すっかりご無沙汰してます
訪問ナースみんみんです
突然ですが…
先週、従姉が他界しました。
51歳という早過ぎる死。
6月30日に手の麻痺が出現し近くの病院に救急搬送。
ただの脳梗塞ではなさそうと、翌日大学病院に搬送され、検査の結果、手の施しようの無い末期がんの診断。
告知された従姉の兄と妹は、本人と母親に病名を告げることが出来ないまま、リハビリ目的ということで、近所の緩和ケアのある病院へ転院させた。
しかし、病状は進む一方。
先々週、従姉(妹)から電話があった。
「何でこんなになるまで気付いてあげれなかったのかと悔やまれて仕方ない。今、姉ちゃんがしたいことを一つ一つ叶えてあげてる。でも、どうしても家に帰りたいってお願いされるんやけど、無理よね…?」との連絡だった。
普段は身体の弱いお母さんと二人暮らしだけど、お盆には兄妹家族が集まるから、その時に帰れるように出来ないかと。
私は、「どんな状態でも、本人と家族が帰りたいと思えば帰れないことは無いよ!」と言い、お盆に私も一日休みをもらって付き添うから、家に連れて帰ろう!ということにした。
私の仕事が忙しくて、なかなか病院に行くことが出来ず、医師と打ち合わせも出来ないままだったけど、外出位なら何とか出来るだろうと思った。
だけど、その日からも病状は日に日に悪くなり、その週末に再び従姉(妹)から電話があり、「もう、難しそう…」と。
仕事のあとすぐに病院へ駆けつけると、朦朧としながらも、私のことはしっかりとわかってくれて、手を握りながら答えてくれた。
気管切開をして声は出ず、右片麻痺で左手足しか動かない状態で、一生懸命意思を伝えようとしていた。
鼻から入った栄養チューブは本人の希望で抜かれていたが、酸素と胸腔ドレーン(肺の水を抜くチューブ)が入っていた。
胸腔ドレーンからの持続吸引さえなければ、家に連れて帰れることを伝え、私が休みになる日まで状態が持ち、胸腔ドレーンが抜けることを願って病院を後にした。
それから数日後、やっと休みが取れて前日の夜に駆けつけたが、胸腔ドレーンは入ったままで、更に衰弱しており、本人が、もう家には帰らないと言った。
栄養は全く入らず、口からの水分が一日数百ccだけで、命が残り少ないのは目に見えていた。
あとできることは、苦しまないように穏やかな最期を迎えさせてあげるだけ。
その夜、一晩、従姉(妹)と病院に泊まり込み、苦しみを取る方法や不快に思うこととその対処法などを従姉(妹)に説明していった。
緩和ケアのある病院だが、一般病棟にいたので、看護師さんは体位変換にも時間毎にしか来ないし、一瞬で退室するので、言葉のでない従姉は意思を伝えることが出来ず、不快な思いをしながら、眠れない日々を過ごしていた。
従姉(妹)に「患者さんのことを一番わかってあげられるのは、やっぱり家族なんだよ。看護師はその手助けをするだけ。最期は家族の手が一番安らぐんだよ。」ということを伝え、ケアをしていった。
幸いにも痛みは無いようだったが、苦しみで5~10分しか続けて眠れなかった従姉は、ケアをすることで、その日、久しぶりに1時間とか1時間半とか続けて眠ることが出来、付き添ってる私達にも寝るように言う位落ち着いてた。
でも、死期が近づいていることは明らかだったので、叔母さん(母親)や従兄にも状態の変化を伝え、苦しまないようにする方法を教えて、病院を去った。
もう、生きている間に会いにくることは出来ないだろうと思いながら、安心して眠りについた従姉に別れを告げた。
翌日の夜、家族全員で付き添い、介護して、次の日の朝、永遠の眠りについたとのことだった。
病院に運ばれて1ヶ月半というあっという間の出来事で、みんな気持ちの整理がつかないままだけど、きっと、長く苦しむのも、家族を苦しめるのも嫌だった優しい従姉の人生の選択だったんだろうな…
いろんなことがあったけど、最期は苦しむことも無く、家族みんなに看取られて、幸せな人生だったのかな~?
寂しくないように、お盆帰りの叔父や祖父母について行ったのかな~?
お葬式では、涙もあったけど、きっといい人生だったねとみんな思い出話をしながら、笑ってました。
お家に連れて帰れなかったことはとても残念だったけど、少しは幸せな人生のお役に立てて嬉しかった。
もっともっと、お家に帰りたいという人を自信持って連れて帰れるように、勉強して技術を磨かなきゃな~♪と改めて強く思った日でした。
おねえちゃん、安らかに…
iPhoneからの投稿

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突然ですが…
先週、従姉が他界しました。
51歳という早過ぎる死。
6月30日に手の麻痺が出現し近くの病院に救急搬送。
ただの脳梗塞ではなさそうと、翌日大学病院に搬送され、検査の結果、手の施しようの無い末期がんの診断。
告知された従姉の兄と妹は、本人と母親に病名を告げることが出来ないまま、リハビリ目的ということで、近所の緩和ケアのある病院へ転院させた。
しかし、病状は進む一方。
先々週、従姉(妹)から電話があった。
「何でこんなになるまで気付いてあげれなかったのかと悔やまれて仕方ない。今、姉ちゃんがしたいことを一つ一つ叶えてあげてる。でも、どうしても家に帰りたいってお願いされるんやけど、無理よね…?」との連絡だった。
普段は身体の弱いお母さんと二人暮らしだけど、お盆には兄妹家族が集まるから、その時に帰れるように出来ないかと。
私は、「どんな状態でも、本人と家族が帰りたいと思えば帰れないことは無いよ!」と言い、お盆に私も一日休みをもらって付き添うから、家に連れて帰ろう!ということにした。
私の仕事が忙しくて、なかなか病院に行くことが出来ず、医師と打ち合わせも出来ないままだったけど、外出位なら何とか出来るだろうと思った。
だけど、その日からも病状は日に日に悪くなり、その週末に再び従姉(妹)から電話があり、「もう、難しそう…」と。
仕事のあとすぐに病院へ駆けつけると、朦朧としながらも、私のことはしっかりとわかってくれて、手を握りながら答えてくれた。
気管切開をして声は出ず、右片麻痺で左手足しか動かない状態で、一生懸命意思を伝えようとしていた。
鼻から入った栄養チューブは本人の希望で抜かれていたが、酸素と胸腔ドレーン(肺の水を抜くチューブ)が入っていた。
胸腔ドレーンからの持続吸引さえなければ、家に連れて帰れることを伝え、私が休みになる日まで状態が持ち、胸腔ドレーンが抜けることを願って病院を後にした。
それから数日後、やっと休みが取れて前日の夜に駆けつけたが、胸腔ドレーンは入ったままで、更に衰弱しており、本人が、もう家には帰らないと言った。
栄養は全く入らず、口からの水分が一日数百ccだけで、命が残り少ないのは目に見えていた。
あとできることは、苦しまないように穏やかな最期を迎えさせてあげるだけ。
その夜、一晩、従姉(妹)と病院に泊まり込み、苦しみを取る方法や不快に思うこととその対処法などを従姉(妹)に説明していった。
緩和ケアのある病院だが、一般病棟にいたので、看護師さんは体位変換にも時間毎にしか来ないし、一瞬で退室するので、言葉のでない従姉は意思を伝えることが出来ず、不快な思いをしながら、眠れない日々を過ごしていた。
従姉(妹)に「患者さんのことを一番わかってあげられるのは、やっぱり家族なんだよ。看護師はその手助けをするだけ。最期は家族の手が一番安らぐんだよ。」ということを伝え、ケアをしていった。
幸いにも痛みは無いようだったが、苦しみで5~10分しか続けて眠れなかった従姉は、ケアをすることで、その日、久しぶりに1時間とか1時間半とか続けて眠ることが出来、付き添ってる私達にも寝るように言う位落ち着いてた。
でも、死期が近づいていることは明らかだったので、叔母さん(母親)や従兄にも状態の変化を伝え、苦しまないようにする方法を教えて、病院を去った。
もう、生きている間に会いにくることは出来ないだろうと思いながら、安心して眠りについた従姉に別れを告げた。
翌日の夜、家族全員で付き添い、介護して、次の日の朝、永遠の眠りについたとのことだった。
病院に運ばれて1ヶ月半というあっという間の出来事で、みんな気持ちの整理がつかないままだけど、きっと、長く苦しむのも、家族を苦しめるのも嫌だった優しい従姉の人生の選択だったんだろうな…
いろんなことがあったけど、最期は苦しむことも無く、家族みんなに看取られて、幸せな人生だったのかな~?
寂しくないように、お盆帰りの叔父や祖父母について行ったのかな~?
お葬式では、涙もあったけど、きっといい人生だったねとみんな思い出話をしながら、笑ってました。
お家に連れて帰れなかったことはとても残念だったけど、少しは幸せな人生のお役に立てて嬉しかった。
もっともっと、お家に帰りたいという人を自信持って連れて帰れるように、勉強して技術を磨かなきゃな~♪と改めて強く思った日でした。
おねえちゃん、安らかに…

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