昭和の時代はほとんど甲府で過ごしました。
子供の頃はファミリーレストランなんてありませんでした。

当時の楽しみは百貨店(デパート)の上のほうの階にあったお好み食堂。
当時、甲府のデパートと言えば、山交か岡島。
岡島のお好み食堂は1985年には無くなっていたと思います。
山交のお好み食堂はまだあったと思います。

ラーメンからすき焼き(定食)まで、なんでも選べるのが、良かった。
食後にはステンレスの台座(?)に乗ったソフトクリームも定番でした。
あの台座もしばらくお見にかかっていません。

岡島のお好み食堂があった階は、今の駅ビルの様に個別のお店が入る様になったと思います。テナント。
家族で多彩なもの、おじいちゃんから赤ちゃんまで好きなものを選ぶ楽しみはなくなりました。
多分、核家族の時代にあった形態で、デパートは確実な家賃収入が得られるメリットがあったのだと思います。


お好み食堂以外で小学生の頃、時々、連れて行ってもらったのは、川田町の奥藤。
甲府と石和の境に近いところにあるお蕎麦屋さんで、いまは鳥もつで有名になりました。
鳥もつも美味しかったのですが、私の思い出は蕎麦定食とカツ。
蕎麦定食は当時、食べ放題。たくさん食べると横綱、大関などと店内に掲示されていたと思います。
いつかは載りたいなと思ったものです。
カツは今は亡き母の大好物でした。母が奥藤で蕎麦を食べていた記憶がないくらいカツが好きでした。
奥藤は今も盛業中です。

ある日、奥藤が休業で仕方なく入ったお店が御所車。
多分、英和大学に行く跨線橋のあたりにありました。
初めてしゃぶしゃぶを食べて、美味しくてびっくりしました。

銀座通りの外れの「多ぬき」も好きでした。当時は釜飯屋。それほど高級なお店ではなかったと記憶しています。今は、ちょっと高級になり、盛業中のようです。

甲府駅の北口すぐにはドイツ料理のお店がありました。ドイツ料理と言っても私が食べたことがあったのはハンバーグのみ。
先ほど調べたら、ケルシュと言う名前で、2011年には閉店したようです。

一番通ったのは、江戸一だったかもしれません。
こちらも先ほど調べたら善光寺近くで盛業中ですが、同じ店かはわかりません。
当時、かき揚げ蕎麦とかき揚げ丼がそれぞれ150円くらいでした。
お金がなく、いつもお腹を空かせていた私たちの味方でした。中学生の頃、土曜日の午後は毎週のように行っていました。
年に一回か二回チャレンジ週間があり、なんでも7杯食べると無料になり、瓶のコカコーラを6本いただけました。あの紙箱に入ったものでした。
私も数回チャレンジしましたが、結局、いつも最後の一杯が食べられず、最高額の支払いでした。と言っても1000円くらい。

また、甲府で忘れてはいけないのがカツ丼。
卵で閉じてなくて、せんキャベツと揚げたてのカツが乗ったどんぶりです。
踏切食堂が好きでした。
ソースではなく、トマトケチャプのようなものがかかっていたと思います。懐かしいな。
カツ丼のもう一件は平和通りのお店です。
総理屋だったかな!
こちらは今でも盛業中なのは嬉しい限りです。

忘れてはいけないのは、愛宕山こどもの国にあったレストラン。
グリーンパーンと言う名前だったと思うのですが、レストランがありました。
見晴らしの良い場所にあり、甲府が一望できたておもいます。
ポークジンジャーだったか、ポークソテーというメニューがあり、カタカナの名前に、初めての時には随分高級なものだなと思った記憶があります。
極短期間でレストラン営業は終わってしまったかと思います。
どなたかご記憶がありませんか?

もうひとつ思い出したのが銀座通りの東側出口先にあった田幸。
小さなスーパーかお肉屋さんでした。
このお店のコロッケや豚カツも我が家ではお馴染みでした。

銀座通りと言えば、うなぎ釣りのお店がありました。
小さく浅い池にうなぎが入っていました。そのうなぎを釣る。釣ったうなぎはその場で焼いてくれました。
釣ると言っても、大きな針で引っ掛ける。
糸が切れると終わり。
支払うお金で糸の太さが変わっていたような気がします。

うーん。
思い出を語れる相手が欲しいです。
特にグリーンパーン。どなたかご記憶ないですか?