ALSの家族

ALSの家族

71歳の母ALSになったようです。




ずっと読む専でしたが、被害者になり、感情の吐き出しのため書いてます。話の通じない人間ているんですね。日本語使ってるのに日本語が通じない感じ。

現在は被害はないです。

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面会に行く度に

子どものような真っ直ぐな瞳で

「いつ帰れる?」

と書いて見せてくる母



「帰りたい。
ケーキが食べたい。
飲み込めなくなる前に」

何度も何度も
LINEでも何度も




9/30

なんとか強行突破てきに
退院しわたしの自宅に帰ってきた。


介護レンタル
在宅酸素
ケアマネさん
訪看さん

毎日入れ代わり立ち代わり
たくさんの方が家に来て

わたしも母もわたしの娘たちも
中々慣れない中
慌ただしく過ごしていった。

来週くらいになれば落ち着くかな?
伯母達、母の友人、みんなに連絡して
顔を見に来てもらいたいな、、、



帰ってきて4日目の朝食後
不調を訴え出す

「苦しい
何か薬を出してもらいたい」

すぐに訪看さんに連絡
急遽来てもらい、先生に連絡し、
呼吸が楽になる座薬を処方してもらう。

「だいぶ良かった。
朝ご飯の後にトイレ済ませて座薬やったらどうかな?ためしてみようか」




そう約束して

翌朝

苦しくて苦しくて

また訪看さんに連絡

救急車呼んで

外来で診てもらって

「とにかく苦しい
早く死なせて」

そう書いて

先生に鎮静をかけてもらった。



とりあえず、これで入院に。
もう自宅に帰るのは不可能と言われる。
マスクを付けた母はまだ苦しそうに息をして
必死に必死に息をして
額に冷たい汗をたくさんかいていた。




私の妹も来て
その頃には母は苦し顔はしてなくて
でも、顎で大きく息をしてした。
ああ、知ってるなこの顔、、、
仕事で何度か見てきた顔だった。



ナースさんに
「病室の準備にまだかかるから
上の食堂でお昼してきてください。」
と言われて妹と二人で食堂へ。

2人でおそば食べて
完食した頃に着電


「急変しました。すぐに戻ってください。」


慌てて向かうと先生が階段まで迎えにきて


「1度心臓が止まりました。」


母のところへ着くと
ナースが数名
先生と さぁ、お別れを、、みたいに促され


でも私はなんか、とんちんかんに
「どーしたのぉー?」とのんきに声を掛けてみた


でも、、、
もう死にかけてて


両手で頬を包んだら
涙が流れてた



「帰ってきてくれてありがとうね。
楽しかったね、、、大好きだよ」


子どもみたいにわんわん泣いた。

妹は

「もういっちゃうの?まだいかなくていいのに、、、」と



私と妹ふたりでみとった。






私の娘たち
私の弟


みんな揃ってから
死亡確認


みんなで綺麗にして
私の娘にお化粧してもらって



私の家に帰ってきた。




生きて、まだ生きていて
救急車だったけど、苦しんでたけど
生きて病院にきて
帰る時は霊柩車で
死んでしまった母と2人で帰るあの時


本当に悲しかった。



でも、もう


苦しくないね。
痛くないね。


夜中お家の布団で横になる母を見たら
微笑んでいるように見えた。




頑張ったね、、、
ありがとうね、、、
そう何度も声をかけた。





たった6日間だったけど、
母は頑張って生きた。
辛い身体で自分で出来ることは全部やってた。
辛いからやって、なんて1度もなかった。


自分で考え、こうしたらどうかな?
ためしてみるか。
ためしてみるか。
私は、母の言う通りにしていただけだ。



ミキサー食大変だった。
おなかすいたーと書いて見せてくるから笑
焦って作ってだした。
細かなケアも山ほどあって
老人介護の経験しかない私は
病気のケアの大変さに面食らっていた




忙しくて、大変で、心配で、不安で
でも、家にいてくれて嬉しかった。



何年も離れていて
最後は一緒にいられて嬉しかったな。


骨はここにあるけど
会いたいなと
おもいます