普通でいたいけど、
普通よりちょっといい感じくらいのポジションでいたい。
そうやって、私が私でいることじゃなくて、いつ頃から誰かの基準で決めたもの良い方でいたいと思ったり、自分がどうありたいかより、誰かから見た基準で自分のことを評価してしまうようになったのは。
そんなこと思い始める気配が出たのは小学校高学年あたりだろうか。
小学四年生の頃、文集で好きな事を書くときに、
・カタツムリのめだまつつきって、書いた。
下書きを先生に見せたら、
めっちゃいいやん!
こーゆーやつ、もっと思い浮かぶのない?と言われた。
その当時の私は、
カタツムリのめだまツンツンしたら、しゅっと引っ込めるのも、友達と会話してる感覚だった。
川の水が流れるのが綺麗だなぁって眺めるのも好きだったし、
キラキラ豊かに流れている水の美しさを持ち帰りたくて、瓶詰めしてみたりしていた。
流れが止まってしまった川の水は、ただの止まった水でしか無くなってしまってがっかりしたのを覚えている。
追加で何を書いたかは覚えてないけど、
当時先生に面白い!って言ってもらったのはすごく嬉しかった。
だけど、あとで他の子の下書きを見て、あれ?私変なこと書いたかもしれない。と、心がざわついた。
なんか見てる世界が違う。。。
これが、「普通」でいたいって思い始めた年頃だったのかもしれない。
とはいえ、その頃、人生初めてコンプリート(全巻購入)した漫画は笑ゥせぇるすまんだった。
あのアイドルが好きとか、
あの漫画(恋愛漫画)が好きみたいなのは全然話が合わなかった。
年頃の女の子なら通る道、りぼんって漫画雑誌買ってたころも、お気に入りは「父さんは心配性」だった。
マーマレードボーイも好きだったけどね!
好きな事、興味を持つもの、心動かされるもの、
大体「普通」の女の子たちとは同じじゃないものが多かった。
それはそれでいいのだけれど、
常に多数派ではない自分を感じつつ、
好きをねじ曲げるつもりはないけど、
それに何かしらの寂しさを感じていた。
これでいいのだ!と、言い切ることもできず、
メインストリームのど真ん中でわいわいできちゃう私になりたいわけでもなく、
ずっと「普通」と私との折り合いをつけるのに、もんもんとしてきた。
ジェーンスーのこの記事をみて、そんな事思い出した。
無料会員なので、この次ページはみてないものの、
この次のページから読める内容のトピックだけで、わかるー!わかるー!わかるー!と心刺激されてしまった。
少数派だと思っていたけど、意外に私みたいな人たくさんいるんじゃない?っておもって嬉しくなった。


