ドイツをはじめ、ヨーロッパの森は素晴らしいという、確かに風景としては素晴らしいのだろう。
だがヨーロッパ全体で生えてる樹木はせいぜい100種類、対して日本の杜は2k四方に200種類近くの樹木さんが生えているという。
多様性の宝庫みたいなもんだ。

そこに住んでいた私たちの祖先の縄文人は、いろんな命の一つに人間があるくらいで、謙虚に生きていたに違いない、最近1万年前近くの縄文遺跡がでてきたそうな。縄文の特徴は戦いのあとが見えないということだ。1万年近く争いのあとがないというのは、世界に類はない。
どんな人たちだったのだろう。
だが、杜に入り、静かに呼吸していると心がうれしく満腹になる。
日本の地方に行けばまだまだ、雑木林は健在だ。
潜在的にその杜の風景、そして縄文の遺伝子を持っている私たち日本人。
世界への貢献はお金をばらまくことでもないし、強い経済を取り戻すことでもない。
いろんな生き物の中で和を保ち、生き合える、杜の心を一人一人のうちに育むことだ。

クリスマスをして、神社でまいり、なんまいだと手を合わすこの良い加減さ、寛容さ。
きっと、イスラムとキリストと、ユダヤと、その他もろもろで勝ち負け争いをしている中で、潤滑油として貢献できると思う。
そんな人材を育てれば必ず、世界に必要とされる国になる。
これは日本人にしかできない。なぜならこれだけ多様で、豊かな杜はこの国にしかないから。

ニュージーランドに行った時、景色の美しさに感動したが、慣れてよく見たら山すべての樹木を切り崩した牧草地だった。日本人にこれはできない。

自然は征服するものという考えはいのちを優劣で扱うということ、命それぞれに神様を見る日本人の感性がこの時代に必要に思う。