村岡希美と花子(犬)と申します。 -28ページ目

村岡希美と花子(犬)と申します。

村岡希美が美しい犬の花子と暮らす、地味だけど、ちょっこりとした幸せをかみしめたり、地味だけど、これほんとに美味しいね!と思えるご飯づくりを目指したり、雨の日も風の日も散歩して花子と健やかな日々を慈しんだり、そんな静かなブログ、となることでしょう。

『わたしと「百年の秘密」と花子の迷子の3日間』について。


花子の迷子が百年続かなくて良かった、、

ただそれだけを神様に感謝した、私と花子の百年の秘密物語。


特に宗教というものを持っていない私にとっての「神様」は、まさに日本昔話に出てくるような山の神様や海の神様です。

風の神様、水の神様、花の神様、犬の神様、車の神様、思いつく全ての神様に、花子がどうか無事でありますように。。

とお祈りをし尽くしました。


そのお祈りのかい、もあったとは思うのですが、花子がいなくなった時、警察に届けを出した後すぐ、藁にもすがる思いでSNSで情報を発信しました。

それによって翌日、またその翌日、と本当に沢山の方々が情報を拡散してくださり、それに伴い沢山のお知恵も拝借でき、たくさんのご協力、そして何より、たくさんのご心配とご配慮をいただきました。


それらの情報で私の危機をキャッチした友人達が、それぞれご自身の時間の隙間を見つけては花子捜索に大切な時間と身体を提供してくれました。

そして友人達だけでなく直接お知り合いでないたくさんの皆様も、です。


私はといえば百年の秘密というお芝居の本番の真っ只中で、花子がいなくなった現実が目の前にある、のが現実、ではありながら、その動揺と、もしものことを案じての悲しさモードのスイッチが入ってしまうと、きっと明日ごく普通にお芝居をすることはできない。ということが、本能的に自分の中に指令を下し、どういうわけか、もしや夢なんじゃないか、ドッキリなんじゃないか、というフワフワしつつもごく冷静なモードの中に不思議と生きておりました。

でも、そうやって、私なりにいつもの様に本番をやることが出来たのは、共演者とスタッフの皆様が細心のご配慮をもって、私に対しては、あたかもごく何事もない普通の1日、の様に接してくださったことで、私もその時間はお芝居の世界に夢中になることが出来たのです。


SNS、というものは、時に求めていない情報や様々な感情や嘘か本当かわからない現実の言葉に振り回されてしまうこともあります。

それらに戸惑いながらSNSと付き合っていた私もそこにおりました。


でも、今回の「花子迷子事件」におきましてはSNSというものを通じて、人の優しさと暖かさに触れることが出来ました。

SNS、を書くのも読むのもまぁ、所詮は人間なのだもの。。

直接お顔を見て会話をしているわけではないのですが、それでも人の心というものがそこにある、という事実を直接感じたわたくしなのです。


こんなに、ダラダラと長い文章になっていながら、感謝の気持ちを上手く言葉にすることが出来ません。自分の能力の無さにもどかしすぎて腹立たしいです。


世の中、本当にいろんなことがありますし、いろんな人間がいるわけなんですが、今回、私が感じたのは、

「人は、優しい」

ということなんです。


ありがとうございました。


花子迷子事件、を通して、私と、花子にとって、一生をかけて、恩返しをしてゆきたいと思う心に触れました。


どんな形になるかはわかりませんが、私も花子も生きているかぎり、遠くからでも気遣ってくださった「人」がそこにいる事を思い浮かべながら、私たちなりに出来る恩返しの方法を考えながら生きる、のが、テーマとなりました。


最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。


そして、


皆様に、


本当に本当に、


心から感謝と、御礼を申し上げます。

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写真は、


上が花子、

下が、リーザロッテね。