるステージです。嵐のコンサートもそうです。ただ、大野智のソロステージだけは、観客が入り込む隙はありません。大野ソロは彼の才能に触れられる、数少ない機会です。みんな固唾を飲んで大野智の舞踏を鑑賞しているので、会場は静かになります。その鋭さと濃厚な気が満ち、緊張感のある空間は一度経験したら癖になりますねえ。。。

先ほどの相葉ちゃんのステージの外交的な明るさとは対象的な大野智のステージ。やっぱり私のベストワンです。

やっぱり生で見たいな、「TOP SECRET」 またいつかやってくれないかな。。。