npoafrasiaのブログ

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アフリカ大陸の真中コンゴ民主共和国(旧ザイール)出身の夫が、国の発展を願いながら亡くなったのは1997年。しかし、それからアフリカ戦争が始まってしまった。今尚、下降して行く国のために、日本から何ができるのか奮闘模索中。

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約1年半のぶりのブログです。
ぼぉ~っとしていたのではありません。
書ききれないくらいの複雑な経験や、
書けば社会的に問題になりそうで
書けないくらいのことがあったんですよ。
でも、約1年半で、アフリカに頼りにされていた
経済大国の日本はどこに行ったんでしょうか?

日本政府が考えた「アフリカ会議」???
あれは、何だった?
今や、レアメタルの問題だけでも、
アフリカに頼りたい時代になってしまいました。

今まで、コンゴの子供達のことばかり、
考えて約6年間を生きてきました。
でも、今は日本の将来の方が心配!!!
おかげさまで、私の知る限りの子供達は、
まだ貧乏ですが、すくすくたくましく育ちました。
一人は、奇蹟を起こし、大学生になり、電気技術を学んでいます。
おまけに、他の元ストリート仲間の良きお兄ちゃんで、
彼らを助けています。
次のの問題は、母親や女性の仕事や自立のために
貿易とかできないかを考えています。
「差別的」と誤解されるかもしれませんが、
アフリカに行くと「白人だから」という言い方をよく聞きます。
白人というのは、先進国のことを言います。
アフリカには、アフリカの事情や文化があります。
それを先進国の人達は、自分たちは成功し、幸せと思い込み、
自分たちの価値観や文化や常識を押しつけてきました。
確かに、日本はアフリカと比べたら、天国みたいに見えます。
でも、アフリカに行くと、私はとても癒されます。
毎日、泣いたり、笑ったり、怒ったり、感激したり、
自分の個性を出して生きてる~っという、
幸せを感じて肩こりや頭痛を忘れます。
もちろん、お金や病院の施設の問題は、山ほどです。
でも、「生きてる」という感触は、
日本にいるより感じることができます。
それでいつも「「アフリカ」に帰りたい」と懐かしんでいます。
今、日本に住んでいるアフリカの人達は、
成功したり、老後は、アフリカの母国に帰ると思います。
アフリカには、「許し」や「癒し」や「愛情」があります。
日々の暮らしの苦労から、そうした人間関係が必要だからです。
まず、ひとりぽっちになることはありません。
いつも誰かがいてくれます。
日本もかつてそんな時代があったのですが・・・・・

そこで、白人との価値観や生き方などの違いを考えました。

1)
白人の社会では、肉を食べないベジタリアンが健康に良く、
ダイエットだとか、かわいそうな動物を保護することだと考えます。
野菜が足りなくて、肉を食べるしかない地域の人のことは知りません。
2)
白人の社会では、象牙を獲ったり、売買することを禁じています。
自分の国に象はいないので、象に作物を食べられてしまったり
するのを知りません。


また、象牙の入れ歯や、大事なお守りにされているのを知りません。
3)
白人の社会では、時間を守るのが常識です。
時計が無かったり、天候や体調が悪かったり、
交通手段がなかったりで、守れない国を知りません。
4)
白人の社会では、お金を借りたら返すのが常識です。
自分のためではなく家族のためにお金が必要な場合が多く、
家族も大人数のために、次々問題が起きて、
なかなか返せない人達を知りません。

そして、
5)
白人の社会では、子供に労働をさせるのは「悪」と考えられます。
それは、家庭があり、親の仕事があり、学校があり、子供が守られる
正常な社会体制がある国の場合です。
親たちでさえも仕事がない国で、
親のために働く親思いの子供たちの苦悩を知りません。
職を失った子供たちの、その後の状況を考えていません。
 コンゴ民主共和国の元少年兵は、世界的な問題になりましたが、
18歳からしか入隊できない法律ができ、職を失い、
家族も殺された上、帰るところも住むところも無くなった子供達は
どうすればいいのですか?
ある元少年兵に聞きました。
「勉強もしたことないし、悪いことをするしかない」
というのが現状です。


白人の公的機関やマスコミは、
この気の毒な子供たちの将来も考えてください。
そこまで責任を持ってあげて
初めて意見や活動ができるのではないでしょうか?

 まだまだ発展の途上ですが、アフリカの価値観や常識を
親身になって理解した上の、援助やアドバイスをお願いします。
アフリカには、すばらしい子供たちと将来があります。
彼らは強い、たくましい、明るい!!
日本の「自殺」「いじめ」「ひこもり」「虐待」って何????
皆さん、アフリカから学ぶことがいっぱいありますよ。
日本だけが天国ではありませんよ。


 毎日、コンゴから国際電話がきます。

ONE切りで、コマ目に電話をしてくるのは、こちらからかけ直してというサイン。

話す内容は、100%お金の催促です。

私は、あちこちに、問題が起こるごとに送金してきたため、それが2乗、3乗に増えてしまいました。

今まで問題のなかった人たちも、失業や病気、子供の学費・・・・とにかくあっちもこっちもです。

元ストリートの子供たちも成長して、インターネットで、欲しいもののりストが送られてきます。

私が、お金持ちなら・・・と毎日ため息をつき、国際電話を無視するしかないのが現状です。

それでも定期的に、心配な人には、私から電話をします。

日本で、貧乏ながらも、平和で幸せに暮らす自分の罪悪感が貯まるからです。

世界経済の悪化は、じわじわと経済に弱いアフリカを苦しめているのかもしれませんが、送金の要請は、むか~しから同じです。

アフリカ人の家族がいる人は、皆私のように、同じ罪悪感を感じているはずだと思います。

 でも、アフリカ人は信じてくれませんが、この日本も失業者が増えています。

そのため、私がアフリカの話をしたところで、アフリカの問題どころではないと批難されそうなムードが漂う時があるほどです。

でも、やっぱり日本はまだまだ幸せです。


 昨日、まだ軍人を辞められない義弟は、2週間後に子供がまたまた産まれるのですが、病院に行くお金がないと催促をしてきました。

ゴマに行けば、国境の警備で仕事があるのですが、キンシャサでは、仕事は無いので、給料を貰えないと言うのです。

又、2年間の昇給するための軍事学校にいく予定でしたが、学校運営自体が閉鎖されて、彼の行き場がなくなりました。

その上、キサンガニやブッタで、大学の講師をしていた従弟も、なぜか家族に会うためにキンシャサに帰って来てしまい、狭い家に、3家族10人が同居してます。

助け合って生活しているのでしょうが、みんな肩書きにこだわって、思い切った行動ができないのです。

それで、昨日は、彼らに怒りまくりました。

「いったいいつまで私をあてにしているの?もう貴方たちには、いっぱいお金をあげてきたでしょ?ストリートに住む貧しい子供たちを私が助けることに、何も助けてくれないで、自分たちのことばかり考えて!私が日本で仕事しながら、2人の子供を一人で育ててきたのに、貴方たちは、そのお金まであてにして!もっと、真剣に生活のための仕事を考えてくれない!(コンゴ人の夫は12年前に亡くなっています)」

ずっとずっと、義弟に軍人の仕事を辞めて、私と貿易の仕事を再開しようと提案してきたのですが、いつまでも辞めれないので、あきらめていたのですが、今又、辞めさせるチャンスです。

それで、彼に怒りの電話をしているときに、思いついたのですが、カレー屋を始めてはどうかと提案しました。

義弟は日本に居たときの思い出に、味噌汁やカレーライス、ラーメンを懐かしむので、それらをこの冬に送ってありました。

また、野菜の種も送るから、空き地を畑として、その野菜を作るように言いました。

どこが底なのかわかりませんが、どんどんこの国の経済は悪くなっていきます。

レバノン、中国、インドなどの植民地のようになっていくコンゴをどこかで食い止めなくては・・・馬鹿がつくお人好しの私の行く末は暗いのです。


いつか、彼らと、GIVE & TAKEの交流ができる日を夢見ています。

 不思議なご縁から、キンシャサに行かれる方がいて、荷物が少ないというので、

ボンゴや、小さな楽器を6年間音楽を通して育てた少年少女たちに届けてもらいました。

他にも、寄付でいただいた20kg分の子供服も持っていってもらいました。

本当は、もっといっぱいいっぱい・・・色々な物を日本から持って行ってあげたいのですが、コンテナだと、時間、コスト、盗難・・・と問題だらけで・・・・・リスクを考えると軽いものしか運べません。

少年たちは大喜びで、届けてくださった方へのお礼に、送った楽器を使って演奏しました。

服もちゃんと配布されているか、確認の電話をあちこちにしました。

去年まだ話せなかった3歳の男の子から

「きれいな服をいっぱいありがとう」

と言われ、もっともっと送ってあげたくなりました。

そして、その方が帰国してから、その映像をいただきました。

 皆の元気な様子を見て、嬉しかったのですが、一人ドラムの天才MIRAが、いませんでした。

彼は、またマラリアで来れなかったそうです。

他のバンドでアルバイトをしているという噂もあるのですが、それはそれで、彼が食べていけるのなら、嬉しいことです。

でも、楽器や子供服が届いたのは、マイケル・ジャクソン氏が亡くなった6月25日でした。

12年前に亡くなった夫とは、同い年で、私たち夫婦はファンでした。

美しい歌声と、誰も真似することができないかっこいいダンスは、神様が私たちにプレゼントしてくれたものとしか思えなかったです。彼は永遠の人です。

黒人の音楽を世界中から愛されるレベルにしてくれたことに、感謝すると共に、天国でのご活躍をお祈りいたします。


「We are the world USA for AFRICA」を聞きなおしているこの頃です。


 貧乏法人NPOとして困ったことが起きている。

今まで、日本の駿河銀行と提携していたウエスタンユニオン銀行が、あったからこそ、この国への送金支援やスタッフへの手数料を払うことができていた。

それは、非常に簡単で、近くのコンビニATMや郵便局から入金し、駿河銀行に電話をかけて、受け取り番号を聞く、それを現地の受取人に知らせれば、キンシャサ市内のどこにでもあるウエスタンユニオン銀行で、寸時に受け取れるものだった。

私は、自分の仕事が分刻みで忙しい時でも、この簡単で迅速な送金方法のおかげで、随分多くの子供たちや、それに関係する人達を救うことができたと思っている。

しかし、今年1月31日を最後に、両銀行の契約を更新しなかったために、ストリートチルドレンへの支援が困難になった。

ロイズ銀行からの送金は、アフリカのほとんどの国への送金ができると言われて安心していたが、サイトで調べると、なんとコンゴ民主共和国への送金はできないのだ。

仕方なく、2月からは、

(1)一度ベルギーのスタッフに郵便局口座に2500円の手数料を払って送金する。

(2)受け取り側の都合もあり、不確実な日にちがかかって、5~8日後に受け取る。

(3)そこで、ベルギー郵便局の手数料を800円ほど取られる。

(4)そして又、ベルギーから、コンゴのウエスタンユニオン銀行に送金する。手数料は送金額によってかかる。

(5)スタッフが送信した暗証番号を私に伝え、私が、コンゴへ、電話で知らせる。

(6)無事に受け取れ、活動や支援にお金が使われているか、確認の電話を2~3人にする。

結局、手数料も、日にちも10日はかかることになってしまった。

緊急時には、イライラドキドキで、気が遠くなりそうだ。

電話も時差が、8時間あるので、 日本時間の午後5時から、明け方5時まで起きることになる。

 現地のお金持ちなら、口座振込みができるらしいが、私のスタッフは、仕事はあっても貧乏である。

また、去年の暮れに失業してしまった人もいて、国際的経済問題は、最貧国にも感染している。

また、奇跡的に信頼できる人が見つかり、新しい銀行口座開設をするにしても、その手数料は、こちらが負担しなければならない。(日本のように簡単な国は他にないと思う。)

これは、医療事情の悪い国では、心細いことである。

今まで、誰かが、病気や怪我をすれば、すぐに送金支援してきた。

年に何人も知り合いや仲間が死んでいくので、葬儀代もすぐに送ってあげてきた。

フェアトレードとして、女子の仕事も考え、布やアクセサリーなども輸入していたが、そのために、前払いしてあげていた送金も、大変なことになってしまった。

citibankさんは、敷居が高いし・・・・昔、夫のキンシャサ支店の貯金が、偽サイン一つで、ごっそり誰かに持ち逃げされたこともあって・・・・。

どんな国でも送金できたウエスタンユニオン銀行さん、もう一度契約更新してくれませんか?どうかお願いします!!

もしくは、格安2000円で送金できるロイズ銀行さん、コンゴ民主共和国へも送金できるようにして下さい!!

 私は、2003年に、義弟がカビラ軍として、生きていることを知ってから、ずっと軍を辞める説得をしてきました。

何度も撃たれ瀕死の状態になりました。

その度に、もう軍を辞める約束をしてきましたが、辞めれませんでした。

また、いつも移動していたので、連絡を取るために買ってあげた携帯電話は、戦闘で壊したり、無くしたりで、6台以上。

その間、彼の子供の脱腸の手術のお金。

次に産まれた子供も脱腸でしたが、手術も虚しく亡くなり、葬儀のお金も送りました。

リンガラ語、スワヒリ語、日本語、フランス語、英語、スペイン語、フィリピンのタガログ語も話せ、サッカーもプロなみにうまかった義弟です。

カナダの高校は15歳で卒業した天才で、日本で自動車修理の専門学校にも行きました。

なんでこんなに才能ある義弟が、危ない戦地にいるのか?

もっと家族や国の役に立つことはいっぱいあるのに・・・・・・・・・。

戦地で奥さんになった女性と子供2人と、やっとの思いで、昨年、首都キンシャサに戻りました。

しかし、それは、軍の上級学部の勉強のためにです。

彼は、正直、あっちこっちに子供がいます。

私の知る限りでは、7人。母親もそれぞれ違います。

避妊をしないお国柄で、こういうことは、コンゴでは特別なことではありません。

早く退役して、地を固めて、子供たちのためにも、私と貿易をしようと、お互いに夢を見ていました。

が、それから5ヶ月になるのに、まだ辞めない。

生活費が足りなくなると、私に電話をしてくることの繰り返しは変りませんでした。

私も、これは何か理由があると思い、深く本音を問いました。

そして、わかったことは、軍服を着ていることが安全だからです。

9カ国に囲まれた国ですから、いつでも軍人は必要です。

平和と言っても、まだまだ治安の安定はありません。

モブツ時代から、軍人は、恐れられています。

そのため、どこでも軍服を着ることで威圧が保証されるのです。

もう一つ他の理由も知りました。

彼は、1999~2001年に、カタンガのバーズという軍の学校に行き、上官になるための教育を受けていました。

教育は、英語だったので、カナダ育ちの義弟には楽で優秀だったようです。

コンゴは、フランス語圏ですが、カビラ一族は、タンザニアやウガンダに潜んでいたため、軍の教育は、英語の方を使われました。

しかし、軍では、出身地の差別があり、北のキサンガニ出身の名前を持つ義弟は、上級になれなかったようです。

今では、その軍人学校の同窓生が、政府の幹部になっています。

彼に軍人としての才能がないのなら、簡単に辞めさせてくれるのだと思うのですが、彼の才能を知る仲間が偉くなっているため、彼が退役するのが、難しいのでしょう。

そういう事情から、彼が年をとり、体を壊すまで、軍人でいなければならないことを知りました。

いつかこの国の経済が立ち直り、部族間の問題や、他国の侵入がなくなるまでです。

しかし、それは、いつ?何十年後?何百年後?なのか・・・・考える必要もないことにも気づきました。

この国に産まれた彼の宿命なのです。

おととい2月16日、友人のアルパチーノという

ミュージシャンが亡くなりました。

本名は知りません。

36歳。コンゴ民主共和国。

彼は、母親一人に育てられ、貧しくストリートボーイでした。

しかし、世界的にも有名になったパパ・ウェンバの

専属ヴォーカルになるほど成功した時期もありました。

でも、彼との関係は、NPOアフラシアを作るきっかけとなった

ミュージシャンのファタキの幼馴染で親友です。

ある時は、パパ・ウェンバのコンサートに出演もせず、

私たちの音楽製作に、付き合ってくれたこともありました。

コンゴ音楽の王様の彼を断ってまでと私達に

協力してくれた彼には、感謝感激しました。

特に、ストリートチルドレンのための音楽や、

私のための音楽には、必ずヴォーカルで出演しています。

大きな体ですが、愉快で広い気持ちの優しい人で、

コンゴミュージックに必要な人でした。

去年、私がコンゴに行ったときも、毎日のように

会いに来て、朝ご飯を一緒に食べていました。

また、そのときに、私のために亡き夫の音楽を

ファタキと製作して歌ってくれました。

明日、そのビデオをダビングしてコンゴに送ります。

しかし、もう彼が見ることはないのです。

なんで生きているうちにしておかなかったのだろう!!!

彼は、去年の暮れに、ベルギーに住むファタキに

お金を送金して欲しいと言っていたそうです。

パパ・ウェンバがビザの発注の不正をしていたため、

捕まったことから、彼らミュージシャンは、生活に困りました。

だから、しょうがないのです。

また今、世界中の経済が大変なのです。

それに、コンゴは音楽の国です。

しかし、世界中が、アイポットなどのインターネットの配信で

安易に音楽をダウンロードできるようになり、

音楽で食べていけない時代がきました。


実は、彼の死は、1月28日にコンゴのミュージシャンから連絡がきました。

彼には、電話も通じないので、私とファタキは、

ショックで一晩中国際電話で泣いていました。

しかし、それはまだ誤報で、彼はまだ生きていました。

 

 彼が急に倒れて、連れて行かれた病院は、ンガリエマ病院でした。

コンゴでは、白人も行く最高級の病院です。

そのときは、毒でも飲んだのかと思われていたのです。

町じゅうの仲間のミュージシャンが病院に集まりましたが、

誰もがお金をもっていません。

まだ意識があり、手術や検査をするにも、医療費の

先払いを要求されたようです。

それで、私に医療費の支払いの頼みが

アルパチーノの姉らしき人からきました。

3000ドルです!!いくら、円高でもそれは、

今の私には大変な金額です。

それに、何が原因かもわかりません。

コンゴの医療の問題も知っています。

コンゴにも日本の振込み詐欺みたいなこともあります。

そして、その問題を知らされたのは、30日(金)の夜でした。

銀行送金も、ウエスタンユニオン銀行が、

日本の駿河銀行との契約が終わった日です。

即日の送金は、無理なので、奥の手を考えました。

私たちが住んでいた時に、息子がコレラになり、

この病院で助けられました。

また、娘もこの病院で産みました。

それで、12年前に夫が亡くなったとき、

私は、コンゴにいらっしゃるシスター高木を

通して、このンバリエマ病院に多額の寄付をしました。

そして、今はこの病院にシスター高木がいらっしゃるので、

私の名前に免じて至急、検査と手術をお願いすることでした。

ご迷惑をかけるとは、思いましたが、一刻も争う緊急事態です。

しかし、貧乏な仲間のミュージャンが集まるだけで、

お金は集まらないと悟り、大学病院に移送しました。

すぐに、腰にポリープがあって、血管を止めて

貧血状態になり、意識をなくしたという診断がされて、

手術をしました。

医療費も半額以下でした。

ファタキも、アルパチーノに、電話が通じ、

私が医療費を少し送ったことを知らせた時に、

彼がお腹がすいたと言っていたと

聞いていたので、安心していました。

しかし、YUTUBEで見た去年のアルパチーノは痩せていました。

http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=GH9XhN0MhLw


すぐにでも、行ってあげたい・・・

もういないのだけれども、

せめて、お墓を建ててあげたい・・・

昨日から、アルパチーノの思い出話をファタキとしています。

最近は、レンタルお墓なら、100ドルほどなので、

貧乏だとそこに埋葬してしまいます。。

土葬の遺体が腐敗すれば、その上にまた他の遺体が土葬されるのです。

だから、せめてお墓をと思うのですが、それも、600ドル以上すると思います。

今は、とにかく去年会えたことに感謝するしかないのです。


コンゴから年に何回も、こうした情報がきます。

私の夫の家族も含め、コンゴ人の寿命は短い・・・・・

夫も、38歳でした。

2008年11月13日。

 先ほど、キンシャサから、電話があり、義弟が無事キンシャサに着いたことを知らせてきました。


9月25日、ウガンダとゴマの間のベニを出発。

自動車から、途中道が悪く、車が入れないので自転車で妻と3歳の息子を連れて、キサンガニへ。

10月3日キサンガニに着く。

叔父の家に泊まり、キンシャサで売れそうなものを買う。

10月8日キサンガニから船でキンシャサへ

途中のBisangaで電話が通じた。

そこでは、船長が買い物があるので、停泊していると言っていた。

それからは、ずっと連絡が取れなくなっていたのです。


その間、Kibu, Bukavu が、反政府軍率いるNKundaが、

コンゴ政府軍と戦い始めて、

10月30日には、23万人、

11月5日頃には、25万人が難民となり、ゴマやウガンダ、ルアンダに逃げているという報道が毎日流されました。


その心配の中、義弟は元気そうに帰ってきたのです。


 突然ですが、 今日2008年10月31日、

またゴマ周辺の内戦で逃げてきた難民の

様子が衛星放送のニュース番組で報道されました。

おとといあたりから、あちこちから、コンゴ大変ねと、

公の方や、テレビのニュースを見た方が

私に電話をくれていましたが、

「ああそれはいつものことですから・・・。」

とだけ答えていました。

私は義弟の旅ばかりが気がかりで、

ああ、またか・・・・と思っていました。

この国の戦争や暴動の話は、

昔からず~っとのことで慣れっこになっています。


 でもやはり心配なので、首都キンシャサの

家族に電話をしました。

今回は、キンシャサでも、テレビ放送されていました。

そのため、いつもより不安を感じているようです。

国民は、ずっと安定しない政情に振り回されてきたので、

今より良くなるなら、少しぐらいなにか起きたほうがいいくらいに

考えるようになっています。

 今は、国連やジャーナリストが入り込んでいるので、

すぐに情報がわかる時代になったのですが、

それは、希少な鉱物資源の良質のレアメタルがあるからです。

名づけて「コルタン戦争」「レアメタル戦争」なんです。

この国は、独立してから、ずっとこのような事態は

何回も経験しています。

でも、いつも思うのは、戦う武器はどこから

購入するのかと言うことです。

国民は貧乏で、今日の食べるものにも困っているのに。

 それから、国連部隊の動員数は、コンゴには

世界一の人数が派遣されているといいますが・・・・・、

インドやバングラデッシュ、インドネシア人の

国連部隊のことですかぁ?

義弟から聞いたのは、彼らの任務は、ゴマの北方部で、

金を買いに行っていたのでは???(皮肉)


 私は、今年1月に、キブの鉱物資源開発の

NGOから頼まれて、開発の援助をしてくれる日本の

企業を探していました。

私もこの辺りの民族の問題は難しいことを

よく知っていましたので、

その会議のときに、何度もその民族問題や

戦争になる可能性を聞きました。

しかし、物静かなジェントルマンの理事長の答えは、

「私の田舎のこの辺りは、ずっと貧しいだけです。

でも政府が、8箇所の鉱物資源の開拓をしています。

そして、私が私財で作った飛行場には

アメリカが道路を作っています。

その内の4箇所は、私が責任者です。

もう戦争の危険はありませんし、私の田舎は

戦争中も大丈夫でした。

今その地域は、アメリカ人が国と共に、

鉱物資源の開発をしてます。

支援は、どんな方法でもけっこうです。

私は、中国には採掘権をあげたくないので、

どうか日本とアメリカで開発の援助をしてください。」


と言って、次の日の早朝に、私の家にまで来て、

サンプルを密かに、とても慎重に渡したのです。

今になって、その意味がわかりました。

彼は、田舎を助けるために必死に

私に願いをかけていたのだと気づきました。


この国を乱すのは、この国の人達ではないのです。

豊かな鉱物資源獲得のために他の国から

やらされているのですが、

それらの国に頼らなくてはならない政権や

経済の問題もあって・・・・

この地に静かに住んでいた住民には、

迷惑な話で悲劇です。

そこに住む住民がいなくなれば、鉱物資源は

採りたい放題です。

人類の発展とか、文化はなんのためなのか??

おろかなことです。

今のスーダンや過去のアンゴラ、南アフリカ等のように。


 そして、4月頃に、再度日本の支援は、

まだですかと催促されました。

しかし、日本の企業には、その勇気も情報も

やる気もないようです。

中国がアフリカに近いから、リスクを考えれば、

中国で精製したものを買っていればいいという、のんきな

「ウサギと亀」の物語が頭を霞めます。

もうすぐ中国が化け物国家になりそうなのに。


 非常jに残念ながら、その後、この辺りの事情が

悪化していったようです。

やっぱり危なかったと言われるかもしれませんが、

もしかして、日本人がいることで、大国のやりたい放題を

避けれたのではとも思います。

日本は、コンゴの国連平和維持軍に

いっぱい資金援助をしているのですからね。


 義弟が、8月、9月とお給料がもらえなくなったのは、

この東部の戦火が煙を吹き返したからだったのです。

残念です。

25万人の難民が出るほどになってしまったのは、残念です。

今は、一刻も早く、鉱物資源よりも、

命と平和の大切なことに気づかなければ・・・

今は、アメリカの新政権も気になります。

 船で出発する前に、キサンガニの特産品を

首都キンシャサに運んで商売として、少しは、

生活の糧にしてはと提案しました。

キサンガニには、鉱物資源ばかりではなく、

農産物も豊富です。

そのまま、帰るのは、もったいないのです。

もし、砂金やダイヤモンドを買うお金があれば、

もっといいのですが・・・・・・。

それにはすごい大金が必要ですから、

あきらめました。


 泊めてもらっている家の叔父も今は退職し、

貧しいので、その家の滞在費を払うことに

なりました。

 大学教授をしている長男の仕送りは

あるのかと聞くと、大学の総長の娘が

単身赴任中の彼の家に一週間も泊まりこみ、

それを知った総長は、彼にお給料の支払いを

してくれないのだというのです。

まったく!!!!

どこの男も世界中こんな感じで同じ???

なんですね!!!

彼は、キンシャサに奥さんと子供4人と

他にも・・・・・過去には色々とありまして。

もう笑うしかないでしょ・・・。


そして、魚の燻製などの特産品を買うお金と、

船上の生活費一ヶ月分と

3人分の船賃を送金しました。

いい時代です。

電話も送金もその日のうちにできるのですから。

ウェスタンユニオン銀行さん、ありがとう!!!


2008年10月15日水曜日、いよいよ出発です。