竹馬。
この言葉で何を思い出しますか?

私は3つのこと。

ひとつめは「うまたけ」。
極めて初期のドラえもんの漫画に登場します。
竹馬に乗れなかったのび太くんがドラえもんにお願いして登場。
道具ではなく、生き物でした。
プライドが高くて、乗せてもらうのに苦労したんじゃなかったかな?


二つ目は「愛宕山子供の国」。
甲府にある施設です。
私の実家は愛宕山の麓といって良い場所だったので、数えきれないくらい行った場所です。
そこで、金属製の竹馬を貸し出していました。
私が竹馬を乗れるようになったのはこの場所です。
そう言えば、最近、金属製の竹馬、見かけませんね。


三つ目は母方の祖父。
もう、40年以上前に亡くなりました。
少しだけ、悲しい、寂しい思い出です。

我が家の年末恒例の行事はお餅つきでした。
12月30日に母の実家でお餅つきをするのです。
私が小学校4年生の年も、朝から祖父母が暮らす家でお餅つき。

でも、お餅つき、子供は飽きちゃうんですよね。

餅米を蒸して、ついて、また、蒸して。
何臼もつくので、早朝から一日がかり。
私の祖父の杵は本格派で、子供には重すぎて振れませんでした。

そんな孫たちのために、その年は、祖父、お爺ちゃんが、竹馬を作るように竹やら紐やらを用意してくれていました。
餅つきの合間に、竹馬作りのイベントを用意してくれていたのです。

お爺ちゃんの竹馬教室。
その中で、ちょっとした出来事がありました。

よく覚えていないのですが、何か、多分、些細なことを私が気に入らなかった。
小学校4年生。生意気盛りでした。
祖父に暴言を吐きました。
もしかしたら、「死んじゃえ」と言ったかもしれない。
どちらかと言うと、寡黙な祖父で、悲しい顔をして黙ったことを覚えています。
なぜ、よく覚えているか。
祖父を黙らせて、寂しい顔をさせて得意気になったから。
そして、後で後悔したから。

そのまま、年を越えて、1月17日。
私は小学校のスケート教室に行きました。
家に帰ると、いつも居る母がいません。
同居していた父方の祖母から、
 「帯那のお爺ちゃんが亡くなった」
と聞かされました。

私の身の回りの人で、初めて人が亡くなったのがこの時でした。
もう、謝まることができないんだなあと、なんだろう
、びっくりしたんですよね。

なんだか申し訳なくて、自分でもびっくりするくらい泣いたのを覚えています。