1993年、鳥越がまだ村だった時、村の仲間たちと「みどりと癒しのフォーラム」というのを開催した。

 鎌倉でデープエコロジーのアルネネスさんを招いての企画が始まりでその第四回目を受けたのだが、タイトルは前回に決まっていて「環境の死、死の環境」というとてつもなく大きなテーマだった。

 全国の樹林気功の仲間たちと鳥越の若者たちで共働で開いたイベント、当時は「癒し」という言葉がまだだれも使っていず、行く先々で宗教かと言われ、大変といえば大変だったが、今から思えば中身はかなり時代を先取りしていて深いものだった。その時の講師、脳死問題の第一人者中川米造さんの「昔の医者はみんな風邪薬にうどん粉をだしていたもんだ」という話が一番記憶にある。
 

 その時期だったか、チェルノブイリ事故で被ばくした子供たち、いずれ日本でも同じことおきるよ、鳥越でしばらく保養させれないかと、声かけられたのだが、あまりに遠いことで体が動かなかった。20年後悲しいかな、福島の子を預かることとなった。
 

 文明か自然かという論争をする気はないが、科学という今現在での真実と思われていることよりも、何万年生きてきた縄文日本人のDNAにある、「みどりといやし」の声に自分は耳傾けて生きてみたいかな。
 

 現代たかが100年、数万年の時間の積み重ねに比べれば、、、この時代も一つの小さなゆらぎ。意外と人はすごい。
 

遠いまなざしでいこう。