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↑こんな本を読みました。


著者のウィリアムさんはアメリカの方で、古くから仏教…と言うより仏教をベースにした日本人の考え方に深い興味を持っていたそうで。


で、日本に置ける中絶の考え方(捉え方)が欧米のそれとは全く異なることに注目して調べたのだそうです。


欧米では、中絶肯定派と否定派が完全に2分されているそうです(否定派の過激グループが中絶を行う医院を襲うなど、かなり溝は深く歩み寄る術がないくらい)


一方、日本では…確かに中絶は意見を2分するような激しいやり取りはありません。


うまく言えませんが、


「中絶はなるべくしないほうがいいけど、やむを得ない場合もある」


って感じでしょうか?


著者のウィリアムさんは、宗教観・とりわけ仏教の民族信仰をベースにこの中絶に関しての意見をまとめていました。


キリスト教やユダヤ教などは絶対的な存在としての神様がいて、その神様によって善悪をハッキリと分けています。


著者の中で「聖書に胎児のどのの段階で魂が入り人になるのか、その境目が書いてあれば簡単に解決するのに」


といったことも書いてあるほどです。


で、日本で仏様と言えば、観音様なんかが先に浮かんできませんか?


観音様→観世音菩薩と言いますが、著者によると菩薩さまと言うのは、完全に仏様になっているわけではないそうです。


まだ修行途中なんですね。


だからこそ、人間の世界のことも良くわかり困っている人を救ってくれるんだそうです。


現場に近い、中間管理職のようなものでしょうか(^_^;)


つまり日本には絶対的な神様はいないんですね~。


神道においてもちろん神様はいますが、神話に出てくる日本の神様は往々にして気持ちにムラがあって怒りっぽく非常に人間味を帯びていて、こちらの神様もまだまだ修行途中なんだそうです。


かつ八百万の神と言うほど自然界に沢山の神様がいます。


自然と家族を大切にして暮らしてきた日本ならではの柔軟で協調性を重んじた考え方は、優しい菩薩さまや人間味のある神様を、ある意味「都合よく」解釈し生活に取り入れてきた歴史があるからなんですね~。


なんだか全然まとまりない、訳解らない文章になりましたが、良ければ読んでみて下さい(^_^;)
24時間テレビである特集を観ました。


菅野美穂さんがカンボジアを訪れて、カンボジアの子供たちの現状をレポートした特集です。


観た方も大勢いらっしゃると思います。


カンボジアの女の子は、もちろんごく一部と思いますが、7才・8才になると売春宿に売られてしまうそうです。


売春宿では絶対服従のための虐待、それ以上の拷問を受け、まだ10才にも満たない子供が外国人の汚い大人に心と性をズタズタにされます。


その汚い外国人にもちろん日本人もたくさんいます。


現地には売春宿に売られた子供たちを助けて孤児院で育てる団体もあり、実際助けられた少女がインタビューを受けていましたが、驚くほど優しく、純粋でした。


なぜ、未来を育てて作り上げるべき子供たちをこんな目にあわせるのか。

なぜこんなところに子供を売れるのか。


たしかに、貧しさの果ての無念の選択だとは思います。


だとしても、許されない事であることは誰だって解りますよね!


カンボジアは貧しく教育が行き届いていないから、生きるためにこういった選択が出来るのかもしれません。


でも、それは悲しすぎます。


私が感じた事をなかなかうまく文章にすることが出来ず、もどかしいのですが…


とにかく、自分に出来ることをしてこの子供たちを救いたい、これ以上生きながら地獄を見る子供を減らしたいと考えました。


で、自分に何が出来るか考えました。


ロリコン変態オヤジを撲滅したいけど、それは無理だし…


この問題の根源は、貧しさだと思います。


そこで…


自分でお米を作ってカンボジアに送ろう!


と考えました。


実家が兼業農家でお米も作っているので、お米作りの方法も学べるし、田んぼも知り合いが借りられそうです(^-^)/


今月までは忙しくて仕事以外に手は回りませんが、来月からカンボジア食料支援プロジェクトを小さいながらに始めます!


もう少しブログ更新を頻繁にして、進捗状況を報告できたらなぁと思います(^_^;)