贅沢は

心地よくあらねば。



さもなければ

贅沢ではないわ


                     ココ・シャネル


シャネルにしても、ヴィトンにしても、あまり興味はない。

ちなみに、うちの母ちゃんも興味が無いので、数年前にシンガポール旅行に行った時も、免税店に連れていかれた時は、「時間の無駄」としか感じなかった(笑)


シャネルのもので唯一使っているのは、「Egoist Platium」という香水くらい。

ただこれも、「勝負の日(笑)」にしか使わないので、全然減っていない。


ちなみに冒頭の言葉は、心友・Seikoちゃんのブログ から、勝手に引用させてもらいました。

贅沢ってなんだろう?

「贅沢を尽くす」とか「贅沢な悩み」、あるいは「たまには贅沢してみたい」

言葉の遣われ方を考えると、あまりポジティブなイメージは湧いてこない。


ボクだけかもしれないが、どこか贅沢という言葉には、お金を遣いすぎることへの蔑みを感じていた。

だから、相手から「贅沢だね~」と言われた時には、うしろめたさを感じてしまし、贅沢は「しちゃいけないもの」という感覚が強い。


おそらく、原文はフランス語だと思うので、多少ニュアンスは違うのかもしれないけど、「心地よくあらねば」という言葉に、あまり違和感を感じなかった。


贅沢って、お金の価値だけでは測れない

その人にとって、心地いい体験そのものを差す言葉なんだなぁ


最近、バンドや楽器に興味を持ち始めた長男から「とうちゃん、今欲しいギターある?」という質問をされた


「そうだなぁ、まずは福山雅治が使っているTaylerのアコギは欲しいよな。

あと、ポールリードスミスも欲しいし、ビートルズやるのにリッケンバッカーも持っていたいし、クイーンのブライアン・メイ・モデルもあったらいいなぁ

それとさぁ・・・」


「もう、いいから」と遮られたのは、言うまでもない(笑)

こういう、何の利益も生まない妄想をしている時が、最幸に贅沢な時間かもしれないなぁ


すべては我が師 -ぼくの好きな先生-

(ちなみにこれは、今我が家にあるギターくんたち)


成幸できる人は、思い通りにいかないことが起きるのは

あたりまえという前提をもって挑戦している

                       

                           下川 浩二


そうなんだよなぁ

「どうやったら、思い描いた通りになるか?」って考えているうちは、うまくいかないんだよなぁ

考えて考えたはいいけれど、行動せずに終わっていることが多い自分には、ガツンとくる言葉です。


ナニメンさんの喜働力塾で、「思い通りにならない困難がなければ、充実体験にならない」っていうことを思い出しました。

困難を抱えながら、それでも前に進もうとするってことは、充実体験の序章ですね。


思い通りにいかないのは、あたりまえ

思い通りにいったら奇蹟


そのくらいで、ちょうどいいんだよなぁ

そう考えたら、日常生活で「思い通りにいってる」ことが、たくさんあることにも気づかされる。

「あたりまえに感謝」って、「思い通りにいってる奇蹟に感謝」っていうことかもしれない。

Think Grobal,Act Local


国連本部で買ったTシャツに書かれていた言葉


20年前、あるスタディツアーで、初めてアメリカに行った。

といっても、それ以来ハワイを含めて、アメリカ合衆国には行ったことが無いけどね(^-^;


ニューヨークに滞在したのは3日間だけだったけど、その中で国連本部のお土産物屋さんで、地球のイラストと、このロゴが入ったTシャツが気になり、しばらく気に入って着ていた気がする。


Thnik Grobal, Act Local

直訳すれば「世界的視野に考え、行動は身近なところから」という意味だろうか?

もっと飛躍した考えだと、「足元を固めながら、大きな視野を持とう」というメッセージかもしれない。


ふと頭に浮かんだ「今ここ」のメッセージ

今自分に必要なのは、原点を見つめ直し、足元を固めることだ。

その時に、目の前の小さなことにこだわらず、大きな視野で俯瞰しよう。

ちょっとしばらくお休みします。

といって、明日復活してるかもしれませんけどね。

体罰はダメ!暴力はダメ!その通りだ!!!

でもね、今回のメディアの報道で、愛のムチまで封印されたら・・・

将来の日本はどうなるんだよ?

                           杉本竜彦


このブログを書き始めたきっかけも、ドリプラに出会えたきっかけも、日本商店会のメンバーになれたきっかけも、今思えばこの人とのご縁が原点

DNA理事長であり、運輸業界の風雲児(!?)、すぎたつこと杉本竜彦 兄さんとの奇跡のご縁が大きい。


ちなみに冒頭の言葉は、忘れたころに配信されるメルマガの言葉。

兄さんが、中学生の時のエピソードが紹介されていて、マジで泣けました。


-以下転載-


私が中学生の頃の話です。

校内弁論大会にクラス代表として出場しました。

予選では、もっともらしい話をして、無事に予選通過。

そして本選では、原稿を差し替え校則批判をガンガン主張!

そりゃ、ヤンチャな年頃だったし、堂々と全校生徒の前で校則批判をするヤツなんていなかったから一瞬にして俺はヒーロー♪

案の定、弁論大会が終わったあと担任に呼ばれて・・・

『杉本!俺は今からお前を殴る!』

そう言われて、何度も往復ビンタを喰らい、履いていたサンダルでも殴られ、俺のワイシャツは鼻血で真っ赤に・・・

そのとき、担任の先生は泣きながら俺を殴ってました。

『悔しい・・・お前を原稿差し替えなんてズルいことをする生徒にさせてしまったことが、俺は悔しい・・・』

今でも、その時の痛み、恥ずかしさを覚えています。

少なくとも俺は、その時の痛みのおかげで、悪い事をした時、人の心を裏切った時の罰は、こういう事なんだと知りました。

俺を殴る先生の心の方が痛かったと思います。


ちなみにボクは、すぎたつ兄さんより6つ年下ですから、まだ担任や部活の顧問からバリバリ体罰を受けていた世代です。


特に中学時代は、ある先生が嫌いで、授業中に反抗的な態度をとったり、わざとふざけたりしては、しょっちゅうビンタを食らってました。

そうすると、悔しい気持ちからまた反抗心が芽生えて、もっとエスカレートする。

本当に生意気で陰湿な子供だったと思います。


そんなボクの素性を見抜かれていたのか、中3の時のクラスは、いわいる問題児の寄せ集め(笑)

しかも担任は、泣く子も黙る体育教師。

「うわっ、マジかよ!!」と思ったのは、最初の頃だけで、体育の授業の時と、ホームルームの時の顔は別人だったことに気づいたのです。


これはいつだったか覚えていないのですが、クラスの中で弱いものイジメが発覚しました。

陰湿なものではなかったけど、道化キャラの友達をからかっていたのがエスカレートしたんです。

帰りのHRの時、先生はクラス全員に向かってこう言ってくれました。


「この問題は、当事者だけじゃなくて、クラス全員の問題だ。もちろん、気づかなかったオレも悪い。

ただ、見て見ぬふりをしていたやつも、自分が加害者だってことを忘れるな!!」


先生はこのあと、一人一人を殴りました。

もちろん手加減はしていたと思いますが、クラスの半分近くが泣いていました。

今思えば、すぎたつ兄さんを殴った先生と同じように、先生の心が一番痛かったでしょうね。

僕らを憎まず、僕らの行為を憎んで、体に刻ませてくれたのです。


しかし、「体に罰」っていう表現は、あまりよくないですな。

青臭いけど、「愛のムチ」っていう言葉の方が、しっくりくるような気がします。

本気で叱ってくれる大人に出会えたことを思えば、僕らは幸せな世代かもしれませんね。