田舎の跡取り娘 -57ページ目
自分を好きになれないことで
悩んでいるなら
自分の命式を
一度、みて欲しい。
それを見てから
悩んで欲しい。
それを見てから
とことん嫌いになって欲しい。
サラッと出して
サラッと見ても
そーゆーことかー
と、重い扉が
取り敢えず開くから

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先日
友人との会話で
私はカウンセリングには
不向きな性分だと感じた。
寄り添う性分ではない。
長々と
人の悩みに耳を傾けたりする
カウンセリング的なことは
出来ないな。と
とても軽やかになれた。
そして
あぁ
私は私のやり方で
良かったんだぁ。と
嬉しくなった
寄り添うのが性分だったり
後押しする性分だったり
バッサリ切るのが性分だったり
私は
寄り添うことも
伴走することも
待つことも
今は出来ないけれど、
今までの悩みが
笑えてくるような
抜け道が塞がってるような悩みに
風穴ボフッ

っと開けるような
そんなことが
出来る
任せて
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自分の好きなことわからなくて
自分が何をしたいのかわからなくて
自分が好きになれなくて
自分が大嫌いで。
そのくせ
他人の話は聞きたくて
他人には
助言したりして
聞かれてもないのに
自分が自分を嫌いな理由を
ベラベラ話出したりして。
他人の時間を無駄に使って
また自分責めて。
いつかの私みたい
時々、今もやらかす
そのループを
好きなだけ続けても良いんだけどさ。
実は結構
迷惑だったりするんだわ
身近な人ほど大迷惑。
それでいて
人に迷惑だけはかけたくない。とか言う。
世界レベルでの
最大の迷惑は
自分に罰を与えてることで
誰かの許しを欲しがることや
自分を嫌うことで
誰かに愛されようとすること。
どんなにノートに書き出しても
どんなにアファメーションしても
どんなに書き換えしても
何だかな
の人は
命式、ホロスコープ、数秘術で
一旦、自分を眺めて欲しいの。
そこから、
拗ねて。
また自分嫌って。
気の済むまで。
でも、きっと
自分が愛おしく瞬間に
出会えるはず
そんなわけで
10月20日 
復刻
シェア・カフェ
開催します
場所は
仙台市泉区近郊で
詳細は後程アップします
Facebookでの過去記事を見ていると
随分と想いを言葉にしていたなぁ、と
感じた。
鋭い切れ味の言葉を
リズムよく奏でている。
5年前、
8年前、の私の言葉に
私が感動する。
この頃
想いを言葉で、
文字で、
奏でることに詰まりを感じていて
もどかしい。
吐き出したいものが少なくなったとは
思えない。
数年前の私は
どこかへ勤めてなかった。
フリーで
占いリーディングをしていたり
フリーで
書き下ろしをしていたり
自分の都合にあわせて
仕事をしていた。
ゴルフ場でパートしているのは
仕事終わりにラウンド出来るという
最高の環境だから。
それでも
勤務時間というものがあって。
それなりに体力使って
それなりに人間関係に疲れる。
そうして数年いるうちに
何かが麻痺したような
詰まりを感じていて。
言いたいことを我慢しているのか?
と言えば、
そうでもなくて。
多分
肉体的な疲れによって
想いを綴ることさえ
途中でやめるほど、疲れてるんだ。
4時間たちっぱなしで
歩きっぱなしの仕事で
終わってゴルフは出来るけど
家に帰ると動けない。
なんなら寝る。
ご飯作るの億劫になる。
これはよろしくない。
フリーの時は
午前中に作って
夜のセッションしたり
今より遥かに身体が楽で
今よりお金も回ってた。
お金も人も
愛も回ってた。
愛とは自分の想いや価値観とか。
それだけ
愛を言葉で表現出来ていたから
なんか、色んなところで
色んな人たちと繋がってた。
今は今で
ゴルフの表現を通して
繋がってるけど
なんか詰まってる。
表現したい。
何を?
私を。
どこで?
自分の場所から。
どこに?
世界に。
なんで?
それが生きてる躍動と思うから。
ウズウズする。
糞詰まりみたい。
8年前、書き下ろしを始めた
最初の文字。

今見ても好きだな❤️
いやいやいやいや…。
これからの世界を
スムーズに移動したい!と思い
それだけの理由で
やったけど。
けど。
左腕は腫れ上がって
左半身が痺れて
腕は上がらない
高熱出る
関節痛む
なんでわざわざ
明らかな毒を
健康な肉体に入れなきゃいけないのか❓️❗
明らかな異物で
明らかな毒なんだわ。
明らかな異物で
明らかな毒だから
身体が危険信号を発動して
熱を出して
異物を
毒を
排出しようと
熱で溶かそうとするんだよ。
身体は凄い‼️
素晴らしい‼️
もぅ、もぅ、
ありがとうございます‼️‼️
でした。
私が今回
やろうと決めたのは
人体実験でもあって。
実験の結果
こんなもの
子供たちには入れさせたくない。
そう思った。
心底、思った。
打たんでいい。
でも
子供達それぞれの意思で
選んで欲しい。
生きるのは
選択の連続だからね

でも、
でも、
二回目受けるの
めっちゃ嫌だわ~

死ぬかもしれんと
思うほどにしんどいだろうと
個人的には
予防接種の類いが
目的の病を予防するとは
思っていなくて
それらは
わざわざ病原菌を入れるわけで
その他にも
人間の肉体には不自然なものが
色々混入してあると
自然療法を学んでいた時に
知ったのだけど。
自然療法を学ぶきっかけが
子供たちのアレルギーとアトピーで。
私は今まで
健康に恵まれていたので
アレルギーとかアトピーが
何故発症するのか
とても興味があって
人間の身体や
自然に発生する植物、
天体が生命体に影響を及ぼすことなど
とっても楽しく学べました。
それまで
気にも止めなかった様々なことが
なるほどーーーーー👀の連続で。
そこから
ひとりひとりの気質や体質を
占星術で学んだりして
私たちは
天体と共に生きているのかぁ✨と
感動したり。
そんな流れもあり
不自然なもの代表とも思っている
予防接種は
子供のころの集団接種以来
インフルなど、一度も打ったこともなく
風邪を引いても
熱出て、すぐ治っていたし。
そもそも
風邪は、身体の大掃除と捉えているから
ありがたい現象と思っているのね。
その大掃除に欠かせないのが
熱なわけだから
解熱剤は、重症でない限り
取り入れずに、熱を
出しきる考えなわけです。
そんな私ですが
結論から言うと
これから
今が旬のワクチン注射を受けてきます。
世界中で話題の中心になってて
注射の名前や
それについての気持ちを
SNSで書いたりするのも
タブーな雰囲気になってる強者。
注射打ったグループと
打たないグループとの差別化。
推奨する人
拒否する人
様子をみる人
煽るように
旅行や飲食店、イベントの
接種者優待企画。
おかしな現象だと思ってる。
接種が
身体を、家族を、国民を、
護るものだという視点に立てば
素敵な行いだし
接種が
身体にとって毒だ、という視点に立てば
世界を操る陰謀、とも取れるだろうし。
どんな陰謀だ???は
それぞれの価値観も絡むよね。
きっと。
更に
どんなものが身体に入ったとしても
誰にでも備わる
自然治癒力があるから大丈夫。
という視点も、もてる。
つまり
色々で。
様々で。
選択の自由で。
自己責任で。
で、
私は
今後、なるべくスムーズに
世界を移動したいために
今回の注射をすると決めました。
副作用で死んだら
それまでで。
たとえ死んでも
注射で死ぬんじゃないんだわ。
私の寿命。
今回の注射をしなくても
いつかは必ず死ぬわけで。
私の寿命で死ぬんだわ。
これをしたから
あれをしなかったから
あそこに言ったから
ここに留まったから
そんなことで
人は死ぬんじゃなくて
死ぬときがきたら、死ぬんだと
私は思ってるんだよね。
死ぬ前提で打つ訳じゃないけど
生きてることが
既に、死ぬ前提だよね。
しかも
今日は
予約無しで打てる集団です。
まもなく順番でっす。
色々
スムーズが好きだ、という
それだけの理由です。
自分を護る防御の
必要性を感じたら
まさに
防御力が弱っている友人から
連絡がきた。
彼女は
泣きそうな声で
もう、無理かもしれん。
と、伝えてきた。
私から見えている彼女は
子供のように無邪気であって
聖母のように他人を受け入れる
という二面性が特徴的だなぁと
見えていた。
聖母のように、、というのは
極端すぎる例えだけど
聖母とは?と聞かれたら
私は返答できないけど。
お人好しに見えてたんだ。
私だったら嫌だな、とか
私だったらNOと伝えるな、とか
思うような事を
笑顔で、いいよ

と
引き受けている事が多いように
見えていた。
人の頼み事を
即答で受け入れる彼女を
凄いなぁ。
私には出来んなぁ。
と思っていた。
話を聞いてみると
それらは
全部じゃあないにしろ
断ることが出来なくて、、。
ということだった。
彼女の中では
それは日に日にエスカレートして
いよいよ身体がNO

と
悲鳴を上げたらしい。
良かったなぁ。と素直に思って
そう伝えた。
やっぱり身体って凄いな、と思った。
意識としての
防御力が弱っていても
身体はちゃんと
その人を護ってくれてる。
凄いよね。
ありがたいよ。
私の意識とリアルタイムな
出来事だったから
彼女を通して
私にOKサインが出たように
受け取った。
自分を護ることに長けてる人と出逢うと
ズルい人だなぁ、と感じたことが
あったけど
自分を護ることは
ズルいことでも何でもなくて
当たり前に備わってる術なんだ。
それの使い方を
間違ってしまうかどうかなんだ。
たとえ
間違ってしまっても
身体は
ずっとずっと
護ってくれているんだ。
断れなかった彼女が
良い悪いじゃなくて。
そんな彼女を
利用してた人が
良い悪いじゃなくて。
現在の自分では
キャパオーバーだよ、ということを
教えてくれた身体の仕組みが
ありがたいよなぁ、、と。
こうゆう経験を重ねながら
私たちは
一回り、
二回り、、と
自分の器を拡げていってるんだろうな。
器の大きさが拡がるたんびに
起きる出来事も
それに見合ったものになるんだろうね。
良い出来事か
悪い出来事なのかは
それぞれの判断でしかないけれど
何れにしても
今、起きる出来事は
越えていけるものしかないんだな、と
彼女が私に見せてくれた感覚でした。
私を護ってくれている身体を
私も護るよ❤️と
愛おしくなった


