気功を学んでいた時、病気を治せる人になりたく、この功法は何に効くということを教えてほしいと心に思っていた。でも学んでいた数年間、お伝えいただいたのは自分のセルフマッサージと杜にたつことだけ.
 あれから25年、今思うと、とても大事な学びだった。もしこれは何に効くという功法ばかり身に付けてたら、病を見て、いのちを見ずの迷路にはまっていたかもしれない。まして病んでいるからこそ人を癒せるというまなざしはもてなかったかも。
治すよりもっと基本の「癒しあう」といういのちとの向き合い方を教えていただいていたのだと今になって思う。

 このまなざしはとても大切に思う。南海トラフトがきたとする。多くの人が亡くなる悲しみがある、でももっとつらいのは身近な死を背負い生き続けねばならないこと。絶望の淵で、こんな私にも人を癒す力があると思えたらきっとその人は困難を生き抜いていけると思う。
 医療にその絶望を癒す力はあるだろうか、、。素人だけど、なんの力もないけれど、癒しあうことはできる。
 

 自分が病むに病んでた20代、癒してくれたのは、田舎のお年寄りと、子供たち。
人は何かの役に立っていると思えた時、生きる力が湧いてくる。
治療より「癒しあう」仲間がふえたらいいな。
 

 この夏より「癒しあいの会」毎月やってます。
金沢は第二土曜朝9時よりふらっと・ホームにて、小松は第三水曜市民交流センターにて15時半、ワンネス親の会の後。
ともにどうですか
「癒しあう」世界に、命の優劣はなく、健康、病も多分ないのだろう。