あえて結果と言うなら、その人が幸せになればいい。
結局そこじゃないの?

その人が普通にならないと俺の人生失敗って。
その人が俺基準の普通になる事が本当にその人のためになるの?

本当にそれがその人にとっての幸せなん?
身の丈に合ってなくても?無理してても?
自分の思い描いた通りに行かなかったら失敗?
自分の考え通りに動かなければ失敗?


結局本人の気持ち汲み取ってるようで、自分の気持ちや考えを押し付けてる。

そして期待しすぎている。

本当にその人が単独で幸せになるには、その人自身が自分で出来るようにならないと。出来ることをしないと。
出来へん部分を担ってあげていたら、ずっと担わなければ永遠に自分では出来ない。そこに甘えてしまう。

そうしたいなら、相手が死ぬまでそう出来るならいいと思う。それで。
でもそれはしんどいと言う。

自分がもし居なくなったら?担えなくなっなら?
その人はいきなり1人で幸せになれるの?
子供じゃない。
だから独り立ち出来る事が、自分自身で出来る事がその人の人生に必要な事だと思う。


自分が必要とされたいのもあると思う。それで必要とされてる感が満たされる部分もあると思う。
だから本当は手放したくない、手放せないのかも。


それは『自ら光れる人はいらんねん。』
この言葉に象徴されていると思う。
自ら光る人には、自分は必要ないから。
だから手をかけてる人には、本当は自ら光れるようになって、自分の元を巣立って欲しくないのかも。


「弱い人は裏切らない」と言うけれど、本当にそうなんかな。
本当に気持ちで繋がれてるなら、弱いも強いも関係ない。独り立ちしていても、自ら光っていても。
弱い人でも、強い人に寄生する人でも裏切る人はいっぱいいる。そういう人ほどサラリと、自分都合で違う強い人に宿を移す。
今までそういう人を腐るほど見てきた。

やってあげれてるから成り立つ関係って、それが出来なくなったら切れてしまう。
自分が弱くなった時、共倒れするか去られるか。

そんな関係性が理想なら、それでも弱い人を自分の手の中にいさせる事が自分のやりがいや安心や信頼に繋がるなら、それでもいいと思う。
それは考え方やと思うから。



『育った環境が違うからわからない』

それは誰しもそう。全く同じ環境だったとしても、わからない事もある。基本的に人の考えてる事なんて本人しかわからない。
でも、わかろうとする事で、世界が広がったり、新しい視点が見つかったり、新たな事が生まれるとも思う。進化できると思う。お互いに。
それはお互いに受け入れるという事が必須ではあるけど。

わかって欲しいと思ってないというなら、わからないでいいんじゃない?そこに引っかかる必要はないわけで。
本当にわかって欲しくないなら、わざわざそれを言わなくてもいい事で。


極端に裏切られることや自分が傷つく事を恐れている気がする。
俺は冷めてるし耐性あるからいいねんって言うけど、わたしは逆に感じる。