弟が生まれたのは私がまだ4歳の頃でした





母の妊娠がわかる少し前に父はそれまで勤めていた会社から独立し、朝早く家を出て夜遅くまで働く日々が当時も続いていました






だいたい夜は私が寝たあと帰宅して
朝は私がごはんを食べている途中で父は席を立ってしてしまいます


なので私の成長がいちばん早い時期に父と過ごせた時間はそう多くありませんでした


日曜も休まず、毎日働き詰めでした


私はたいてい口をもぐもぐさせながら、父に「いってらっしゃい」を言いました


私の家の朝食はトーストがほとんどだったのですが、父はいつもパンの耳を残していきました


私は焼いたパンの耳のサクサクしたのが大好物で、父の残したそれを「いってらっしゃい」のあとに食べるのが毎朝楽しみでした









話が少し脱線してしまいましたが、とにかく
そんな忙しない頃に弟は生まれました





私は弟が生まれるまで毎日、少し前まで自分がいた母のお腹に触れました


顔も見てない弟が既に可愛くて仕方ありませんでした





弟は夏の盛りの夜にいざ生まれんと動き始め、朝方にやっと産声を上げました


残念ながら、その頃の私は睡魔に勝てずその瞬間は夢の中でしたが、朝病院のベットで目が覚めてすぐ歓声をあげたのを覚えています


病院内でも「大きい赤ちゃん」としてちょっとした有名人だった弟は男の子らしいどっしりとした体格で、誰に対しても愛想よく笑う子でした


初めて私が弟を抱かせてもらった時、母は私にききました





「一緒に育ててくれる?」






毎日家族のために働く父の不在は
母にとって大きな不安だったはずです


妊娠中に私の世話をするのもかなり大変だったでしょう


家を綺麗に保ち、父の仕事の事務作業までこなしていました


しかし赤ちゃんがお腹にいるのと目の前にいるのとでは状況は大違いです


もう臍の緒を伝って勝手に食事はしてくれませんし、
ちゃんと服を着せなければいけません


排泄をそのままにしておくわけにもいきません


泣けば抱かなければならないし
少し経てば座って、立って、歩いて
話すようになります


目を離せば何でも味見しようとします
(金属でも紙でも関係なく口に入れます)


そんなことは少なくとも私に微塵も感じさせませんでしたが、先のことを思い考えると手離しでただ出産を喜ぶことはできなかったでしょう


一緒に育ててくれるかという母の問いかけに私は大きくうなずき、自分のできることは本当に何だってしましました


物心ついた、というのか
幼少期の記憶がはっきりとあるのはこの瞬間からです


母がつくったミルクを弟にやって(とにかくよく飲んだ)、母がげっぷをさせてやりました


お風呂はテンポよく3人で入りました


母が先に入って自分を綺麗にし
弟は私が服を脱がせたあと母が洗い
私はそれを見守りながらお湯に浸かる


終わったら今度は私が自分でからだを洗って
一足先にパジャマを着ます


そして母がお湯からあげたばかりの石鹸のにおいのする弟のからだを拭いて、おむつを履かせ、寝巻きを着せる


私が脱衣所で弟に服を着せるのを、母はよくお風呂の戸を開け放して中から見守っていました





絵本を読み聴かせるのがいちばん得意で、自分が小さい頃両親に何度も繰り返し読み聴かせてもらった物語は空で語りました


ときどき勝手に展開やセリフを変えて弟を笑わせます





ヘンゼルとグレーテル
3匹のこぶた
ぐりとぐら
しまりすくんのながい夜
おおかみ少年
100万回生きたねこ





絵本はたくさんありました


弟が生まれるまでに
たくさんの物語を覚えました


それだけたくさんの物語を両親に読んでもらいました


父の仕事が落ち着くのに何年かかったのか
明確には覚えていません


弟が舌足らずでも会話ができるようになった頃
ときどき読み聞かせ役をする父を覚えているのでたぶんその頃でしょう









弟はこの春高校を卒業しました









父は還暦を迎えました






お誕生日には私も帰省し、寡黙な父と静かな昔話をしながら夜遅くまでお酒を飲みました


あの頃は子どもたちの寝顔と起き抜けのかすれた声が毎日の励みだった
と、少し熱っぽい遠い目で父は語りました


翌朝少し眠りすぎた私が朝食のテーブルに着いた頃
父はもう仕事着に着替えベルトを締めているところでした


父の席には白いお皿と空のマグカップ、ヨーグルトの容器がまだそのままになっていました






私はふと思い出して父に問いました





「お父さんって、食パンの耳、嫌いじゃないの?」





父は問いの意図がわからないらしく、訝しげな顔で首を傾げ答えました。









「パンは、耳が一番美味しいやろ」