part1からの続き・・・

 

 

 

18歳で某ファッション専門学校に入学クラッカー

 

 

東京での一人暮らしは毎日刺激がありひらめき電球

 

 

ずっと遊園地にいるような状態おすましペガサス

 

 

若さもありフットワークも軽かったし筋肉

 

 

何よりも何事にも情熱があったな〜メラメラ

 

 

専門学校では作った作品が2度金賞に受賞し王冠1

 

 

その副賞でフランスに行ったりしてましたフランス

 

 

専門学校2年目

 

 

バイト終わりの夜に姉から電話が電話

 

 

母が脳腫瘍で倒れて入院したと知らせがガーン

 

 

次の日に手術をすると聞いてすぐに実家に帰りました新幹線

 

 

病気の知識もなかった自分は「癌=死」のイメージが強く

 

 

手術を待っている待合室で号泣したのを覚えていますショボーン

 

 

術後も放射線治療を何回か行い無事退院することができましたあせる

 

 

医者からは余命5年くらい昇天持って10年ほどかと言われていましたが

 

 

18年経った今も元気で暮らしています

 

 

しかし手術の代償は大きく予防接種

 

 

情報処理能力が著しく低下し

 

とても仕事ができるような状態ではなくなったのですガーン

 

 

早期退職し主婦となった母ですが

 

 

料理することや掃除することもままならないため

 

 

母代わりに東京にいた姉が実家に戻るしかなかったのです

 

 

自分は戻らず専門学校で勉強させてくれたことに今でも姉に感謝していますショボーン

 

 

そして専門学校を卒業して、アパレル会社に就職しますスーツ

 

 

職場では色々経験をさせてもらいました

 

 

毎日楽しく充実した仕事ができていたと思いますダイヤモンド

 

 

就職前から学生時代に行ったフランスに住むんだ!!

 

 

という目標もありコツコツ貯金もしていましたコインたち

 

 

しかし社会に出て3年目の秋イチョウ

 

 

再び姉から一本の連絡が電話

 

 

母の癌が再発し入院するとの連絡がゲッソリ

 

 

この少し前に祖父も寝たきり状態になり介護が必要でしたふとん1

 

 

そしてまた同じ頃に姉は結婚して東京に引っ越すと決めていたのですトラック

 

 

一家の稼ぎ頭である父は仕事をしなくてはならないため

 

実家に戻ってきてほしいと相談がありました新幹線

 

 

((祖母がみればいいのにと思うところですが、うちはこの祖父母に癖がありまして・・・

家族全員祖父母にとても苦労させられましたチーン))

このことはいつか書けたらと思います

 

 

今からやりたいこと沢山あるのにもやもや

 

 

と思いましたが姉には専門学校時代に実家に戻ってもらった恩があるので

 

 

今回は自分が戻ろうと思ったのです

 

 

25歳の冬仕事を辞め、実家に戻りました

 

 

実家に戻りましたがど田舎にアパレルの経験を活かす職場などなく雲

 

 

これから何をして生きていこうかと悩んでいた

 

 

ある日実家に戻ってきたことを

 

昔から仲が良かった従兄弟の兄ちゃんに電話をしました電話

 

 

兄ちゃんは唯一親族で医療関係をしている人でした病院

 

 

兄ちゃんは「これからの時代は看護師だよ」と言われ

 

 

ちょうど次の日

 

 

ハローワークで仕事探しをする検索してみるとPC

 

 

田舎では工場トラックか医療関係病院の仕事がほとんどでした

 

 

これは看護師しかないかと思い

 

 

今期募集していた看護師の専門学校学校

 

 

手当たり次第応募しましたメモ

 

 

実家の近くの学校は募集が終わっていたり

 

 

試験に落ちたりしましたがダウン

 

 

実家から車で1時間かかる車

 

 

茨城の専門学校になんとか受かり滝汗

 

 

4月から通うことにしましたチューリップ赤

 

 

アパレル業界から医療関係に転職した人っているのでしょうか真顔はてなマーク

 

 

というぐらい変わった人生を送っておりますウインク

 

 

本当に人生って何があるかわかりません目

 

 

 

part3に続く・・・