73歳でした。
少しずつ父が居ないことが日常になりそうで、それがまた辛くて、なかなか受け入れ切れてない所があったり、投稿しようか迷ったけど文章にした方が前に進める気がしたので投稿させて下さい。
(父との思い出を残したかったのもあるので
お気になさらず🙇♀️)
血液の癌のような病気を発症しました。
最初の頃は自覚症状もありませんでした。
それから段々と動くとしんどくなるようになり
週に1回の輸血が欠かせなくなりました。
でも無理に動かなければ変わりなく過ごせるし
輸血をすると元気になると言っていたし
病気と上手く付き合いながら
生きていけると思い込んでいました。
6月、肺炎になり入院しました。
入院になった事はあったので
入院したら治る、と、
また思い込んでしまいました。
しかし一向に薬が効かず、
無菌室にいたので会いにも行けず、
途中で会える部屋に変えて貰ったけど
1日2人までの15分。
会いに行っても連絡をしても
しんどそうな父の姿と、
病院の先生の言葉が、辛く、苦しく、
家族の心配は日に日に募るばかりでした。
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入院が1ヶ月になる頃、
父がどうしても家に帰りたいと訴えだし
渋っていた先生も、父の懇願に
「一泊だけ」と許可をくれました。
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そして帰る日の朝、父は先生達に
「お世話になりました」と告げました。
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みんな治療を続けるよう説得したけど
父の決意は固く、家で過ごしたいと言いました。
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父は人に迷惑を掛けたがらないので
ナースコールもあまり押していなかったのに
(母に「しんどい」と電話したりしていた)
その時は誰の言葉にも耳を傾けませんでした。
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しかし、すぐに訪問看護に切り替えてくれ、
最初の1週間は病院で過ごすより
どんどん元気になり、
全く食べれなかった食事も食べれたり
会えなかった孫たちや親戚に会え笑顔が出たり
「お父さんは家がよかったんや!」
「きっと家でおる方が元気になるんや!」と、
また思ってしまいました。
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家に帰って17日目の朝、
父は目を覚ましませんでした。
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2日前は父が監督をしてくれている
レディースソフトボールの試合があり
万年最下位争いのチームだけど
くじ運よく準優勝し🏆
トロフィーを持って行くと
目を丸くして驚いて👀喜んでいました。
本当は父のために優勝したかったけど
チームのみんなには言えなかった。
言うと本当に容態が悪いと認める事になりそうで
また次の大会こそは優勝旗を見せて
元気になって欲しいと思っていました。
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1日前しんどそうだったけど、
前日の試合の話をしていたら
「みんな打った?」と言っていて、
死ぬ前に、人の打撃の心配なんかするはずない
と思ってしまいました。
訪問看護の先生が
「もう薬を飲ませなくていい」と言ったけど
母と「諦めた訳じゃないのに」と話し
その日の夜も一緒に飲ませました。
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治る、治ると、最後まで父の病気から
目を背けていました。
もしかしたら病院にいたら
もう少し生きれていたのかもしれない。
でも父が強い意志で帰って来てくれた事は
誇りに思うし、お陰で沢山会いに行けたし、
話しが出来たし、手を握る事が出来た。
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そんな父の姿は、
最後までかっこよかった。
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でも私は、もっと向き合っていたら
出来る事があったんじゃないかと考えてしまう。
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自分が興味ある事には全力で、
興味ない事は全く気にしないような人だったので
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私が悲しんでいても気づいてないかもしれない。
今年の夏は甲子園、メジャー、阪神と野球観戦し
雪を探してスキーして、ゴルフもして
どこにでも行けて大忙しだったのかもしれない。
⛷️⚾️🏌️♂️
私が選ぶ事は何でも反対せずに
応援してくれたけど
興味あるか、ないかは別なので、
ポーセラーツには興味なかったと思う。笑
でも私の小中のソフトボールの試合は
ほとんど見に来てくれていたし、
高校で野球部のマネージャーになった時は
練習試合も含めて、
これもほとんど母と観戦に来ていた。
(娘出んけど)
秋の四国大会に進出した時は、
平日なので野球部だけで愛媛の球場に行くと
私より先にバックネット裏に座っていて
「仕事休んだわ〜」と言いながら
サンドイッチを食べていた。
(私が卒業しても見に行っていた)
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父は私が後悔していても気にしてないだろう。
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気づいてないのかもしれない。
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母や姉と話していると
父の面白い話しばかり思い出して笑っている。
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だけど、どうしても
甲子園でいい試合があったら話したくなるし
配線で困ったり、庭に蜂の巣が出来た時は
相談したくなるし、
🐝
どうしても会いたくなる。
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またいつか会えるんかな。
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会えたらいいな。
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2歳の時に自分の父を亡くしていた父は
父親像を知らなかったかもしれない。
だけど私にとっては最高の【父】でした。
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ありがとう、お父さん。
お父さんの娘で幸せだったよ。








