3月月報 その3 スリランカ以外のプロジェクト
フィリッピン-ミンダナオ
概況
ミンダナオの状況は先月以降更に緊迫してきた。3月初め、マギンダナオン地区(コタバタオの近郊)での軍隊とモロ・イスラム開放戦線(MILF)の衝突で兵士1人とMILFの3人のメンバーが死亡した。
フィリッピン政府はミンダナオのイスラム教徒に自決権を提案した。政治観測者はそれが2006年3月以来立ち往生していた和平交渉を再開するための突破口となり得ると見做している。
NPの活動
3月、ミンダナオにおける最初のチームの到着に向けた準備作業が続いた。プロジェクト・ディレクターのアティフ・ハミードは3月早々フィリッピンを離れ、パキスタンに帰国し、そこから活動を継続する。
準備のため、我々はコタバトにコンサルタントを雇ったが、彼が将来このプロジェクトのコミュニケーション補佐として留まることを期待している。
グアテマラ
クラウディア・サマヨアとグアテマラ全国人権運動、人権擁護グループ(Unit for Protection of Human Rights Defenders of the National Movement of Human Rights of Guatemala)から保護的同行の要請が来た。彼らはグアテマラの人権擁護者との勇敢な活動のために多くの暗殺予告を受けているが、NPと国際的な保護的同行が彼らの生命を護り、2007年4月から2008年2月15日までの重要な任務遂行継続を可能にすると信じている。国政選挙は2007年9月7日と11月9日に実施されるが、選挙までの時間と選挙後から新政権樹立までが更なる暴力が予想される期間である。少なくとも2008年2月15日までには状況が“平常”に帰し、NPは同行を終えることが出来るかもしれない。
NPはチーム・コーディネーターを含む4人の同行者のチームを提供している。他の3人はボランティアである(つまり、彼らは他のNPプロジェクトの現場チーム・メンバーと違って、外貨手当てを受けない)、そしてグアテマラで平均3ヶ月活動する。
10ヶ月の予算総額は約US$95,000である。
課題
“グループ”は2006年5月の2本の脅迫電話を受けるまでは、低度の直接的な脅迫に対して保護を提供してきた。その後、“グループ”は事務所の前で監視行動が行われているのに気付いた。2007年2月3日、その事務所は侵入され、コンピューター1台が盗まれた。同じ建物の他の事務所も侵入され、コンピューターとビデオ器機が盗難にあった。我々の事務所のドアノブに殺害の脅迫状が残されていた。
数日後、その建物の団体のメンバーの家族を通じてメッセージが届けられ、そこには侵入は軍により行われたと記されていた。その情報には信用できると信じるに足る理由はある。
この“グループ”のメンバーの1人がクラウディア・サマヨアで、彼女は秘密グループ、組織的暴力と社会浄化の存在を非難する団体である人権コンバージェンス(Convergence of Human Rights)のメンバーでもある。この団体における彼女の任務はこれらグループの調査である。
過去選挙の年に、彼女はこの機関とコンバージェンスで唯1人活動をした人で、そのため、多数の脅迫を受け、その結果、国際的な保護的同行と結局は一時的亡命が必要となった。
2007年は選挙の年であるから、機関はグループとして、サマヨア氏は人権擁護者として更なる暴力の対象となることが予想される。非暴力平和隊は今後10ヶ月この機関に対する保護を提供するための介入を求められている。
目的
このプロジェクトの目的は、9月と11月の選挙の前、期間中、その後の不安定な期間を通じて、“グループ”の活動家たちが脅迫を受けている政治的動機による暴力からの安全確保である。
NPは個々の保護的同行を提供することによりこの目的に従事している。
チームの活動
プロジェクト・コーディネーターのベッツィー・クライツと今のところ2人の同行者(2人ともベッツィー同様米国出身の女性)からなる最初のチームの活動は4月に始まったばかりで、従って、その報告は次のプログラム・デパートメント月報で行わざるをえない。
コロンビア
概況
コロンビアの概況は先月に悪化したこの国で活動した国際機関により報告されている。武装集団の武装解除プロセスが進行中にも拘らず、国の一部での彼らの影響力は増大しているように見えるし、新しいグループが出来ている。更に、コロンビア革命軍ARCはNGOに対する脅威を高めた。
コロンビア南西部では、3月末から4月初めの政府軍とFARCとの戦闘のために、7,000人近くの住民が自分の故郷から強制退去させられた。軍の攻撃は3月23日に始まり、かってコカインを生産していた地方の奪回を意図したものである。
プロジェクト準備状況
NPはコロンビアで3ヶ月間、潜在的基金提供者への接触を主要任務として活動するコンサルタントの募集広告を行い、何通かの申込書を受け取った。(この報告書が書かれるまでには、決論が出され、近く公表されることになっている。このコンサルタントが5月から活動を開始すると期待している。)
ウガンダ
概況
ウガンダと神の抵抗軍LRAとの停戦は破局を迎えそうで、戦闘が再開されることの懸念を煽っている。しかし、国連(国連のウガンダ特命全権公使、ホアキン・チャッサノ元モザンビーク大統領の主導による)、国連NGOのキリストの平和(Pax Christi) による3月の国際仲介活動がこれは永続的破綻と言うよりは一時的な段取りとの希望に可能性を与えることになった。政府とLRAとの新たな(非公式な)交渉が3月末にモンバサで行われ、停戦の延長に、キリストの平和に拠れば、“意味ある合意”に達した。
プロジェクト準備状況
計画では6月に2人のチームで活動を開始することになっている。
クリスティン・シュワイツァー、プログラム・ディレクター、2007年4月17日
3月月報 その2
チームの活動
バティカロア地区の治安状況はまったく予知不可能である。LTTEの政治局本部を含めた駐屯地、コカデチョライが治安部隊に攻落された現在、LTTEは今後更にゲリラ作戦を行使するであろう。戦闘はNPSLの活動にネガティブな影響を与えている。多くの道路が閉鎖され、携帯電話回線が何ヶ月も通じておらず、ために効果的な連携が阻害されている。
3月、バッティのNPSLは国連と他のINGOと共同で難民キャンプを監視することにより、強制送還に対応した。NPSLの訪ねたキャンプでは強制送還は発生せず、難民に彼らの権利に関する情報を配布することが出来た。大多数の難民家族は治安の不在のために(ムートル地区へ)帰りたがらなかったが、留まれば食料の配給が止まることを危惧した。難民キャンプへの共同訪問の可能性について人権委員会との討議が行われた。バッティのNPSLはまた1件の難民拉致を首尾よく阻止した。
バルチェナイのNPSLとの緊密な協力で、二つの家族支援会議が開催された。バルチェナイのNPSLはLTTEとTMVPに自分たちの子供が拉致されたと申し立てている75人を超す父母ために安全な会合場所を提供した。LTTEの児童権利法とTMVPの行動規範のコピーが父母の自己弁護活動に使用するめに彼らに配布された。両親が命の尊さを謳った横断幕を自分たちの手形で作った。
バッティとバルチェナイのNPSLは全ての利害関係者との対話の一環として、また、母親たちとTMVPの政治代表との会議を促進するためにTMVP事務所を訪れた。こうした努力のために、多くの家族が一箇所に集まることが出来、それにより、彼らを孤立から脱却させ、彼らの子供の解放に導く戦略を討議することが出来た。NPSLと現地市民支援グループのメンバーが推進したこうした会議は集団行動への彼らの自信を高めた。
バルチェナイのNPSLは今月32家族の訪問を受けた。また、危険にさらされた若者への安全な場所への更なる要求を受け、6人の少年に安全を手配することが出来た。UNICEFの最近の基金のおかげで、危険にさらされた50人の若者に安全な場所を用意することが出来た。更なる基金が入手可能になることを期待して、米国にあるサルボダヤ支部に要請し、目下、その回答を待機中である。
トリンコマリー地区の南で紛争が大幅に拡大してはいるが、トリンコ市の治安状況は比較的平穏である。市内の店は夕刻時に以前より長く開いており、市民は夜間にも外出している。当市の軍司令官によると、街の治安状況は可なり改善されたとのことである。
それにも拘らず、今月、日中に、この地区の北部と南部両方に猛烈な砲撃があった。3月12日以降、バティカロアからの難民は当局と治安部隊が準備したバスでトリンコマリーに帰った。これらの難民は村に漸次帰る心算で、キリベディーの中継キャンプに落ち着いている。
しかし、中継キャンプは何千人もの難民を受け容れる準備は出来ておらず、地域(エアチャランパタイ)によっては安全でないと言う事実にも拘わらず、彼らの多くは自宅へ帰ることを決めた。
辺境の農村での事件の増加がムートルとセルウイラ地区、特に難民の滞在する村で顕著である。治安部隊による何件もの殺人、拉致、嫌がらせ、逮捕、殴打が報告されている。タミール人住民は治安部隊を恐れ、夜は学校や寺院に泊まっている。近づきたくない多くの検問所のおかげで彼らの移動は制限されている。その結果、彼らの日常生活が脅かされている。当局はキニヤの2ヶ所の学校に留まる難民のためにラクリへの“下見”訪問を企画した。トリンコのNPSLはこの訪問に難民の要求で同行した。
地区チーム(トリンコマリーとムートル事務所の合同活動)としての最初の担当任務の一つとして、トリンコのNPSLはクリスチャン・エイドの現地パートナーと共同活動で、隣接するムートルの平和委員会に似た7人のメンバーからなるキニヤにおける新しい平和委員会の設立を促進した。ムートル平和委員会は150人のメンバーの3輪自動車運転手委員会の創設のような地区分科委員会の創設に向けて進展をみた。トリンコ市のサンガマ平和委員会は、トリンコのNPSLが人権能力開発の現地パートナーにスペースと信頼関係構築により立ち上げることの出来たトレーニングと研究集会に興味を示した。
トリンコのNPSLはムートルの平和委員会メンバーのための人権トレーニングに参加した。約30名が参加した。国際婦人の日の一環として別のクリスチャン・エイドのパートナーが開催した“平和への母の声”デモに出席した。現地の人権グループと共に、トリンコのNPSLは暴力の被害者の女性を孤立から脱却させる女性支援グループの創設を促進する手段を検討している。
トリンコの漁民を取り巻く支援は、市町村議会も含めCHA(人道援助協議会)や現地の人権グループと一緒に継続されており、漁業への制限が続く限り代替収入の案を話し合う会議を招集することに同意した。この間、関係者を集め、夫々と会議を持ったトリンコのNPSLが関与した結果、SLNは幾つかの制限を緩和し、漁民に制限の詳細を説明した。更なる提案がILOや漁業省の参画を得てコロンボの新しい委員会により作成され、国防省に検討される予定である。
NPSLはまた危険にさらされた家族に継続的に保護的同行を提供してきた。彼らは一家族による事件の時系列的記録を作ることを支援した。これはコロンボにおける彼らの避難所を設置することに利用されよう。トリンコのNPSLは5人の逮捕者を出した治安部隊による一斉捜査に介入した。現在、全員が解放されている。
ジャフナには、この地区が拉致事件の増加を体験したものの、幾分常態の感覚が戻りつつある。新しい緊急事態法の一部である所謂“自主投降者法Surrendee Act”の下で多くの若者が安全を求めている。殺人や拉致から避難しようとして65人を超す若者が警察の保護拘留下にあり、解放の前の社会復帰と職業訓練を待っている。
カトウナーヤカ空軍基地へのLTTEの空爆に続いて、治安部隊はジャフナの北部での海の虎Sea tigerによる攻撃を考慮して警戒態勢に入っている。その結果、漁民は漁業を制限され、食糧の供給が未だ不足している地域で更なる問題の種となっている。
ジャフナのNPSLは人権委員会のメンバーを含め、何人かの人権擁護者に保護的同行を引き続き提供した。これらの人権擁護者は難民キャンプ、地域社会、家族や自主投降者などを訪問する実情調査の間、より自由に業務を遂行し、要注意案件に取り組むことが出来る。
ジャフナのNPSLと現地パートナーは協力して人権認知キャンペーンを行っている。ある人権擁護者は80人の参加者の人権講座を行っている。ジャフナのNPSLはこのグループへの支援者として働き、参加者が将来実行するであろう提言を推進している。
恐怖を軽減させ、故郷に帰る住民の安心感醸成のため、ジャフナのNPSLは治安部隊からの嫌がらせに悩む難民キャンプへの訪問を行った。
トリンコとムートルのチームの合同は上手く行きそうである。加えて、第一歩として、現場チームとコロンボの間の連携の任務をもつ所謂コロンボ対応チームColombo Response Teamの立ち上げを行った。それはまたそれが取り掛かったコロンボの事案をも引き受けることを意図したものである。2人の地域支援コーディネーターDistrict Support Coordinatorの導入は東部のチームの支援に前向きの効果を示しているようである。NPSLは今も新しい基金調達係を探しており、また、新しいコミュニケーション・オフィサー(広報担当)を募集している。
NPSLはその最良の行動の記録に着手した。今後の数ヶ月の間、NPSLはその活動を再検討し、どのような環境下でどのような行動が効果的かを判定する。こうした再検討は自分たちの活動を評価する時間がないチームを支援し、将来NPSLに参加する新しいメンバーを支援し、更には他の地域でのNPの展開のガイドラインとして資するために意図したものである。
NPSLは利害関係者との対話を継続しているし、警察本署、大統領事務局や人権省から肯定的な反応を受けた。
NPSLはUNICEFとのパートナーシップ協定にサインした。また、3月、人権認知キャンペーンを支援するべく長年のパートナーの一つ、PAFFRELから接触を受けた。
オマール(新しい共同代表の一人で,2月のコロンボでの国際理事会会議で病気になり治療中であった)は手術から回復し、帰国待機中である。NPSLプロジェクト・ディレクターはNPブラッセル事務所を訪ね、EUとINGOの紛争地域協調セミナーに出席した。
3月月報 その1
概況
2007年3月、状況は更に悪化した。
コロンボの政治劇では、東部と北部のLTTE支配地域で2005年の選挙をLTTEがボイコットする見返りとして大統領が多額の金を彼らに与えたとして最大野党が大統領を名指しで非難した。
戦場では、スリランカ政府は東部への空爆や砲撃による武力攻勢を継続し、何千人もの市民が自宅から非難した。国防大臣はLTTE軍を打倒するには3年かかるだろうと公言し、停戦合意から公然と距離を置いた。
LTTEはコロンボから僅か45分離れた国際空港の近くのカトウナーヤカの空軍基地へ初めての大掛かりな空爆を行った。続いて、東部のチェンカラディの軍の駐屯地への自爆攻撃を行い、何人かの兵士と市民を犠牲にした。
国連への威嚇を含め一般市民区域への砲撃のために、殆どの機関は活動を制限し、必須のスタッフを除いてバティカロアから引き上げた。ILO, UNDP, UNHABITAT(国連人間居住計画), FAO(国連食糧農業機関)の国際スタッフや赤十字の要員何人かが地域を離れた。
武装グループと軍の関係者がバティカロアの難民キャンプをパトロールしているが、そこでは児童を含む何十人もの難民が新兵徴募ないし諜報を目的として誘拐されている。有り余る証拠や多数の児童拉致を調査するとの約束にも拘わらず、政府支配地域での児童強制拉致を止めさせる効果的な措置は採られていない。
ユニセフUNICEFは2007年1月現在、北部と東部の県で6,241人の児童拉致を記録したと言い、LTTEを戦争のために6,006人を兵士として徴募したと非難した。彼らによると、分離したカルナ・グループは記録された6,241人のうち235人を拉致した。この国連機関は1,879人の児童が双方のグループに拘束されており、そのうち1,710人はLTTEに、169人がカルナ・グループに留まっていると言っている。
2006年4月以降の現在までの難民総数は約315,000人に達し、難民400,000人という国連難民高等弁務官事務所UNHCRが予想した最悪の筋書きに早くも近づきつつある。この人数に津波難民200,000-250,000人と2002年以前に非難した315,000人が加わる(合計すると830,000の難民と言うことになる)。更に、16,200人以上がインドに非難している。バティカロア地区の新しい難民だけで160,000人を超すと報告されている。バティカロアの地域事務局の職員が提供した最近の数字によると、バティカロアの人口422,674人の3分の1以上が避難民となり、食糧不足が発生しつつある。
難民の強制送還の多くの事例が報告されている。これが引き金となって、UNHCRは国連の国内難民への基本的指針に違反する政府主導の送還プロセスと正式に絶縁した。UNHCRは治安部隊による威嚇、嫌がらせ、脅迫、肉体的暴力の多数の事例に関する報告を行った。
UNICEFは難民キャンプの環境はおぞましいと評し、排泄物、生ごみと過密がキャンプに深刻な健康被害を起こしていると警告した。「地面には糞便と多くの小便の跡が散らかっている。子供たちは壁、テントや水源の近くで小便をしている。学校の設備は薪として燃やされている」とUNICEFは声明で述べている。
スカンジナビア主導のスリランカ停戦監視団(SLMM)によると、過去15ヶ月に4,000人を超す死亡と超法規的殺人があった。2007年には月に約360人の殺人と言う比率に急騰した。1日に10人以上が殺害されていることになる。
2006年、スリランカの人権委員会は1,000件の強制的拉致を記録に残した。2007年には、ジャフナだけで既に87人の失踪者-1日に1人以上-を報告した。
新たな、恐ろしい傾向として、首を切断され、手を縛られ、顔を損傷したバルチェナイバルチェナイ死体が公共の場で発見され、威嚇と恐怖のムードを高めている。弁護士たちはこれらの事件の目撃証人を抱えてはいるが、彼らは自分の身の安全のために警察や裁判所での公然の証言をしたがらない。
政府批判を封殺し、戦争の人権と市民生活への影響に目をつぶらせるために、人道的支援を提供するジャーナリスト、学者、人権擁護者や活動家は殺人、拉致、暴力、暴力の予告による意図的な目標にされている。
最近の世界報道自由度指標(Worldwide Press Freedom Index 2006年)では、スリランカは2002年の51位から2006年には141位に降下した。140位にはジンバブエ、142位はコンゴ民主共和国が位置している。