平成9年秋にNPO君は、小松に戻って来ました。同級生の会や町内やお寺の円満の会に顔を出すようになり、2・3年経ち少し慣れてきた頃、先生に誘われて公民館を手伝うようになった。

 公民館 の2階に倉庫があり、ある時、町史の資料を見てしまった。市立図書館 へ行くと隣町の町史があるではないですか。なぜ我が若杉町は出来ないのか、どこまで出来ているのか、先生や、仲間や、実家の母に聞いたりしました。町内の総会でも話題に出してみた事もあります。
町史メンバ0

 まあ仕方が無いやとあきらめていたところ、先の3人が再始動し出した訳であります。そしてとうとうNPO君にも校正係としてお声がかかりました。昨年から火曜日ごとの町誌編纂会に参加するようになった訳です。

 戦後の農業などのこと、町の資料的なことなど、不足の部分は将来の再発行の時に補ってもらえばよい、出来ているところまでで完成させてしまおう、と言う事になり再始動したようです。この機会を逃すと二度と出来ないとの決意もあったようです。
 手書きの清書された原稿を読みながら、よくここまで書き上げたと感心しました。最終的に「町誌わかすぎ」と題名を決め、あえて「誌」の字を使うことになりました。これも編集委員の気持ちが表れています。
若杉町

 今年の総会で町内会に諮り、費用や配布などについては町内会にお任せする事になり、編集に校正に拍車が懸かったものです。

 たまたまこの秋、市立博物館 で「再興九谷の源泉 若杉」として若杉焼の特別展を開催しています。今年は若杉窯開窯二百年にあたります。また、今、六代林八兵衛が築いた若杉堤を改修しています。これも町誌に触れたればこそ身近に感じられる事ですし、なにかの縁を感じるものであります。

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 昨年から火曜日の夜は月に2・3回ペースで公民館に集まり、町誌の編集と原稿の校正に当たった。メンバーは編集委員の波佐間さん、坂本さん、林先生、NPO君で約1年半になる。節目に写真の北川さん、その他藤田君、若本君、木本君などにも顔を出しもらい進めて来た。
 その町誌がこのたび完成し、秋祭りに奉納できたと聞いた。チョウシ

この町誌の完成には長い苦労話があり、NPO君は殆ど完成して校正だけと言ったところから参加した訳で、少しでもお手伝いが出来て、参加させてもらったことを感謝している。

昭和54年に当時の町内会長から、町史編集委員として8名の方が任命されてスタートしました。最初の10年間は、先ほどの3人によりますととにかく一生懸命、資料集めに、取材に駆けずり回った。あの頃は本当に元気があった。町内のお年寄りや役員の話を聞き、また資料の確認に、京都や富山県、県内各地を訪ねたとのことです。町史2

大変な苦労をし、ほぼ原稿も清書されていましたが、その後15年間は活動が途絶えてしまった。戦後編のまとめが出来ないうちに諸事情が重なり中断となってしまったのか、他に問題があったのか、それとも町内の事情が変わったのか、定かではない。
若杉

NPO君は平成9年秋に若杉町 に帰ってきましたが、その後の経過は次回で。

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 先日の歓迎会で、二人はスペイン料理を振舞ってくれるとの話があり、NPO君はこの日(9月24日)早い目に仕事を終えて、先生宅へ向いました。自転車でも飲酒運転になるのかと帰り道を思いながら、前の籠にお酒とビールを放り込んで久し振りに自転車をこぎました。
パエリア
 
もう5時を廻っていましたが、奥さんに庭のほうへ案内されました。大きなシートに机を並べ座蒲団に座り、皆さんもう出来上がっているようで、賑やかな事です。

丁度3回目のパエリアが出来上がったとのことで、アツアツを頂く事が出来ました。サングリアと言う赤ワインに果物を漬け込んだ飲み物を飲み、トルティーリアというジャガイモのオムレツも食べました。スペイン料理もなかなかいけます。
ハビ君

 皆さんは午後からずっと飲んで食べていたみたいで、用事のある人はそろそろ帰るとのことで、それでもいつものメンバー5・6人が残り、家の中に場所を変え、宴の続きです。先生の奥さんも、「ともちゃん」もあきれているのでは、と思いつつ私も飲み続けました。
 
仲間たちは、事あるごとに将棋盤を引っ張り出し、今日も午後からの続きで将棋を指しています。若杉町名人戦秋季リーグと言った趣です。レベルはどんな物かは知りませんが。NPO君は将棋よりも囲碁がお好みで、先生に無理を言って相手をしてもらいました。
トルティーリア

 10月の最終日曜日に「ハビ君」の送別会を催す事になり、皆で合鴨を料理する事、そしてNPO君が蕎麦を打つ事になりました。「ハビ君」に手伝ってもらって久し振りに蕎麦を打とう。また、楽しみが出来ました。

 先生の奥さん今日はどうもありがとうございました。

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 NPO君の同級生で仲間から先生と呼ばれる林君は、小学校の校長で毎年9月になると外国の研修生をホームスティさせている。

 今年は9月3日にスペイン人のハビ君が先生のところに来たそうで、現在、第一小学校へ教育実習に通っている。小松短大や荒屋小学校にも実習に行くそうです。
はびくん

 昨年は、アラスカから来たエバン君とオーストラリアからのレニータさんと一緒に、仲間の山登りで「口三方岳 」に行った。NPO君日記でも紹介しましたが、先生のお陰で外国の若者との得がたい経験をさせてもらっている。

 今晩(9月21日)、町内の居酒屋で、ハビ君の歓迎会をやるからとNPO君にも声がかかり、喜び勇んで駆けつけました。先日の秋祭りで見かけた、仲間の焼き鳥コーナーで手伝っていた、変な外人でありました。そして、横には可愛い女性がいるではありませんか。この人がともちゃんでありました。
はびくんともさn

 二人を囲み、15人位いただろうか、大変盛り上がって賑やかな事でした。ともちゃんは、ハビ君の奥さんで、二人は現在西宮に住んでいること、インターン生で医者になること、二人はオーストラリアで知り合ったことなど聞きましたが、馴れ初めは聞き漏らしまして残念でした。

 盛り上がった席で二つのことが決まりました。①次の土曜日にハビ君夫妻が本場のパエリアを料理し、皆に振舞う。②2年後に二人はスペインに帰るが、この仲間でスペインのハビ君の実家を訪ねる。
はびくん2
 
話は大きくなるものだが、②は是非実現したいものです。酔った勢いだけではなく、本当に行きたい。ハビ君、先生、仲間たちよ、うちの嫁と二人で参加させてくださいね。

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 9月11日(日)第4回円満の会ボウリング大会 が、百万石リゾートレーンで開催された。スポーツ委員会の皆様、特に岡崎委員長には家族総出のお手伝いで、組み合わせから受付、賞品手配まで大変なご苦労をかけました。

 NPO君は事務局として、委員会の準備や、参加者名簿の作成などお手伝いをし、大会は30組122名の参加でありました。
ボウリング
 スポーツ委員会は、以前はグランドゴルフの大会を開催していましたが、天候の心配や参加者の偏りなどもあり3年で終了、4年目からボウリング大会に変更となったものです。

 当日もすごい天気になり、屋外でのイベントであれば中止せざるを得ないといった状況です。屋内でのげーむのありがたさを感じた次第です。

 大会の模様は本光寺ホームページ「スカッと念仏円満の会のページ で見ていただければ幸いです。他の記事も満載ですので、いつでも覗いて見て下さい。

 NPO君は、子供さんのいるグループに入れてもらい、楽しくゲームが出来ました。最近は目標100点と言う具合で、1ゲーム目は目標達成、2ゲーム目は未達、子供たちのほうがズット上手いのです。bouring
 学生の頃はといっても30年近く昔でありますがボウリングブームで、昼間はいつも一杯なのでモーニングサービスと言うのがあり、朝の6時からボウリング場に通った覚えがあります。その頃はもっと良いスコアで、何て云うのは年寄りのたわ言であります。
 
スポーツは、特に球技は大きい、小さいにかかわらず苦手ではあります。それでも楽しいですから、参加はしますよ。

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① 白山の朝日、日本海の夕日
② 小松六ヶ寺と那谷寺ハニベ岩窟院
粟津温泉 と遊泉寺温泉、赤穂谷温泉木場温泉
④ 小松空港と北陸自動車道、北陸新幹線
⑤ 小松ドームと各種運動施設
⑥ 小松の和菓子とお茶、お花、謡
⑦ 九谷焼
⑧ おいしい水とお米と魚------

小松市の活性化の切り札はこれらの資源を生かし、シニアタウンに変身する事である。酔っ払うといつもこんな事を考えてしまう。結構、同じ事を思う人がいるに違いない。
 何年か前にテレビで東京巣鴨のとげ抜き地蔵と商店街の話を見た事がある。これは一度実際に見なければと、見学に行った。
 なるほど、お年寄りに優しい店、商品も多く選び易い店、ひかりものの店、和菓子の店等々、そして、お地蔵さんや観音様にお参りする人の群れ、それを見に来る私みたいな観光客、人が人を呼ぶのでしょうか。
 九谷 元気な年寄りは、買い物にスポーツに、ゆっくりしたい人は温泉や景観地に、小松に住んで楽しめばよい。そして付きに一・二度、子供や孫が東京や大阪から見舞いがてら、遊びに来ればよい。人が集い、地域が活性化し、地元に金も落ちる。

 老人ホームよ小松に来い。老人福祉施設も小松に来い。小松はお年寄りの住み易い、お年寄りの多い町になろう。もう10年もすれば団塊の世代はお得意様になる。NPO君も団塊世代です。
 小松の商店街がんばれ!小松のお寺がんばれ!シニアタウンに変身を!

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本日は休日で、新聞の映画案内欄を見たらとたんに行きたくなった。「亡国のイージス 」上映時刻は14:00だ。本日の予定(散髪と月1回の健診)を午前中に済ませ、御経塚サティに駆けつけた。
 テレビで完成試写会とか、出演者の舞台挨拶とかやっていたので、面白そうだからと観に行く気になったものだ。映画は大好きで、近くに映画館があればもっと見ると思う。考えたら、去年のビートたけしの「血と骨 」以来です。
 ストーリーは、国家に反旗を翻したイージス艦「いそかぜ」副長宮津二佐(寺尾聰)が全ミサイルの照準を首都圏に向け、政府に要望を突きつける。某国秘密工作員(中井貴一)とともに、国家顔2 に復讐を図る。顔
 艦を取り戻すべく先任伍長・仙石(真田広之)は、如月一等海士という謎の乗組員と過酷な戦いに挑む。防衛庁情報局内事本部長(佐藤浩市)も絡み、なかなか面白かった。

 制作費12億円、防衛庁、海上自衛隊、航空自衛隊が協力をして、福井敏晴の人気小説を映画化したものと説明書にあった。日本でもこんな映画が作れるのかと思って、興味深く観た。本物のイージス艦や実物大のオープンセットの映像は迫力があった。

 次の日に、本屋に行って原作本をさっそく買いました。文庫版で上下2冊、映画を観て原作を読むのもいいではないか。でもいつ読み終えることが出来るのだろうか。

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 教科書で初めて六波羅蜜寺 とか空也上人像 を知ったとき、変な名前だなとか、口から小さい仏像が出て来るとは、とか思ったものです。
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 六波羅蜜とは、仏教で教える幸福を得るための六つの条件を言うそうです。①布施(ほどこす)財施、法施、眼施・顔施、言施、無畏施、身施、心施、
座施、舎施
②持戒(つつしむ)
③忍辱(しのぶ)
④精進(はげむ)
⑤禅定(心身を静める)
⑥智慧(学ぶ)
 とありました。なかなか難しいですね、NPO君にとっては。
食うや

 空也上人像は運慶の四男庚勝の作です。他にも清盛の僧形坐像や仏像が、本堂左奥の宝物殿にある。よくぞ残してくれたものである。これは必見です。今は小さいお寺ですが、西国33ヶ所めぐりの第17番札所にもなっており、お参りの人の絶えないお寺です。

 五条通り(国道1号線)から大津に出て、湖岸沿いに坂本へ向います。本日最後の見学先「日吉大社」です。坂本の町並みも大好きで、ツァーでなければ石垣沿いに歩きたいものです。穴生衆と言われた石積みの専門家集団が仕事に当たっています。

 大宮橋を渡ります。紅葉に映えるこの橋の写真がポスターなどによく使われます。日吉大社の上七社を西本宮から順に見て回ります。中に白山宮もあり菊理姫 などという文字を見つけると、嬉しくなります。どこへ行っても故郷自慢をしたいNPO君です。
kawa
 帰途につき、大津ICから名神に入り、草津で弁当を積み込み、バスの中で夕食を済ませ、ひたすら小松に帰ります。8時ごろ到着、まだ兎橋神社の西瓜祭の夜店が出ている頃でした。幹事の方、同行の皆さんありがとうございました。

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 パネルの一つに義経の顔 はというのがあった。資料が少なく美男だとか、小柄で風采が上がらぬ男だとか、評価が分かれている。NPO君としては義経もさることながら、母の常盤御前 の顔を見てみたいと思う。絶世の美女で、義朝にも清盛にも愛された女性である。映画や芝居などで美男美女のイメージを持っているから、本当はどうなのだろう。
 木の根道を少し歩き、九十九折を下り由岐神社にお参りして仁王門へ戻る。鞍馬の火祭りはここの祭礼である。火祭りの思い出は、またの機会にしよう。

 鞍馬寺を後にし、堀川今出川へ出て東へ。NPO君の母校D大 を横目に見て百万遍から白川通りを越え、「白沙村荘 」へ向う。銀閣寺の少し手前に当たるかと思う。ここが昼食場所である。
 家 冷奴と懐石料理でビールをいただき、本当に幸せである。床の間に橋本関雪の「心猿図」の複製が架かっていて、思わず写真を撮ってしまった。 庭を見て回りましたが、関雪が30年に渡り全精力を注いで作庭したもので、すばらしい池泉回遊式の庭である。所々に石造物が置いてありこれがまたアクセントになっている。大正期にここが道路より1.6メートルも低い湿田であったとは、とても信じられない。ギャラリーを見て回りバスに戻った。いずれまた訪ねよう。
 鹿ケ谷通りから丸太町通りに出て、加茂川にぶつかり手前の河端通りを五条まで下る。昔はここを京阪電車が走っていました。今は地下を走ります。地蔵
 五条通りにバスを止め、六波羅蜜寺 まで小路を歩いて行く。お地蔵さんがあり、百日紅が咲きなかなかの風情である。清盛の頃、六波羅は平家の屋敷が並んでいたという。鎌倉時代には幕府の探題が置かれていたところでもある。今は路地が入り組む住宅地である。その先に六波羅蜜寺はある。(続く)

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 8月28日(日)標記の日帰りバスツァーに参加した。

今回の目的は、義経ゆかりの鞍馬寺 を訪ね、理解を深めること。また六波羅蜜寺空也聖人清盛の像 を見学すること等である。そして京都らしい所で京都らしい昼食をとると聞いて楽しみである。
朝6時出発、平均年齢の高い団体にもかかわらず、いつものことながら皆さん元気で感心する。9時30分には京都市内に入り、堀川通りを北上していた。早い出発とはいえ不思議な感覚である。昔は行くだけで一日掛かったものですから。
京
上賀茂神社の近くを通り、京都産業大学やゴルフ場横を通り、鞍馬街道 を走り、仁王門 の前に着く。7月に貴船神社 を訪ねたが、山一つ越えればという近所である。いずれにしろ、大変な山の中であります。
仁王門からケーブル乗り場へ、2分ほどで到着、山道と階段を上り本堂へ向います。ここも何度も焼けており、今の本堂は戦後の鉄筋コンクリート造りである。本堂の両脇に「阿吽の虎」がにらみを効かしている。背中を高く丸めて号令即飛び掛りそうな雰囲気である。NPO君は野球では大のタイガースファンで「これはいい物を見た。今年の優勝は間違いない」と叫んだものでした。
京2
元天台宗で京都の北を守る鎮護の寺であったようで、明治期には苦労したようで、戦後、鞍馬弘教として独立したものである。謡曲鞍馬天狗 に出てきたり、義経が修行した寺と聞くすぐ感心してしまう。京3
本堂から霊宝館へ向かい、百の義経展というのを展示していた。義経の一生を百の項目に分けて詳細な解説パネルがあり、また鞍馬寺に残る義経関連の遺品なども展示していた。(続く)

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