フリースクールというと子供が不登校とかでないとまず一生縁のない世界だ。

当事者が運営していることも多く、どうしても閉じた範囲で終わり社会的になりにくい。医療や農業ではホリステイックや有機農といったオルタナテイブな動きが市民権を獲得しつつあるが教育は一番遅れている。

フリースクールのことを一般の人に知ってもらうことが市民権を得るうえで大切だなと昨日のフリースクール全国フォーラムで思った。

そんなわけでしばらく教育のことを書いてみようっと。


まず日本の多くの人たちはフリースクールを不登校の子供たちが行くところと思っているのではないだろうか。
間違いではないが、もともとの起こりは教育を自分たちの手で作り出そうという思いから始まっている。
一つの流れはイギリスの「やらない自由」を認めたニールのサマーヒルを理想に学校つくりを目指すグループ。
もう一つは1970年代にアメリカでおこったコミューン的な運動でのフリースクール、これは日本にはあまりないかな。後は北欧の教育に学ぶオルタナテイブ、デモクラテイックスクール、北欧は領土が少ない分、国を作る
はまさに人材と教育には力が入っている。

キリスト教という背景もあり、親の教育権が強く、自分たちで作る学校が公的学校の10%を超える、10校のうち1校が親が作る学校なのだ。そしてシュタイナースクール系。などなど先日のフォーラムでも文科省認可、不認可も含め上のようなスクールをモデルにいろんな地域でフリースクールが始まっていた。

今回の文科省の動きもフリースクールに補助金を出すという一過性のものでなく、「多様な学び場を保証する」ということを教育基本法に照らし合わせての法整備を目指している。
雑な書き方だが、学校で学ぶ義務だけでなく、学びたい形を保証する義務という柱が法律に追加されるということだ。
大正時代自由学校というものが世を席巻し、ユニークな人材が日本でも多く輩出した。

フリースクールを法が認めた堂々と通っていいものだと、子供が心から思えたら、不登校の子が自分の学校に近づくと車の中に頭を隠すという悲しい現実もなくなり、より積極的学びの場になっていくと思う。
リスク、課題は一杯だが、今本当に子どもたちに伝えたいことが今の学校で伝えれるのかというと?と思う人は多いのでは。

時代に応じてどんどんしなやかに変わっていけばいいように思う今日この頃。

システムに個人を当てはめるのでなく、個人にシステムを柔軟にあわす。

学校もきっと活気が出てくると思う。

by 森 要作