こんばんは
今日は慶應の入学式でした
つまり今日で晴れて僕も正式に大学生ということです。
入学式会場に着くとすでに黒山の人だかり
意外に父兄の参加が多くてびっくりしました笑
それぐらい熱心な親が多いのかな。。
式が始まり、いろんな人が壇上で話をしていましたが
要約すると「慶應はすごい」ってことを言いたかったんだと思います笑
あと、職員代表挨拶の人はまさかの商学部を受けたときの試験官だった笑
「都の西北にある大学」「本郷にある大学」の部分がおもしろかった。。
応援団のパフォーマンスも盛り上がってましたね。。
ただ、ある意味ちょっと怖かった気もします笑
入学式が終わったら仲良くなった人といろいろ回ってました。
とにかく、スペイン語の抽選に漏れなくてよかった笑
さて、予告してた通り今日で僕は宅浪生の肩書を降ろすことになったので、このブログも最後の更新です。
さっきまで自分の一年間の記事をざっと見返していましたが、本当にここまで長かったなと思います。
宅浪、いや浪人に怯えていた日々が今でも昨日のように思い出されます。。
横山先生も「泣きたいときは泣け、君はそれだけ自分の人生に一生懸命なのだから」と書いていましたが
そうやって浪人や自分の試験に不安でしかたがないのは、その分だけ自分の人生に一生懸命だということです。
なので不安で仕方がない時は
「自分はこれだけ一生懸命なんだ」
といつも自分に言い聞かせてください。
僕の好きな話に
一日を人間の年齢に例えた話があります。
少し改編してここに書いておきます。
三年を一時間として、寿命を70歳だと仮定した場合、夜12時にこの世に生まれたとして、まだ受験生の年齢だとまだ朝の6時とかでしかありません。
大学を卒業して社会に出たとしても、まだ朝の9時くらいでしかありません。
逆に、親くらいのの年齢だともう夕方五時です。。
人生はあと6時間とかしかありません。
この、日が暮れてしまった時間から、はたしてやり直すことができるでしょうか。。
でも、それに対して受験生くらいの年齢の人はどうでしょう。
まだ燦々と日の当たり始めた朝6時くらいでしかありません。
少し失敗したって、まだ大丈夫。
一番日の当たる昼への準備の段階でしかないのに、どうかここで自分の時計を止めてしまうような悲しい真似はしないでください。
もっと言うと、受験は長い長い人生の一部でしかないんです。
それも、受験というのは大学に入るための下準備でしかないんです。
どうか、受験で失敗したからといって思い詰めないでください。
と
書きたいことも書いたので
そろそろ最後にしようと思います。
思えば僕がこのブログを立ち上げた時、最初の記事にも書いてありますが、比喩的な意味ではなく吹雪が吹き荒れていました。。
そして最初の記事の最後の一行に書いた「吹雪の新潟」という伏線をようやく回収する時が来ました。
最後の言葉です
どうか思い思いの勉強を正直に、そして真っ当にやり続けてくだい。
そんな人を、僕は慶應で待ってます。
桜咲く、春うららかな日吉より。。。
(2014年03月11日 ~2015年4月1日)