タイに来て3週間。
1週目は大好きなタイの環境がすぐそこにある
ことに感動して色んなものを見たい食べたい
久しぶりのタイ語を話したいと思った。
学校に来てからは新しく出会うクラスメイトたちの輪に入って練習をがんばったり一緒に出掛けたり協働作業する楽しさがあった。
同じ日本から来た人も多く意思疎通の不便さはなかった。
私がタイ文化に慣れていることもあり色々案内したりで、そのせいか大好きなタイについて人に話すことができ楽しかったの。
わたしにはこのように好きな事を教えたくなる癖がある。
でも恐らくみんながみんなその情報が欲しいわけではないから
慎むことを学びたいと思うきっかけになった。
多くを語らず、が目標。
2週目は大好きなタイにいながら
同じ日本人同士に厳しい目を向ける日本人社会に
嫌気がさした。
気分よく1人で出掛けたのに、日本人のクラスメイトから干渉するような連絡がきたり
十分大人になった自分は、そんなにキャピキャピ群れていたくないのだ。
イタリアの子と意気投合し、一日中英語で会話し始める。日本人とはちょっと距離を置く。
英語9割 日本語1割の一日。
彼女とは同じ価値観を持ち、大切にするものへの考えが同じ。
とても居心地が良いし、話していて、グッときたりハッとする言葉をくれる。
彼女はとても素直で可愛い
あまりにも意気投合したもんだから
深い話になっていくんだけど、そうなると難しい単語や表現を使うから、私の英語力の無さがまた新しい目標を生んだ。
フランスから来た子とも深い話を共有し合えたし私の素の価値観を共有できる仲間は他の国にもいるのだ。
だから、その人たちと深く話したいし考えを聞きたい。
だから、帰国したら英語を勉強しよう。
しかしながら、
自分もまた、日本人に対して厳しい目を送っている。
自分にとって目に余るような日々をここで送っている日本人に対して距離を置いたのはそういうこと。
すぐそんなとこに着目する自分にも嫌気がさす。
彼らは迷惑はかけていないし
自分とは考えが違うだけ。
私自身がステキだと思う事や、人への感動と
合わないと思って目や耳にも入れたくない事
この2つの間で行ったり来たりして
心の振れがひどく、疲れていた
3週間目は
狭間で揺れ動く自分の気持ちはだいぶ落ち着いてきた。
私にとって何が大切で、何をしたいのか
それを私は外さないという気持ちがあるから。
タイにいる環境、仏教の考えがすぐそこにある環境にありがたく触れている実感。
そういえば、前述のイタリアの友達は
クラスメイトたちが毎晩群れて飲みに行こうとするのを見て
「私はこぞって毎度毎度出掛けたくない、色んな物は近くで揃えられるし、食べられる物が目の前にあればそれを頂けばいい。」
という考え方で
私はとっても共感した。
だから、彼女は食べ物を残さないし
食べきれなかったら次の食事の時間に食べている。
残念ながら、捨てなければいけない時があったけど、捨てるところを彼女は直視することができなかった。
せっかくタイに来ているから
色んな場所やずっと食べたかったタイ料理を食べておきたいと
旅行者気分で出掛けたくなる日もあるけど
今ここにいる環境こそが1番貴重だと
私は思っている。
食事の心配もせず家事の心配もせず
マッサージだけに集中できる
聞きたいことが浮かべば
先生がいてすぐに聞ける
綺麗なお庭があってプルメリアやバイトーイがそこには咲いてて鳥の声が美しい
今この瞬間寝転がっているのはランナー様式の建物で
近所の人々がのんびり暮らして時間の流れが遅い
先生といつもマントラを唱えるシヴァカ像がある
日本にいる時何よりそこに居たいと思った風景に今わたしはいる。
縁あってこの場所に来た
だからこの場所で出来る事を味わいたい
残り1週間はそれを堪能しようと思う。
でも、あれもこれも吸収しなきゃと意気込みすぎずに目の前にあるものにただしっかり意識を向ける。ただそれだけ。